照れ


「まぁ! まぁ、まぁ、寒い中遠いところをわざわざ!

 無事で着いてよかったこと、雪は深くなってきたし、ずいぶん遅いしで心配していたのよ。

 店の若い子でも迎えにやろうかと言っていたところだったの。

 ああよかったこと、さ、はやく中に入ってあたたまりなさいな。

 あなたがさんね、まぁ驚いた、きれいなお嬢さんだこと!

 留三郎が寄越した手紙を見たときには一体何事かと思ったけど、まぁこの子には勿体ない美人さんだわ!

 ああもう、あんた! 留三郎とさんとが着いたのよ! 顔も見せんとなにしてんの!

 ごめんなさいねぇあの亭主ったら、照れてんのよ。

 あら、なんだか玄関先で立ったまま、ごめんなさいねぇ、さ、どうぞお上がりになって、狭い家ですけど!

 嬉しいわ、うちには私しか女がいないものだから、まぁ空気が華やぐこと!

 もう、なにしてんの、あんた! いい加減にせんと怒りますよ!

 ごめんなさいねぇ、もうすぐ来ると思うんだけど。

 寒かったでしょう、まぁほっぺが真っ赤になって。

 囲炉裏のそばにいらっしゃいな、ほら火にあたって。

 留! あんた、女の子に荷物持たせて平気な顔してんじゃないよ、誰に習ったのそんな不調法!!

 まったくうちの男どもときたら……もう、あんた──!! あんたは子どもかッ!!

 ほんといい加減にせんと夕食抜くよッ!! いいのッ!!?

 もう、まったく情けないったら。ごめんなさいねぇ、はるばる見えたのにこんな体たらくで。

 さ、ゆるりとしていて頂戴ね、留、ちゃんとお世話して差し上げるのよ!

 ちょっと失礼して……今、お茶をお持ちしますからね、あたたまっていてちょうだいね。

 あとからゆっくり、学校のお話とか、聞かせてくださいな」

出会い頭からマシンガン・トークをぶっ放した女性にされるがままになり、

留三郎とは囲炉裏のそばにちょこんと腰をおろしたところだった。

火に手をかざして暖をとりながら、二人はしばらく声もなく黙り込んでいた。

なんと言っていいものやら、という空気がありあり漂っている。

二人のいる部屋から見える位置ではないが、先程の活発な女性の声が御亭主とやらを叱りとばしている喧噪が聞こえた。

「……お姉様?」

「……いや、“おかーさま”……」

「……口を挟む隙がなかったわ」

「いつもああなんだ」

商売柄もあるがと留三郎はあまり説得力のない言葉を付け足した。

「合わせてやってくれ。お前くらいの年の女は確かにうちにはいないから、きっと楽しいんだ、あの人も」

まるで母について言っているような口調ではなかったが、留三郎の声色には愛情が込められている。

は不思議そうに、横目で彼をチラと見た。

懐かしい我が家で気が落ち着いたというところだろうか。

「俺が言えた話じゃないが、よく来てくれたな。疲れたろ」

「疲れは、そんなに……寒かったわ、思ったより」

「寒いの嫌いなんだっけな」

は深々頷いた。

「途中から吹雪いてきたものね。どうなるかと思った」

「無事着いてよかったよ。俺もさすがに疲れた」

留三郎はやれやれと足を伸ばした。

「商売してる家なんでな、盆暮れ正月は軽く返上気味だ。ちょっと慌ただしくて、落ち着かないかもしれないが……

 まぁ、落ち着いてる時期でも、あの人につかまったらやかましくてしょうがない」

「……楽しそうな方だったわ」

目元が似てると、は薄く笑って彼の目尻に指先でそっと触れた。

「食満くんは、でも全体的にはきっとお父様似なのね」

「うん……まぁ、そうかな……」

どっちかと言えば、と付け加える彼はなんだかんだ嬉しそうである。

忍術学園が冬休みに入ってしばらく、

彼ら二人を含む六年生のほとんどはぎりぎりまで自主鍛錬と就職活動に奔走していたが、

年末年始が近づくと皆ちらほらと帰途につき学園を離れていった。

留三郎も間に合うようにと天候の悪化による遅れなども考慮に入れて旅日数を逆算し、

充分余裕を持って学園を出てみたはずだったが、実際に家に着いたのは晦日の夜であった。

途中峠で見舞われた吹雪がとんでもない大荒れに発展し、しばらく茶屋で足止めを食うことになったのである。

少し雪も風もおさまった頃合いを見計らって思いきってそこを出たが、

の足には少しつらい旅となってしまっただろうと留三郎は少し申し訳のない気持ちになっていた。

気を損ねていはしないかと彼はちらりと恋人を見やったが、は物珍しそうに家の中に視線を巡らせるばかりで、

留三郎の心配や不安などにはまったく気付いてもいない様子であった。

「お忙しい時期にお邪魔してしまったのではない?」

「まぁ、確かに慌ただしい時期ではある」

留三郎は考えるように一旦間をおき、続けた。

「だから、あんまり客にも構える状態じゃあなくて、悪いんだが」

「そんなことはいいのよ」

「うん、すまん。放ったらかしにならんようにはするが」

「お手伝いできること、あるかしら」

「……ウチのオフクロさんの相手とかな……」

それがにつとまったらすげぇ助かる、と留三郎は苦笑した。

ややしばらくして彼の母親が茶を用意して戻って来、

一見無骨そうな夫君も一緒にやってきて会釈程度の挨拶をするとすぐに仕事へ戻ってしまった。

「ごめんなさいねぇ、あんな顔して照れ屋なものだから、ウチの亭主ったら」

「いいえ、どうぞお構いなく……お忙しいときにお邪魔してしまったようで、申し訳ありません」

「あら、いいのよ。こんなときしかこの子だって帰ってこないのだもの、ねぇ、留」

話を振られたはいいが、留三郎には返す言葉もない。

母親にやりこめられて居心地悪そうにしている留三郎を、はまた珍しいものを見る目で見つめている。

当の母はひとり、構わずに続けた。

「同級生と伺っているのだけれど、ええと、じゃあ、あなたも忍になるのかしら、ちゃん?」

ちゃん付けで呼ばれて、は一瞬ぴしりと固まってしまった。

ややあって、困惑したように視線を迷わせる。

留三郎が苦笑しつつ、のかわりに答えた。

「女子生徒の専用クラスがあるって話したことあるだろ。そこの最上級生だよ」

「そうよねぇ。じゃあ、女忍者になるのよね。格好いいわぁ」

がばつの悪そうな顔をしているのを見て、留三郎はくっくと笑わずにはおられない。

いかにもの不慣れな場面であろう。

これも任務の一端であるのなら、も顔色ひとつ変えずに切り返すことができるはずである。

しかし任務とは関係のない自身の現実に、この母のようなペースを持つ人間がいたことなどないに等しいだろう。

忍の学園にはそもそも年上の女性が片手の指で数えて足りるほどしかいない。

困っているのか、照れているのか、まったくと、

留三郎は頑なで不器用な恋人をやっぱりなんだか可愛らしいと思うばかりである。

「そうそう、お部屋なんだけど、南側の客室を空けておいたの、あそこなら多少あったかいしね、どうかしら」

「ああ、わかった」

「じゃ、留、お荷物運んであげてちょうだい。今夜は初詣には行くの?」

「は? ああ、どうするかな……」

明けて朝になってからでもいいけどと彼は呟き、の様子を伺ったが、どうも答えられる状況ではなさそうだった。

「こいつ寒いのダメなんだよ」

「あらあら、でも、そうよねぇ。お部屋に火鉢も入れましょうね、ね、留!」

「ヘイヘイ、俺がやりますよ」

「投げやりな言い方するんじゃないの! ハイは一回!」

「……ハイ」

せめてもと言わんばかり、これ見よがしにため息をついて、留三郎は立ち上がるとの荷物を持ち上げた。

行くぞと言ったところに、ちょっと待ってと母から制止が入る。

「なんだよ」

「留はお荷物と火鉢をよろしくね。ちゃんは、よかったら、ちょっとこちらに」

「え?」

は目をぱちくりとさせ、留三郎のほうになにか問うかのように視線をやった。

「大丈夫、とって食いやしませんとも。留、そっちよろしくね」

言うが早いか、母はの手を引いてさっさと廊下を行ってしまった。

残された留三郎がしばらくぽかんとしているところへ、また父親が顔を見せた。

「……あの子はどうした」

「お袋が連れていった」

「……はりきってたからな……」

どこか物憂げなため息をつき、父は留三郎をじっと見据えると、唐突に問うた。

「嫁にとるのか?」

「気の早ぇ話だな」

まだ卒業もしていないのにと留三郎は誤魔化すが、“二年後”の口約束が一応あるという話は今はしないでおこうと思う。

「きれいな子だったじゃないか」

「うーん……まぁ……」

肯定してしまうと思いきり惚気ることになりそうで、留三郎の口数は自然と少なくなる。

面白がっているように、父親は笑った。

「母さんがはりきってるのはその気の早い話を念頭においてのことだ。ずっと娘を欲しがっていたから」

自分のおなかには女の子は授からなかったけど、今になって娘ができるってこともあるものよね、

などと言っては留三郎の短い手紙を読み返し、喜んでいたと父は言う。

留三郎は渋い顔で頬を掻き、今からそんなに期待されてもな、と小声で精一杯呟くのみであった。



「うちにはねぇ、女の子がいないから。ずっと憧れていたのよね」

にこにこと言われ、は静かに目を伏せた。

うまく言葉で答えることはできないでいたが、彼の母君はそのようなことを意にも介さずにいる。

が連れてこられたのは、恐らくは母君の私室なのであろう。

これでもかというほどの衣装が所狭しと広げられた、その中央には立たされ、着せ替え人形と化していた。

「昔っからの着道楽でね、着物はいろいろあるんだけど、さすがにそろそろ若向けの柄や色は着られないでしょ?

 こういうときに娘がいたら譲ってあげることもできたんだけどねぇ」

また新しく一枚を着せかけられ、ほら、よく映えることと母君はうっとりとしている。

「若いっていいわねぇ! ね、ちゃん、何枚かもらってちょうだいよ。

 ちょっと荷物になるかもしれないけど、留に背負わせればいいわよ」

「いえ、そんな、そこまでしていただいては」

「あら、そんなこと言わないで、年寄りのわがままに付き合ってやってちょうだいな。

 夢だったんですもの、着物を合わせてやったり、髪を結ってやったりね、女の子同士の楽しみみたいなものが。

 それなのにうちときたら、むさ苦しい男所帯になっちゃって」

不満そうに唇をとがらせる母君に、は困った顔をするばかりである。

母君はまた新しい一枚を引っぱり出してきて、に着せつけ始めた。

「これは晴れ着にどうかしらと思って。お正月ですものね。初詣に行くなら、ぜひ着ていって」

「……いいんでしょうか」

「いいのよ! ぜひそうしてちょうだいな」

はまだ困ったような顔をしていたが、しばらくそうしていたあとで、

お言葉に甘えますとちいさく答えた。

母君は満足そうに頷き、またに違う柄の一枚を着せつけ始める。

忙しなく手を動かしながら、彼女は問うた。

「……留は、ちゃんには、どんな子かしら? 乱暴者じゃないかしらね?」

「え……いえ……そんなことは」

「ない? ならいいのだけど。六年も親元を離れているとね、それも滞在先が忍術学園だもの」

ちょっと心配になることもあるわよねと、そう言いながら、しかし彼女はからからと笑った。

「まさかあの子がね、こんなに素敵なお嬢さんを連れてくるなんて思わないじゃない。

 ずっとわくわくして待っていたけど、本当に喜んでいるのよ、私たち。

 この先ずっと留三郎と仲良くしてくださったら、それは私たちにとっても望ましい話だけれど。

 たまに、遊びに来てちょうだいね。自分の家だとでも思って、気軽にね」

思ってもない言葉には目を丸くした。

一方の母君はなんでもないことのようにを飾り付けるほうへ意識を戻している。

初対面の相手に対してこうも好意的に振る舞える人がいるものなのかと、は信じられない思いでいた。

自分の家族には愛情も感じられないし、学園に入ってからは人を疑うことを学び知ったである。

本来自分が持っていないはずの、人の繋がりのあたたかさのようなものを手に入れたような気がして、

目頭が熱くなるのを覚えた。

それを不覚だと思ってしまう理由を、は自分にも説明することができなかった。



しばらくして、憔悴したような、のぼせ上がったような様子で部屋へやって来たを見て、

留三郎はまず目を瞠った。

は見慣れない色柄の、実に鮮やかな着物をまとっていた。

「どうした、それ」

「……お母様がね、晴れ着にどうぞって、仰ってくださったのよ」

「ほー」

「他にも部屋を埋め尽くすくらいあるお着物全部、もらってちょうだいなんて仰るのよ」

「……なんか不都合でもあるか?」

「……世の中のお母様方って、こういうものなのかしら」

「いいんじゃないか? さえよければ。あの人は面白がってやってんだから」

はそれ以上返事ができず、黙ったまま温まった火鉢のそばに座り込んだ。

しばらく二人はそのまま黙り込んでいた。

留三郎はただ、母の手できれいに飾られた恋人の姿をほれぼれと眺めていたのであったが、

はなんだか熱も冷めやらぬといった様子である。

やがてぼそりと呟いた。

「……私、あの方、ちょっと苦手だわ」

「あ、そか。しつこかったか? だろうな」

「そうじゃないのよ。楽しい方だし、優しくしてくださるし、素敵な方だと思うわよ。

 でも、あんなに太刀打ちならないと思った人って、これまでにいなかったわ。

 この十五年で最強の相手だったと言っても過言じゃないわ」

「……ああ、なるほど、な……」

我が母ながらまったくと、留三郎は思いきり納得してしまった。

「仲良くしてくれよ。うちは代々女のほうが強いらしいんだ。

 あの人とお前が嫁姑のなんちゃらを演じてるところに、俺だって絶対口なんか出せん」

「食満くん……怒るわよ」

「冗談だって。本当になってくれてもいいとは思うけどな」

楽しそうに留三郎は笑ったが、はまだ喉元にくすぶるものを抱えていた。

先程、母君の私室を辞してくる少し前、着せ替えがお開きになる頃の問答をは忘れられそうもない。

──ちゃん、うちにお嫁に来る気はないの?

──忍者のお仕事をしながらでもいいのよ!

──留とはどれくらい“仲良し”なの?

「絶対勝てないわ。ただでさえ負けの色が濃厚なのに。

 嫌いな人が相手なら遠慮なくやり込めることもできるけど、私、あの方嫌いじゃないんだもの」

「嫌いじゃないことを好きって言うんだろ」

「まるで揚げ足取りだわ」

「そういうお前ももうちょっと素直になってくれりゃあいいのにな」

はぷいとそっぽを向いてしまった。

留三郎はその様子に苦笑を漏らす。

家族と使用人達が勢揃いしての夕食、その一座からまんべんなく向けられたからかいとの応酬、

はその中に混じってしばらくは居場所をうまく見つけられないような様子であったが、

ややしばらくして少しばかり慣れたようであった。

ちいさく微笑む顔などが見られるようになって、留三郎はやっと安心を覚える。

初詣へ出かけるときには当人達より母がまたはりきってを連れていき、

着物を着せた上から寒くないようにと様々着せかけて留三郎のところへ返してよこした。

出かけ際、母が留三郎の耳元に囁いた。

「いい子ね、照れ屋さんだけど、とっても可愛いわ。私、好きよ、ちゃん」

「ああ、そう……? そりゃ、どうも」

「雪道、かばってあげなさいね」

「おう」

少し先にいたに追いつくと、なんて仰っていたのとが聞いてきた。

「照れ屋だけど可愛くて好きだってさ」

を示し、留三郎は簡単にそう告げた。

は転げ落ちるのではないかというほどに目を丸くして、言葉を失う。

「そんなに驚くことじゃないだろ」

「……知らないわよ」

はまたぷいと顔を背けてしまった。

本当に素直じゃないんだからな、と、何度思ったかしれないことを留三郎はまた思う。

照れ屋だけどそれが可愛くて──母親との“好き”の感じがなんとなく似通っていることを思うと面映ゆい。

“二年後”の約束が本当になったら、きっと日々はこうやってささやかな幸せの起伏の上に過ぎていくのだろう。

(今はまぁ、さしあたって、それを神さんに願っとくことにするか……)

「ほら、冷えないうちに、急ぐぞ」

の手を引いて歩き出す。

隣ではなにを願うのだろう。

平穏な、幸福な想像に、留三郎はふっと笑みをこぼした。





宵のみぞ知る  照れ