唐突
「御免! 殿はこちらにおいでか!!」
大雪の降る薄暗い昼であった。
校門で応対に出た事務員と忍犬とは、相手の剣幕とは対照的にのんびりと首を傾げ、目を見合わせた。
「さんならぁー、確かにこの学園の生徒ですけど〜」
「お、お目通りを、どうか!! 我が君のたっての所望でございます故!! 何卒、何卒──!!」
「はーい、御案内しまぁす。その前にー、入門票にサイン、お願いしまーす!」
さっさとのもとへ辿り着きたい訪問客は、
事務員のテンポのずれた応対に内心苛々とさせられながら、それでも入門票にしっかと名を記した。
「はい、確かに〜。ではどうぞ、こちらでーす。帰りは出門票にサインしてくださいねぇ」
事務員・小松田秀作は、訪問客の苛々をその口調でことごとく煽っているということに気付かぬまま、
門の守りを忍犬に任せると食堂のほうへと歩き出した。
「こちらでお待ちくださぁい。今さんをお呼びして参りまーす」
人のいない食堂へ案内され、席についてもまだそわそわしているその客に、おばちゃんが熱い茶を出した。
「粗茶ですが。雪の中、大変でしたでしょう」
「いえ、とんでもないことで……」
答えながら、客はちらちらと食堂の入口へ視線を向ける。
おばちゃんはクスリと笑うと、手にした盆を持ち替えて言った。
「六年生ですからねぇ、授業も大変だし就職活動も大詰めの時期ですから。
ちょっと手間取っているんでしょうよ、まぁお茶でも飲んで、ゆっくりお待ちくださいな」
「は……あの、失敬、御婦人」
おばちゃんは目をぱちくりとさせた。
「あらま、嫌ですよ。あたしは食堂のおばちゃんで通ってンです、どうぞそう呼んでくださいな。
ちゃんをお訪ねでしたっけねぇ」
「は、左様で……殿は、学園ではどのような生活を……」
「そうですねぇ」
おばちゃんはふと考え込むような仕草をしてみせ、続けた。
「この学園は大まかに、男女で学舎が分かれておりましてね?
ちゃんはくの一教室の最上級生ですけど、今年の六年生はいろいろあって、今は彼女ひとりしかいないんですよ」
「は、そこまでは、それがしも存じ上げております」
「あら、そうですか。事前に調査でも?」
「いえ、我が君のもとへ、殿が実習でお越し下されたことがありまして」
「ああ、それで」
納得顔でおばちゃんは笑った。
「いい子ですよ。同じ年の女の子がいませんからね、ちょーっとトゲトゲしたところもありましたけど。
最近、少しずつやわらかくなってきましてね。先生方も先を楽しみにしている娘なんですよ」
「……そうでしたか。それで」
今度は彼が何かに納得をしたような顔をしたので、心当たりのないおばちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「お客さん、どうぞ昼食も召し上がっていってくださいな、ちょうど頃合いですからね。
今日はいかと大根の煮付け、いいお味に仕上がったんですよ」
「はい、ぜひとも!」
にこっと満面の笑みを浮かべた客人に、おばちゃんはあらあらと思う。
笑った顔は若く見える、というよりも、最初の印象よりも実際に若い男らしい。
土井先生とどっこいどっこいくらいかねぇ、と思ったが口には出さず、おばちゃんは昼食の仕上げにかかるべく厨房へ戻った。
廊下がすぐに騒がしくなり、深い緑色の忍装束を身につけた少年が威勢良く食堂へ入ってきた。
それに続いて同じ装束姿の少年が数人やってくる。
「おばちゃーん! A定、A定! 今日のおかずはー!?」
「今日はいか大根よー! あんたたち、まず服のほこりを払ってから入んなさい!」
「あ・いかん」
彼らは素直に廊下に出ると、お互いの身体をばしばしと叩き合うようにしてほこりを払った。
見たところ体格もよく、鍛えられたふうで、仕草にあまり無駄もなく、隙が少ない。
なにより雰囲気が、目つきがそこらにいる少年達とはまったく違う。
どうやらこれが最上級生、六年生かと客の男はちらちら彼らを見やった。
食堂に一番乗りをした少年が男に気付き、遠慮のないまっすぐな目を向けてきたが、
男は辛うじて怯んだ様子を見せずに済んだ。
「あれ。お客さん。あんたさー、を待ってるって人?」
遠慮のないその口調は、相手が明らかに年上だということもまったく意に介していない様子だ。
男はその通りだと頷いた。
「なー。ちゃんはー、留ー?」
「ああ、多分もう少しで追いつくわ。山本先生と話すって言ってた」
「へぇー。だって、おっさん」
「お、おっさん?」
さすがに男は問い返してしまった。
「あ、ワリワリ。よく見たら思ったより年上じゃなかった。二十代真ん中くらい?」
「に、二十三だッ! まだ!!」
「小平太、失礼だよ」
優しそうな面差しの少年がからからと笑う少年を窘めたが、
あらっ、二十三、と食堂のおばちゃんまでが意外そうな声をあげたのが追い打ちのように彼の内心に刺さった。
そのとき、賑やかなあいだに涼やかな声が驚くほどはっきりと響いた。
「いったい何の騒ぎ? よりにもよって最上級生が入口を塞いでいるっていうのは何事?
下級生が困っているではないの」
聞き覚えのある声だった。
男は思わずガッタと席を立った。
「殿か!?」
入口を塞いでいた少年達がスッと道をあけた。
通されたのは、深い緑の装束に囲まれる中ではいやに鮮やかにうつるもも色の衣装。
「……まぁ、八曽助さんでは? 御無沙汰ですこと」
「殿も、御息災の御様子で……!」
「私を訪ねてくださったというのは、では八曽助さんだったのですね、すっかりお待たせしてしまって」
は微笑を浮かべ、八曽助と呼んだ男に歩み寄った。
事務員に焦らされ、少年達にしっちゃかめっちゃかな扱いを受けたあとでやっと目的の相手に出会えた彼は、
感激のあまり涙目になってしまっていた。
「この大雪の中。よく御無事でお着きになりましたこと。お寒かったでしょう」
「いえ、大したことでは……それよりも、殿、大事なお話が」
「お話?」
はきょとんと目を丸くした。
「ぜひとも……ぜひとも、我が君のもとへ、お越しいただきたく!!」
熱のこもった声が叫ぶ如しにそう言ったのを聞いて、六年生達はぴしりと固まった。
「ちょ、ちょっと、待って!」
慌てて二人の話を遮ったのは、先程八曽助に対する友人の暴言を諫めた、優しそうな印象の少年だった。
「さんには、ちゃんと恋人がいるんですって。いきなりそんなこと言われたって」
「そーだそーだ! ちゃんはやれないな!」
「お前も何か言ったらどうか、食満?」
楽しそうに成りゆきを眺めていた、長い髪にすました顔がやたら印象深い少年が、先程“留”と呼ばれた彼に話を振った。
皆の視線が一様に彼に向かう。
彼自身はその注目度合いに一歩引きつつ、苦笑いを浮かべた。
「いや、お前ら多分、なんか勘違いしてると思うぞ」
「なにが勘違いだ、恋人を盗られようかというときにヘラヘラ笑って呑気にしていられるとは貴様、神経を疑うな!
の気が変わっても知らんぞ」
「いや、潮江、お前がいちばん激しく勘違いしてると思うが」
「んだとぉ!?」
“潮江”というらしい少年が掴みかかろうかというところ、ぱこーんといい音がして、二人の争いは即座に決着を見た。
鍋の木蓋でおばちゃんが二人の頭をひっぱたいたのであった。
「あんたたち! 喧嘩なら余所でやりな! 受付がつっかえてんのよ!!」
入口の奥で下級生達が固まって萎縮していた。
は何でもないことのように彼らの騒動を見守っていたが、静かに八曽助に向き直ると、
煩くてごめんなさいね、お話の続きを伺いましょうとさらりと言い放った。
「こ、恋人が、いらっしゃるのですか。では、お頼みしづらい気がしますな……」
「いいえ、構いません。そういう場ですから、この学園は」
「オラ見ろ、食満、が見捨てにかかったぞ!」
「るせぇな! さっさと席着け、あとがつかえてンだ、潮江!」
面倒見のよいらしい“食満”少年は、空腹ゆえにへたばりそうになっていた下級生達を先に通してやっていた。
「彼ですか」
「ええ」
照れた顔も見せず、は頷く。
「八曽助さん、そのお話ですけど、」
「こ、断る前に、どうか一度すべて聞いてはいただけますまいか」
「ええ、いきなりお断りするつもりはありません。……姫君は、お元気にしていらっしゃいますか」
が囁くように問うた言葉で、場の妙な緊張が一気に崩れた。
定食の盆を手に、頬に幾多の傷を持つ、少年と呼ぶにはずいぶん落ち着いた雰囲気の六年生が
「スカウト……」と呟いたのが妙に鮮明に聞こえた。
「はい、それはもう……! 殿を折につけ懐かしがっておられまして」
「……お優しいお方ですこと。けれど、使用人ごときにそのように親身に振る舞われるのは、
時と場合によってはお褒めできることではありませんわね」
「は、いや……」
八曽助はやれやれと言った具合に笑って見せた。
「我が君の周りには、年齢の近い女人がおりませんで……殿がお越し下されたあいだじゅう、
親しい友人を得たようでなんとも楽しかったといつも仰っておられるのです」
「そうですか。……私ごときに、過ぎたことです」
「とんでもない。それで……本題なのですが、殿」
はい、とは居住まいを正した。
「春になりましたら、これまで長きに渡り我が君に仕えて参りました護衛の者が、役を退くことに相成りまして……
至急、代わりの者を探さねばならぬという事態に陥ったのです。
我が君はぜひともあなたを招致したいと所望しておられます」
その言葉に反応を見せたのは、関わりない顔をしながらこの話に耳を澄ましている周りの生徒達であった。
空気がざわりと、様変わりした。
は答えず、視線で八曽助の話を促す。
「ですが、この時期……学園という場の就職活動では、すでに内定が出ていることが大半だと、
詳しい者が申しまして、慌ててお訪ね申し上げた次第で。
先に文を差し上げることもままならず、このような唐突な申し出を差し上げることになってしまいまして……」
はふっと笑った。
「それで、このようなひどい天候の中をやっていらしたのですか?」
「はぁ、我が君がどうしても殿をと仰いましたし、それに……」
「それに?」
が問い返したのに、八曽助は照れたような笑みを浮かべた。
「殿がお越し下されたあいだ、我が君はそれがしどもから見ましても、大変愉快そうにしておられた。
あのような笑顔は、近年とんとお見かけすることが減っておりました故……」
「……そうですか」
は少し俯き加減に、考えるような素振りを見せる。
相変わらず食堂中は賑わっているように見えるその実、生徒達は彼らの話にばかり耳を傾けていた。
もそれを承知ではあったが、とりあえず気にかけるふうでもなく、呟くように言った。
「……実は、……まだ決まっておりません」
「そ、そうでしたか! では、我が君にもまだ、チャンスはございますな!?」
「ええ、でも、こちらからも条件があるのです。聞いていただけます?」
「は、な、なんでしょうか」
は困ったように笑った。
「いえ、実習で参りましたとき、私、ほとんどお仕事のようなことはさせていただけませんでした。
姫君のお相手を仕りましたくらいで、期間がすべて過ぎてしまいました。
それは、平和はよいことですし、私個人にしてみましてもとても楽しい時間ではございましたけれど……」
それのなにがいけないのかと、八曽助は言いたそうにしていたが、口を挟むことはしなかった。
「いただいたお給金があまり高すぎたものですから、あとで困ってしまいました。
もちろん、雇用していただくことがありましたら、定められた分のお給金は頂戴いたしますけれど、
働きに見合わぬほど多くを与えようとはなさらないでいただきたいのです」
「えぇーっ、先輩、もったいねぇっ」
一年生と思しきちいさな生徒達の中から抗議の声があがったが、周りの友人達がわっと声のあるじにたかってそれを止めた。
はくすっと笑いを漏らす。
話が聞かれているらしいということがはっきりとし、八曽助は居心地悪そうにきょろりと視線を巡らせた。
は八曽助に向き直ると、言った。
「忍というのは、八曽助さん、読みの通りです、忍ぶと書きます。
私たち、この道に生きようと志した者は、贅沢や裕福を望み身を粉にして働くわけではないのです。
この命は任務のため、あるじのため。
姫君にはそこを御理解いただきたいのです、理解といかずとも、納得くらいは。
私を護衛と使っていただく以上、この命は、姫君によって時には使い捨てられるべきもの。
それを嫌と仰るのなら、私は姫君のおそばには参れません。
側女として置いていただくのは、私の本意ではないのです。私は、くの一です」
八曽助はごくりとのどを鳴らした。
たかだか十五歳の少女の淀みないセリフに、彼はすっかり気圧されてしまっていた。
言葉を紡ごうと口を開くが、うまく声が出ない。
彼はしばらく苦戦したが、やがて諦めたようにため息をひとつついた。
それで少しだけ空気が緩む。
が察したのか、微笑んだ。
「……でも、具体的なお申し出をしてくださるおつもりでいらっしゃるのなら、
どうか私の担当教師と学園長にも話を通していただきたいのです。
結局は私が決める進路ではありますけれど、私ひとりの問題でもありませんので」
「は……承知いたしました」
彼は恐縮そうにもぞもぞと座り直し、固い声で辛うじてそう答えた。
はまたにっこりと微笑んだ。
「長旅でお疲れの上、難しい話をされて気持ちも消耗されましたでしょう?
まずは昼餉を、ね。ここのお食事は天下一ですから、きっと回復されます」
八曽助の答えを待たず、は立ち上がるとおばちゃんの控える受付カウンタへ向かう。
「話は終わったの、ちゃん?」
「概要は伺いました。先生方にも話していただいて、検討しようと思います」
「そ、なによりだこと! でも、何をするにもまずは美味しいごはんよ、なんにする?」
「今日いちばん美味しい定食をふたつ」
「今日はね、いかと大根の煮付け、A定食ふたつね!」
「はい、ではそれで」
定食が出来上がるのを待つあいだ、はカウンタのそばに立って食堂の中を見渡していた。
八曽助の座る席の隣のテーブルに座している彼女の恋人ににこりと微笑みかける。
に視線で応じてやったあと、その彼は何気ないふうで八曽助のほうをチラと見た。
たった一瞬、視線を合わせると、彼はまた同席の友人達との会話に意識を戻す。
その“留”というらしい少年の視線は、八曽助に揺るぎない確信を与えてくれた。
彼の目は雄弁に八曽助に語りかけた。
──はきっと、あんたのところの申し出を受けると思うよ。
宵のみぞ知る 唐突
閉