誤解
少し離れた学舎の角を曲がってこちらへやって来たのはで、
別に待ち合わせたわけでも言い交わしていたわけでもなく偶然だったが、
目を留めてああ、と挨拶代わりに手を上げた。
まわりにいた全員──例のごとくの委員長五人──が、つられてそちらを振り向いた。
は気づいて立ち止まったが、一瞬なにか奇妙な顔をして、くる、と踵を返した。
そうしてまた曲がってきたあの角へ入ってしまう。
首を傾げたところ、五人が慌ててヤバイ、今のはヤバイ、追えと言う。
「は? なにが」
「いいから行け! 言い訳しろ!」
「なにを」
「絶対誤解したぞ今の、急げ!」
「だからなにを!」
聞くと、仙蔵と伊作が各々自らを指した。
「は私らを見て誤解したと言っているのだ! あの顔を見たろう!」
「僕らと気づかず、留三郎が女と一緒にいると思ったんだよ! だから!」
たまたま、実習あけで、メンバーのうち(強いて言うなら)きれいどころのふたりが女装していた。
もともと比較的難のない女姿を作り上げることのできるふたりがに背を向けて立っていたので、
尚のこと判別できなかったのだろう。
目も鋭いはずのにしては珍しい。
「すげぇな、あのがな。恋は盲目を目の当たりにした気分だ」
潮江がやや呆れ混じったような声で言った。
「てか、留、急げって!」
「泣くかもしれん、あの顔は」
小平太も長次も、相当慌てた様子だ。
やっと事態を飲み込んで、の去った方へ泡を食って走り出す。
角を曲がろうとしたそのとき、そこにまだぼんやり立っていたにぶつかりそうになった。
「うお! !?」
はやや不機嫌そうな顔で、眼前を凝視している。
「冷静になってよく考えてみたら、あれは立花くんと善法寺くんね?」
「……ああ、そう、そう」
「……やられたわ」
「誰も故意じゃねえよ……」
はあ、と息をつく。
呆れたと言おうか、安堵したと言おうか。
「お前にしては、珍しいな、こんなこと」
「私も自分で驚いたわ」
はまだ不機嫌そうにしている。
誤魔化されてくれはしないかと、ぽんぽんと頭を撫でてみる。
反応はない。
「……あなたが女ふたりをはべらせて鼻の下を伸ばしているように見えたのよ」
「ひでぇな」
信用ねぇこと、と呟くと、はばつの悪そうな顔をする。
「だから……自分でも驚いたというのよ。
こんなに我を失うなんてこと、初めて」
それにしてもたった一瞬の混乱で済んだのならば冷静な方だろう。
しかしこのの思考を乱したというだけ、深く思われていると自惚れてみてもいいだろうか。
「。来い」
手招くと、は素直に寄ってきて、胸元にばふ、と顔を埋めてくる。
本当に珍しいことだ。
はぼそぼそ、聞き取りづらいほどの声で呟く。
「……あなたに依存したいわけではないのよ。
けれどなんだかもう、身体は言うことを聞かないほどだわ」
「そーかそーか。よしよし。いい子だな」
子どもをあやすように言うと、睨まれた。
おお、恐。
「後輩にするように扱わないで頂戴」
「子どもみたいに見えるからだよ」
それはそれで可愛らしい。
いつもならそう言って困らせてやってもいいと思うが、今日これ以上いじめるのも気の毒だから、やめておく。
「今出ていったらからかわれるに決まっているわ。
立花くんと善法寺くんには悪かったような気もするけれど、潮江くんあたりには笑われそう。
……それは気分が悪いわ」
「ああ確かに」
「だから戻るけれど」
名残惜しい様子など見せてくれもせず、はぱっと離れた。
「皆に言っておいて頂戴。
『冗談でもうちの旦那に手を出したら昇天する前に地獄を見る羽目になるわよ』と」
そのまま踵を返して、すたすたと行ってしまう。
何重にも受け取れるその言葉の意味を考えては、ひとりで赤くなる。
旦那? うちの旦那?
昇天って、お前。
くの一恐い。
恐いのにときどきどころか最近めちゃくちゃ可愛いときがあるのはどうしたことだ。
惚れた弱みに色眼鏡、恐い。
最後にはたと気がついた。
「ちょ……待て、それ俺が自分で皆に言えってのかよ」
抗議はむなしく、宙に浮いた。
宵のみぞ知る 誤解
閉