火花

忍術学園の日常には珍しく、
なんの騒ぎもトラブルもないままに昼餉の時間を迎えたある日のことであった。
とことこと忍ぶでもなしののんきな気配を漂わせて、食堂へ顔を出したのは小松田である。
ほとんど埋まった座席を見回し、目的の人物を見つけると、彼は あ、と声をあげた。
さーん。お客さまですよぉ」
呼ばれてはチラと視線を上げた。
卒業を控え・就職活動に勤しむ六年生の生徒には思いがけない訪問者があることはある。
此度もそういった類であるかと、
自身も同席していた六年生の忍たまたちも思って食堂の入口へ視線をやったのであるが、
現れた人物を認めて皆が驚きに目を見開いた。
「まあ、御機嫌よう、。あなたひとり残っているというのは本当だったのね」
「……あら」
は不思議そうな、不可思議そうな表情を浮かべたままで一言だけそう漏らした。
華々しく登場したのは、十代も半ばほどかと思われる見目美しい乙女である。
その素振りは学園の空気に馴染んでおり、六年生の面々とも顔見知りといった様子がありありうかがえた。
彼女はあでやかな笑みを浮かべ、と同席している委員長達を見渡して言った。
「忍たまの皆もお元気そうでなによりだわ」
「……あー。まえにくの一教室にいた子だ」
小平太が今気づいたと言わんばかりに、来客を指さした。
長次がその仕草を横から窘める。
「やっと思い出していただけて? そうよ、四年生を修了したところで退学したけれど」
「……今更いったいどうしたというの?」
が訝しげに問うた。
その様子は元級友を前にして歓迎しているとはお世辞にも見て取れない。
娘達のあいだにわずかばかり不穏なものが横たわっているのを感じ、
食堂にいてその場を見守る羽目になった忍たまたちは皆・居たたまれなさにちくちく刺されて身を縮こまらせた。
「……かつてのまなびやや友人を懐かしみにきてはいけない?」
「いいえ。あなたもお元気そうね」
「もちろん」
気をきかせたらしく、隣のテーブルに座っていた生徒たちが早々に食事を終えて席を空けた。
娘はそこへ座り、来客を放っておくわけにもいかずには面倒くさそうに立ち上がった。
の隣に座していた留三郎は、なにかもの問いたげにを見上げた。
このふたりの娘達が過去親しかったという話は留三郎は特に聞いた覚えがない。
の仕草や態度を見るに、この娘はには歓迎せざる相手なのだろうとしか思えなかった。
おばちゃんと再会を喜んでいる娘を見やりながら、はぼそりと、
同席の彼らにしか聞こえぬような低い声で呟いた。
「……これからあの子が私にどのようなことを言おうとも、決して本気にせずに聞き流して頂戴ね。
 かばおうだとか、フォローをしようなどとはどうか思わないで」
彼らは聞いていったい何事かと眉をひそめた。
この娘達のあいだにどのような舌戦が繰り広げられようとしているのか。
場を食堂から移そうとしないところをみると秘めておきたい話題ではなさそうであるが、
ふたりを取りまく雰囲気は友好的とはとても言えない。
女同士のやや険悪な会話がそばに起ころうというこのとき、
生徒たちの大半が席を立とうとしないのはどうやら恐いもの見たさである。
そういう己らも人のことは言えないがと聞き耳を立てる六年生達だが、
普段の余裕そうな態度を保てずにいるのことが心配でもあった。
ひとくち茶を含み、ふと息をついて、話し出したのは娘のほうであった。
「驚いたわ、私が学園を辞したときにはまだ何人も生徒が残っていたのでしょうに。
 先程小松田さんにうかがうまでは知らなかったのよ、あなた一人きりになってしまっただなんて」
「ええ本当に……私もまさかこのようなことになるとは思ってもいなかったわ。
 他の娘達も大半はあなたと同じ事情で学園を去ったのよ……お嫁に行くからと」
「そう。……結局、忍の道なんてものは、ね。
 野蛮な世界で荒んだ生を送ることを望んで選ぶ娘などそうそういないということでしょう」
ねえ、と娘は愉快そうに言って首を傾げて見せた。
六年生の彼らには背を向けて座っていて、その表情は定かでなかったが、
後ろ姿から漂ってくる気配の刺々しいことといったらない。
娘の言うセリフの意味は明らかにに対する嫌味であり皮肉である。
にっこりと美しい笑みを浮かべるこの娘は、故意ににそうした毒を吐いているに違いなかった。
しかしは変わらぬ落ち着いた声色で淡々と答えるばかりである。
「そうでしょうね。
 実際、これまでのくの一教室の卒業生で忍の道へ進んだひとはごく少数にとどまるようよ。
 さすがに今年度のように卒業生がたったひとりという事態は珍しいけれど」
「ええ、わかるわ、それにしても居心地のよい立場でしょうね、
 忍たまたちは皆あなたを囲んでちやほやと扱ってくれるのでしょう?
 さしずめ一城の姫君とお取り巻き達といったところね?
 ほら、部外者の不躾が気に食わないといった顔だわ、おお、恐い。
 あなたは……そう、食満くんね、覚えていてよ」
不愉快が顔に出ている自覚のなかった留三郎は、名指しされて目をぱちぱちとさせた。
伊作が小声で、留、ガン見してたよと手遅れの注意を寄越した。
が肩越しに振り返ったその視線は呆れの色をたっぷり含んでいて、
留三郎は言い訳でもするように顔をしかめた。
娘はくすくすと耳障りな笑いを漏らした。
「まあ、本当? あなた……食満くんと?
 こんなところに最後まで残るからよ、選べる相手がどうしたって限られてくるじゃないの。
 忍が相手だなんて──なぜ学園を出なかったの、
 ああ──でも、あなたの御実家にはよい縁談を期待することはできそうもないわね、だからかしら?」
娘の笑い声は誰の耳にも不愉快に響いた。
当人達は秘密だと言いながらしかし、留三郎ととの仲は学園中の知るところとなっていた。
わがままも理不尽な言い分もよしよしと聞いて甘えさせてやる度量の広さのある留三郎と、
その留三郎を相手取ったときだけは娘らしく愛らしい仕草を見せもするとの姿は、
生徒たちのあいだではいまや見慣れた日常の光景というほどである。
六年生達のみならず、食堂で聞いていた生徒たちはこの来客を少しずつ疎ましく思い始めていた。
娘がひとり愉快そうに並べ立てるセリフのすべてはに対する侮辱とも言えるようなものばかりである。
それに対してはしかし、一言たりとも反論を返しはしていない。
を知る誰にも、それが不思議に・また口惜しく思われた。
学園の生徒には学園の生徒同士という広い枠組みの結束感がある。
元学園生徒とはいえ現在は部外者であるこの客に、
自分たちの仲間であるが散々なことを言われ続けるのは彼らには苦しかった。
なぜは言い返さないのかと、誰もが願いにも似た心地でそう思っていた。
またの性格上、やられ放しでいるものとも思えなかったのであるが、
は冷ややかな視線を客の喉元に投げかけたままでじっと口をつぐんでいる。
やがて静かに口を開き、一言だけ返した。
「──そうね、私はこの学園に来てからは実家と縁を絶っているから」
「北の向こうの寒村だったわね? 寂れた不毛の土地ね」
「ええ、ただ、数年前に近くに大きな道ができたとかで、少しずつ持ち直しているようだけれど」
関係のないことだわと、故郷のことを話すにしてはひどく素っ気なくは言った。
一連の会話に、留三郎の胸の内には憤りが渦巻き始めていた。
己を悪く言われたことについてはとりあえず構わない。
周りの誰もが快く思っていないらしいことは空気のよどみ具合からよく読めたものだが、
それにしてもはなぜ反論しないのかが彼の気にかかった。
が競り負けている姿など見たことがない。
他人を演じ分けること、舌八丁で言いくるめて相手の足下を掬うことを得意とする、
そんなが言い返すねたを持っていないなどということは想像しにくかった。
もし、本当に言葉に詰まって言い返せずにいるのなら、
はどれほど“友人”であるこの娘に傷つけられながらそこに黙って座っているのか。
必死で耐えているに違いないのである。
あとで気の済むまで甘えさせてやることも、八つ当たりを受けてやることもできるだろうが、
それにしてもあの娘はいったいをどうしたいというのか。
わざわざ訪れてかつての級友をこうまで心なくやりこめることになんの意味があるというのか。
考えを巡らすほどに、留三郎の内心にはやり場のない怒りがこみ上げた。
口を挟んでやりたいところだが、に先に釘を刺されてしまっていてはどうしようもない。
もしかすると、かつて共に学んだ相手のこと、会話の行く先がこのような展開をみることを予見して、
は先に口を挟むなと言い置いたのかもしれない。
だとすればの読みは当たったことにはなるが、それが反論をしない理由にはならないだろう。
隣で伊作が、なんだか、いやだね、あんな子だったっけ、と呟いた。
しかし、過去の彼女の言動はほとんど彼らの記憶に残ってはいなかった。
くの一教室にいる美しい娘達のうちのひとり、それだけである。
その当時は彼らもまだ、ひとりを今ほど意識してはいなかった。
過去はも、くの一教室の生徒のひとりという程度の存在感でしかなかったのである。
大切な仲間であり友人であるという意識が強く芽生えている今、
彼らはそのをかばってやりたい心地を無理矢理押し込めているところであった。
にあらかじめ止められていたということもあるが、
ここで口を挟むとに対する“お取り巻き”である己らの立場を自ら示すことになりかねない。
男数人の中に女ひとりが混じる格好にどうしてもなるから、そのたとえを否定することはできはしないが、
現実にはそこまで甘ったるいばかりの関係ではないと彼ら自身は考えている。
いつかどこかでぶつかった任務と、少しばかり似た点もあるように思われた。
が耐え続けているのを、ぎりぎりになるまで見守るに徹しなければならないというところが。
彼らはしばらく、居心地悪くざわついた空気を噛みしめていた。
ひととおり娘の喋るのを聞いて、はそういえばとやっと自分から口を開いた。
「私もあなたのことは聞き及んでいてよ──山本先生からね。
 あなたもやっと縁談がまとまったとか」
そのセリフはこれまで言われ続けてきた言葉に比べると妙に毒気が少なかった。
が反論に出るつもりだと思っていた留三郎達はそれでやや拍子抜けてしまった。
しかし、聞いた娘がぴくりと不愉快そうに目元を引きつらせたのを留三郎は見逃さなかった。
のそれだけの言葉が、確実に彼女の核心を、痛く突いたのである。
は変わらぬ口調で蕩々と続けた。
「お相手様のこともうかがっているわ、あなたの故郷でも有名な豪商のご長男だそうね。
 この上ない良縁だわ、先の暮らしゆきも安定しているでしょうし、いまはお幸せの絶頂ね?
 おめでとう」
やりこめられ続けてのちにが言い返した言葉が相手の幸福への祝福であったことに、誰もが呆気にとられた。
言われ続けた嫌味や皮肉に、もしやは気づいていないのではないかと一瞬疑いたくもなるほどだったが、
祝福を受けた娘のほうはわなわなとふるえ、血の気がのぼった様子であった。
攻守が入れ替わったらしいことはわかったが、なぜ、どこで逆転が起きたのかは留三郎にもわからない。
娘は怒り混じりの低い声で言った。
「……祝福をありがとう。
 そうよ、とても幸福よ──このために私の今まではあったのだもの。
 この学園へだって、あなたのように暴力の手段を学びに来ていたわけではないわ。
 争いは下賤のすることよ、この私には似合わないわ」
留三郎はぎり、と奥歯を噛みしめた。
こうまでもあからさまにが悪く言われるのを聞いたことはなかった。
耐えて聞いているのももう限界に近い。
しかし口を挟むなと言われている以上、彼にできることはこれ以上聞こえぬように席を立つ以外になかった。
不愉快そうに留三郎が立ち上がると、同席の一同もため息混じりに立ち上がり、先に立って歩き出した。
ふたりの会話は続いている。
ふたりの横を通り過ぎるそのタイミングを見計らってだっただろうか、
娘がムキになったような声で続けた。
「お相手にしてもそう──手近なところで適当な相手で間に合わせるのとはわけが違うもの」
自分についてどれほど悪し様に言われても、留三郎は黙って食堂を出て行くつもりでいた。
しかしはこれにはすぐさま答えたのであった。
「あら──私は自分で彼を選んだのよ──人任せにあてがわれた、顔も知らない男の元へ嫁ぐよりずっといいわ。
 それに」
は意味ありげに言葉を切った──ちょうど横を通りがかった留三郎を、思わせぶりな目で見上げた。
「上も下もないというほど愛されて、幸せだから」
ね、とは不敵に微笑んだ。
ああ、やはりこの女、ただ無防備に敵の攻撃を受け続けていたわけではなかった。
留三郎はハア、と重く息をついた。
「ハイハイ、なんとでも言え」
仰るとおりですよと、留三郎はため息混じりに言いながらぽんとの頭を撫でた。
「まあ珍しい。素直だこと」
「……うるさいな」
先に行っているからなと言い置いて、留三郎は去り際、
ゆびにスッとの髪をひとすじ、梳くようにからめていった。
それだけのことが、留三郎ととのあいだにある確固たる信頼と親愛とを見ている誰にも知らしめた。
留三郎が食堂を出ていったあとで、の前に座っていた娘はがたんと席を立った。
「……山本先生にご挨拶申し上げてくるわ」
「ええ、そうなさって。心配していらしたから」
娘は不機嫌そうにぷいとそっぽを向いて、そのままずかずか去っていった。
ひとりが席に残ったところで、顛末をすべて見届けてしまった生徒たちはほっと安堵の息をつく。
どうやら勝負はの勝ちだ。
場の空気がわかりやすくゆるんだのを感じて、はちいさく苦笑した。

「いったいなんだあの女は。どういうつもりでああもを侮辱する」
不愉快そうにまず言い捨てたのは仙蔵だった。
留三郎はそれを少しばかり意外に思う。
冷静と名高いこの男がまるで我がことであるように怒ってみせるほど、
あの娘の物言いはひどかったのだろう。
「貴様もなんとか言え、留三郎。
 恋人を目の前で悪し様に言われたのだぞ。
 お前自身にまで話題が及んでいたにも関わらず」
「口出しするなと言われてたしな」
「それがどれほどの問題だというのだ」
「まあまあ、仙蔵……」
伊作が仙蔵をなだめにかかった。
それを横目で見やりながら、文次郎がぼそりと呟いた。
「……で、あの女、なにしに学園に来やがったんだ?」
「懐かしみにって言ってたじゃん?」
単純に結論付ける小平太に、長次がふるふると首を横に振った。
「まあ、みんな。ほら、が来たよ、説明を待とうよ」
の姿を真っ先に見つけ、伊作は救いの手とばかりに話題をへ投げた。
は苦笑しながら近づいて来、一同の無言の催促に応じて頷いた。
「お出迎えどうもありがとう、お取り巻きの皆様」
「ふざけんな」
「ふふ、ごめんなさい、潮江くん……いいえ、全員ね。
 ごめんなさい、嫌な思いをさせてしまったわ」
「今すぐに事情を説明しろ」
仙蔵がきりきりとかたちよい眉をつり上げてに迫った。
「ええ、……今日は、負けておいてあげようと思ったの」
皆一様に眉根を寄せた。
は更に続ける。
「……言ったことは本当よ。
 彼女は婚礼を控えた身なの──お相手は豪商と名高い一族のご長男。
 御年は四十六、これまでに数度も妻を変えたことでも有名な色好きの遊び人よ。
 お金があるのをいいことに、その年でね」
六人は目を見開いた。
皆が驚きに言葉もないのを認めて、はふっと息をついた。
「……彼女がこの学園を出たのは四年生の修了時よ。
 以後二年近くたった今まで縁談がまとまらなかったのは、
 どうやら行儀見習い先が忍術学園という特殊な学校であるということが知れて
 彼女の印象を落としたためらしいの。
 良家の子女である彼女にはそれはきっと屈辱でもあったことでしょうね」
なかなかよい嫁ぎ先が決まらず、かといってもたもたしていれば娘は花の盛りを過ぎてしまう。
早いうちに手を打たねばと彼女の両親はことを急ぎ、
当人同士にやや難のあることには互いに目を瞑ろうではないかという妥協の末・やっと縁談がまとまった。
若く美しい娘にとって、それは先を憂えて然りの決定であったことは想像に難くない。
「学園を出た生徒についての情報は、時折山本先生のところへ入ってくるの。
 彼女のその話もあらかじめ聞いていたわ──だから、
 今日彼女が現れたのを見て、私を見つけたときの表情を見て……
 わかったのよ、あの子がこれからどんな話を始めるものか」
「それで最初に口出すなって言ったわけ?」
「ええ、そう。
 なんだかんだと言っても、四年間一緒に学んだのですもの、彼女の性格はよく知っているつもりだわ」
「……でもなんで反論しなかったのさ」
問われて、は少し寂しそうに微笑んだ。
「……だから、今日は負けておいてあげようと思ったのよ。
 せめて全部聞いて、反論をしないでおいてあげようと。
 きっと誰にだってあるわ──苦しくてたまらないとき、人と比べて私のほうが幸せだと思いたくなることが」
過酷な忍の世界に生き残ろうというかつての級友が相手であれば、
婚礼を控えて幸福を噛みしめている己の姿を羨んでくれることだろうと、
彼女はそんな後ろ暗い希望を抱いて学園へやって来たのである。
「……わかっていて黙っていたのか」
「ええ。……それが親切なのかどうかは、わからないけれど」
でも、とは言った。
苦い顔で唇を噛み、ひどく言いづらそうに続けた。
「……でも、途中で、……腹が立ってきて。
 私ひとりのことならともかく、食満くんにまでその矛先が向くなんて思っていなかったのよ。
 それで……最後に一言、言い返してしまったのね……」
「『上も下もないほど愛されて〜』ってあれか」
「ええまあ……それも、食満くんがちっとも否定しなかったものだから」
留三郎はわざとらしくごほ、と咳き込んで視線を横にそらした。
構わずにはぼそぼそと続ける。
「それで、私の言うのが見栄でも誇張でもないことが、彼女にもわかったのね。
 ……彼女にとってそれがいちばん傷つく言葉だということはわかっていたわ。
 私が現状で充分満たされているということで、彼女は思惑を裏切られたのだもの。
 ときどき、残酷に徹してしまいたくなることがあるの──
 相手がいちばん傷つく言葉だとわかっていて言ってしまうの」
言われた言葉に対しての言い返した言葉は控えめであるほどだと彼らは思ったが、
がいたたまれなさそうにしているのを見るととても言い出せなかった。
「……くの一教室にはこういう傾向があるように思えるわ……
 忍の世界は女にとっては耐えきれないほど過酷なものだと、
 退学して嫁いでいった娘達はそれに比べれば幸福でしょうねと。
 でも、必ずしも──それが幸せであるとは私は思えないわ」
学園に残った自分と、これから嫁ごうという彼女とを思って、は考え込むように目を伏せた。
事情を聞いてしまうと、彼らもただただ彼女に対して悪口ばかりを言う気にはなれなかった。
は顔を上げ、困ったように微笑んだ。
「……巻き込んでしまって、悪かったわ。
 食満くんも、ごめんなさいね。
 あなたには本当に嫌な思いをさせてしまったわ」
「……いいよ、のせいじゃない」
気にするな、と留三郎が言ってやると、はまだ困ったように微笑んで、優しいのね、と呟いた。

昼の休みが終わる頃、教室へ戻ろうとしかけた彼らの視界の端を、
あの娘が門へ向かって横切っていった。
しっかりと強いその歩調は、何かに憤っているようにも、何かに立ち向かおうとしているようにも見える。
門番を交代したらしい、忍犬の差し出す出門票に名を記そうとかがみこむ。
「波乱の昼休みが終わった、てな……」
文次郎の呟いたのを聞くともなしに聞きながら、は風に流される髪を首筋に押さえつけた。
さて、戻るかと皆が歩き出そうとしたそこから抜け出して、
は門のほうへ数歩行くと、声を張り上げて彼女の名を呼んだ。
門を出ようとしていた娘がそれで振り返る。
を見返すその表情は、悔しそうにゆがめられていた。
がなにをしようとしているのか、何を言おうとしているのか、
後ろから見つめている彼らにはわからなかった。
それでも、先程散々なせりふを山と浴びせかけられたにも関わらず、
がそれに対してやり返す意図で彼女を呼び止めたわけではないのだということだけは感じ取れた。
「戦いなさい」
凛とした声が響いた。
娘は聞いて、目を見開いた。
「この学園であなたも学んだことのはずよ。
 野蛮な暴力の手段ばかりではないとよく知っているでしょう。
 考えて、策を練って──戦いなさい、……逃げ出したいのなら」
娘は一瞬、言葉に詰まってぐっと唇を引き結んだ。
ややあって、弱々しい声で、それでも抗うように口を開く。
「……余計なお世話だわ」
ふ、とは息をついて笑った。
その顔はの後ろで見守るばかりの彼らの目には届かない。
しかし、皮肉そうな笑みでも相手を見下す笑みでもないことはわかる。
かつてともに学んだもの同士、懐かしい友人を相手にして、
時を置いても変わりのないことを知り・思い馳せたのだろう。
「ごきげんよう。お気をつけてね。……どうぞお幸せに」
娘は返事をする代わりにふんと息をついて見せ、踵を返すと門をくぐって行ってしまった。
しばらくそのまま、じっと門を見つめて立ち尽くしているに、
誰も声をかけることができなかった。
やがてなにか思い切ったようにはふと息をついて、くるりと彼らに振り返る。
「私も結局、詰めの甘いことね」
「……言い返すかと思った」
「これ以上彼女を責めることはないわ。お節介を言うだけで充分よ」
戦え、と言ったその声の秘める強さが、聞いていた彼らの耳にまだ残っていた。
立場は違えど、同じ時代を生きる同じ年頃の女として、
には強く芽生えた思いがあったに違いなかった。
「あとは私の知るところではないわ」
彼女の生きる道よ。
吐き捨てるようなその言葉はそれでも、級友であった娘に対して決して冷たい響きではなかった。
強くあって、強く生きて、逃げずに戦ってと、
ともすれば苛立ちや憤りにも近い願いがそこには熱くこもっていた。
さあ、戻りましょうかと先に立って歩き出したの背を、彼らは思い思い、見つめた。
忍を志すものが戦うすべを学ぶこの学園にともに関わりながら、
いまは各々・まったく違う立場にあるふたりの娘。
それぞれなりの生きる道を、その幸福を、その意味を、彼らは考えずにはいられなかった。



宵のみぞ知る  火花