「おねーさん。それは、縁起が悪いから、やめといたほうがいいッスよ」

どういうお節介だっただろうか。

飾られようとしていた花の束から、ある一輪を、抜き出した。





脈絡のない話





“おねーさん”は、驚いてきり丸のほうを振り返った。

その反応がとても一般人的でゆるやかで、きり丸はなんだかおやっと思わされてしまう。

忍の学校にいればみんなが忍の反応をするから、普通の人の反応が逆に新鮮に見えた。

ものっすごい、隙あり、である。

これじゃあ“おねーさん”が待っているという旦那は、気苦労が絶えないだろう。

「縁起が悪いというのは、どういう意味でしょう……?」

“おねーさん”はおっとりとそう言い、首を傾げた。

「うん、それさ、片想いの花なんだ。だから、飾るのはやめといたほうがいい」

思いがけない所以を聞いて、“おねーさん”は目を丸くした。

忍術学園の忍たまたちが便宜上“食堂のお姉さん”と呼んでいるこの女性は、

数か月ほど前に突然学園へやって来た。

学園には誰ひとりとして、この“おねーさん”の直接の知り合いはいない。

ただ、“おねーさん”の夫だという人がこの学園に割と親しい忍なのである。

時間のかかる、とてつもなく危険な任務へ出なければならなかったその忍は、

愛する妻を唯一信用に足ると見たこの学園へ預けようと決めた。

事情をわざわざ暗号文でしたためた学園長宛の書状をちゃんと用意し、

彼は妻にそれを持たせると学園への旅に出した。

この戦乱のご時世、蝶よ花よで育てられたお嬢さんだというから、

旦那のほうも旅に出すのは断腸の思いというやつだったろうときり丸は思った。

そしてなんとか終着点へ無事に辿り着いて旅は終わり、

学園では“おねーさん”の旦那の頼み通りにしばらく彼女を預かってやることに決めた。

そして、学園に滞在するあいだ“おねーさん”は食堂の手伝いをすることになった。

忍たまたちの世話を焼き、忙しく日々を過ごしながら、“おねーさん”は旦那の帰りを待っているのだ。

本当に戻ってこられるのか、戻ってきたとしても五体満足でいるかどうか、怪我はないか無事なのか、

何もかもに保証などありもしないままで、ただ帰ってくる、ひとりになどしないという言葉だけを信じて。

「片想いの花ですか?」

「うん」

「花言葉でしょうか」

「いんや、違う。これはねー、いわく付きで」

きり丸はそこで意味ありげに一拍おいた。

“おねーさん”はあけられたその間に焦れるような目をきり丸に向ける。

「……ある、くの一が。叶わないってわかってるのに、諦めきれない想い人がいてさ。

 その人のことを考えてずーっと、誰にも知られないまま気持ちだけのせて飾ってた花がこれなんだ」

先程花の束の中から拾い上げた一輪をひらひらと揺らして見せた。

“おねーさん”の目が頼りない花一輪に吸い付いた。

「……そのくのいちさんの想いは、叶わなかったのですね」

「うん。他の男とデキちまった」

縁起悪いっしょ、ときり丸が苦笑いをすると、“おねーさん”は黙って少しだけ目を伏せた。

そのまま静かに、言った。

「……そのくのいちさんは、幸せになれたのでしょうか」

思わぬ言葉にきり丸は一瞬、声を失った。

それが自分とのあいだの話で、紆余曲折を経てなんとかかんとか、という今だとはちょっと言えない。

答えられないきり丸に、“おねーさん”はくすっと笑った。

「この間、似たようなことを教えてくれた方がいらしたの。もも色の装束でしたから、くのいちさんでしょうね」

展開が読めた。

さすがに六年生にもなれば、一を聞いて八・九くらいはわかる。

十を聞いて一がわからない一年生時分とはわけが違う。

なんだ、後発ネタだったかときり丸は肩をすくめた。

「その方は、今の恋人がとても大切にしてくれるから、嬉しいと仰っていました。

 叶わない恋を追って飾っていたときはこの花を見るのは苦しかったけれど、

 今の恋人を想うようになってからは少し変わったのだと。

 ……素敵なことですね、六年は組のきり丸くん」

「……はぁ、どーも」

苦笑いをするより他なかった。

きり丸が言うより先に、が“おねーさん”に目線バージョンの同じ話をしたらしい。

なんだ、最初からばれてたんじゃないか。

そう思うと少し悔しい。

意地の悪い仕返しとばかり、きり丸は“おねーさん”に問うた。

「じゃあさ、おねーさん。教えられて知ってたのになんでまた飾ろうとした?」

彼女は一瞬きょとんとして、そのあとふわりと可笑しそうに笑った。

「あのね……あの方、一度も、私に好きだと言ってくださったことが、ないのです」

照れるとそれを隠すため無愛想になる人のようで、と“おねーさん”は言う。

……なぁるほど。

そりゃあ、片想いだよなぁ……ある意味。

微笑ましく思い、きり丸はふっと息をついた。

「叶うといいね」

「そうですね。……少し、心配だけれど」

“おねーさん”の前であまり具体的に戦の話をすることはやめようと、

忍たまたちのあいだには暗黙の了解が横たわっているから、恐らくその詳細までは知らされていない。

しかし“おねーさん”の旦那が関わっているというある城での大争乱は、

もう二・三か月は前に雌雄を決しおさまったと言われている。

それでも待つより他にないだろう。

旦那が帰ってこなかったら、この人はどうやって生きていくんだろう。

人ひとりの生死が誰かの人生に波紋を起こすことを、きり丸はまざまざと感じ取った。

陳腐な想像かもしれないが、きり丸はもし俺が死んだら、は……などとぼんやり考えてしまった。

「私は私で、叶うように願いを込めますから。そのお花、活けさせてくださいな。

 ただひからびるのでは、可哀相」

“おねーさん”がにっこり微笑んでそう言ったので、きり丸は大人しくその手に花を返した。

彼女と別れ、長屋の自室へ向かいながらきり丸は考えた。

他にできることがないから、想いを込めても願いをかけても、誰も気付かないようなそんなことしかできないから……

もそんな気持ちでいたのだろう。

そうして至った今を、が気に入ってくれているようならきり丸はそれでよかった。

けれど。

きり丸は今来た道を振り返る。

日が暮れようとしていた。

叶うといいね。

片想いの花が、そのうち想いの叶う花なんてジンクスに成り代わってしまうような、

そんな幸せがすぐにも起きればいいと、彼は願った。