「あーっあ、ついてねー!」

「こちらのセリフだわ」

「可愛くねぇー!」

「言うことが憎たらしい」

会話の応酬はどう考えても喧嘩のそれだった。

大雨、土砂降り。

なんと言ったら、この鬼のように容赦ない雨を的確に表現できるものだろう。

せっかくの休校日だから。

きり丸は相変わらず町でのアルバイトを目論んでいたし、

は新しい髪飾りを見に行くのを楽しみにしていた。

前日から入念に準備を重ね、さぁいまこそ、と学園を出ようというときに、雨は唐突に降りだした。

「ああ、せっかくの着物がびしょぬれ。髪もきれいに結えたのに」

「妙に凝ったことするからそういう目に遭うんだろ」

デートでもねぇのに、と、きり丸は嫌味たっぷりに言ってやったが、

はちらときり丸に一瞥をくれたあと、余計なお世話よと呟いてそっぽを向いただけだった。

なんだか拍子抜けしてしまうではないか。

低学年頃は顔を合わせば喧嘩の嵐、といった相手だった。

学年が上がるにつれてお互いに関わり合うことは少なくなってきていたが、

いまでも顔突き合わせればなんとなく険悪になってしまう。

でも、ときり丸は思う。

雨に降られて駆け込んだ桜の木の下には先客がいた。

くの一教室の六年生、だった。

やけにめかし込んだ格好だが、雨に降られて滅茶苦茶だった。

誰か男にでも会いに行くのかなと思ったが、いがみ合いの会話が続くうち、

一人きりで買い物にでるはずだったということを知る。

なぁんだ、恋人いないのか……

ほっとしたような気がしたのはなぜだろうと、あとで少々はっとする。

まぁ、そこを急所にからかわれることはないんだなと、矛先をずらして無理矢理納得したことにした。

会話が途切れると、今度は途端に居心地が悪い。

不自然に髪を絞ってみたり、着物を絞ってみたり。

そんなきり丸の様子を、はチラとも気にかけるふうではない。

それはそれで別に構わねェけど、おい、そんな俺、眼中にねぇのかよ。

きり丸は逆に、横目でそっとの観察を始めた。

髪はつやつやしてとてもきれいだ。

いま改めて、サラサラストレートヘアのランキングをやったら、いいところまでいくのではないだろうか。

(いや、違うかな、しっとりしてる感じかな?)

髪結いの友人に聞いたらなんと言うだろうかとぼんやり考えた。

その髪に飾るのだったら、あんなこんな。

髪飾りを見に行くと言っていたのを思い出し、きり丸は想像を巡らせた。

雨に濡れると印象もずいぶん代わるものだ。

着物がぺたりと肌に貼りついて、居心地悪そうにしている。

ずいぶん派手に降られたのはお互い様だが、女の子が身体を冷やすのもなんだかなと思う。

ただ、肩にかけてやれるような乾いた着物も持ってはおらず、

タイミングを見て早く帰ろうぜと言うより他がなさそうなのがこまりものだ。

はーぁ、とため息をつくと、はやっときり丸のほうに横目だけを寄越した。

「どうせまたアルバイトでしょ」

「どうせまたアルバイトっスよ」

なにか反撃がくると思っていたが、はそこで押し黙り、

ぼそりと一言、でも、えらいわよねなどと言う。

「……おまえ、熱でもあんの。雨に当たってもう風邪引いたとか?」

「失礼ね。頑張っている人を認めないほど狭量じゃないわ」

「……そうか。へぇ」

はきり丸を睨み付けたが、きり丸のほうは誉められて意外だ、

というような顔をしていたので、怒る気をなくしたようだった。

人ひとりいない広い学園の敷地に、雨が降りしきる。

しばらく止みそうもないなときり丸は呟いた。

「髪飾りって、さー。なに? 任務用?」

「……別に。新しいの欲しかっただけよ」

最近町には次々と小間物屋が開店していたりするのだという。

「個人的に欲しかっただけ?」

「そう」

「ふーん……アレか、しんべヱが団子欲しがるようなアレか」

「怒るわよ」

冗談だって、ときり丸は笑ったが、はなかなか笑わない。

なんだかこいつ、いつもこんなだなぁと、きり丸は少しつまらなく思った。

美人も多いが、くの一教室の特に高学年の生徒はどこか人形のように見えることがある。

きれいはきれいなのだが、たとえばそこに男らしい欲求を感じるかと言われたら、

きり丸だけでなく否という奴もいるのではないか。

もうちょっと生き生きしててくれないかなと思う。

屈託のない低学年くの一と何が違うのだろう。

確かに、六年間のあいだに決定的なラインというものが存在はしていて、

そこを越えると人の変わったようになってしまうというのはわかる。

忍たまにしてもそれは似たようなものだからだ。

(何が足りないのかな……何を足したらいいのかな……)

品定めをするように、きり丸はの頭から足先に至るまでをじぃっと眺めた。

「……何見てるのよ。濡れ鼠がそんなにおかしい」

「誤解だって!」

水もしたたるいい女とか言うだろ、と、軽口を叩く。

はぷいと目を背けてしまった。

雨足は相変わらず弱まらない。

いい加減屋根と壁のあるところに帰りたかった。

このままだと、自分もそうだが、が風邪を引く。

相手が女だというだけで、妙に気遣いたくなってしまうものだなときり丸は苦笑した。

ふいに、が口を開いた。

「……桜も、この雨で散るのかしらね」

雨宿りのために枝を借りているこの木は桜である。

わずかに残っている花は、確かにはらりはらりとときどき目の前に散ってくる。

盛りを過ぎた今時期の花なら、雨に打たれればすぐに舞ってしまうだろう。

つられたように、きり丸は桜の枝をふり仰いだ。

いまや緑のほうが多く見える枝先に、薄紅色の桜がしがみついている。

(……そうだ)

急に閃いて、きり丸は木の幹に足をかけた。

「……ちょっと、なにをする気」

「ん、ちょっとな! 閃いた」

「なにがよ」

まだ花のついている枝をいくらか吟味し、きり丸は一本ぽきりと折り取った。

きり丸はするすると降りてくるとおもむろにに向き直ると、にかっと笑う。

「……なによ」

「髪飾り欲しかったんだろ。ま、期間限定だけどさ」

きり丸は折り取ってきた桜の枝を、の髪にそっと挿してやった。

「んー、やっぱ生花はいいよなー。おまえ髪の色濃くてつやつやしてるし、桜似合うよ」

反応を待ったがが何も言わないので、きり丸は機嫌を損ねたのかと改めてを見下ろした。

はぽかんとして、なにがあったのかもわからないと言いたげにきり丸を見上げている。

「あ。その顔。待ってたなー」

やっと少し人間らしい。

そこまでは口に出しては言えないが、きり丸は満足そうに頷いた。

は不機嫌そうにきり丸を睨み上げる。

「あほ面って言いたいんでしょ」

「まさかぁ。そういう仏頂面はやめとこうぜ、せっかくの桜がさ」

くの一は飾り甲斐あっていいよなと、きり丸は楽しそうに呟いた。

その言葉にはなんの裏も含みもなかったのだが、は聞いて赤面してしまった。

やや不自然にきり丸に背を向け、せかせかとくの一の屋敷に戻る、と雨の中に飛び出した。

「あ、おい! ……転ぶなよっ、風邪ひくんじゃねえぞ!」

の背に叫びながら、きり丸は不思議そうに首を傾げた。

特に気を損ねるようなことを言ったつもりはなかったが、からかったように見えたのだろうか。

やっぱりくの一の扱いは難しいよなと、きり丸の思考はそこへ落ち着いてしまったのだった。



自室へ走り着いて、はまだ頬が熱いことにがっかりとしてしまった。

忍たまに、それもあの六年は組の忍たまに、一本取られてしまった気分だった。

やりかえしてやるべきところだったのに。

耳元に挿し入れられた桜の枝に手を伸ばそうとして、はしかし、躊躇った。

似合うよ、などと。

任務でなくそんなことを言われたのはどれくらいぶりだったろう。

しかし、きり丸は何気なく言っただけのことなのに、

自分が踊らされているという事実が少々腹立たしかった。

(認めないんだから)

はぷりぷりと怒りながら、濡れた着物を着替え始めた。

しかし、着物を替えても髪を拭っても、なんだか桜の簪だけは抜き取る気になれなかった。



降りしきる雨は夕方のうちにすべての桜の花びらを打ち落とした。

しかし、きり丸の折ったひと枝は淡く咲いて、の髪を飾り続けたのだった。



ある雨の日のできごと