宵待歩行


一.ことの顛末

潮江文次郎に恋人ができたという噂に、友人一同は耳を疑った。

文次郎自身はちっともそんな素振りを見せないもので誰も気がつかなかったのだが、

噂を信じるのなら、そのときすでに交際らしき関わりが始まってからたっぷりふた月は経っていた。

相手の名を聞き、彼らはまた信じられないと首を傾げた。

同い年のくのたまの中でもちょっと不思議な少女である。

ずば抜けて成績がよいとか見目麗しいとかではないのだが、とにかく存在感がある少女だ。

大抵の者が受ける彼女の第一印象は、その濡れたように黒い髪。

ワイヤでも通っているかと思うくらいにまっすぐな髪は彼女の背を隠してなおあまるほど長い。

特徴のある顔立ちではないが、濃い色の瞳は自己主張のかたまりのようである。

それでいて本人は物静かで、人の一歩後ろに控えているような娘であるから、

外見は覚えているけれどどんな人間だったかはまったく覚えがないという者が彼女を見知る学園生徒の中には多い。

一年生あたりに言わせれば、忍たまであっても六年生はまるで幻のように思われ、

きわめて目立つ委員長組を除けば本当にいるのかどうかも疑わしいところであるのに、

まさかくのたまに上級生がいたなんてまずそこでびっくりだ、とかなんとか。

下級生達にはまず名前と“潮江文次郎の恋人”という大変突飛な肩書きだけが知られるところとなった渦中の人は、

くの一教室六年生のである。

彼女の駆使するは究極のマイペースであった。

趣味は皆が寝静まった頃にそっとくの一教室の敷地を抜け出し、広い学園内を気ままに散歩すること。

朝には弱いので、散歩が長引くとその分睡眠時間も長引いて寝坊する。

遅刻の罰で課題や雑用を負うことが多いので、いつも何かしら小脇に抱えている。

その印象が髪の次にやってくるものであることがほとんどで、

周りの評価を一言で表すならば“委員長”というのが相応しい。

ただし実際に学級委員長をつとめているわけではない。

小手先が器用なのはくのたま六年生を相手取れば言うまでもないことだが、

加えて要領もよいので罰課題も雑用もすぐに片付けては暇を持てあまし、やはり学園内をふらふらと散策する。

意識はあるが夢遊病、と呼ばわるのは軽薄が過ぎようか。

ともあれ六年忍たまたち、中でも文次郎と特に親しい委員長組は、

毎日顔を合わせ毎日声を交わすような親しい友人がいつの間に恋人をつくっていたのか、

それがなぜわざわざなのか、絶えぬ不思議に頭を悩ませ、

噂を知ったあとも接点のまったく見えない二人をどうにか線で繋ごうと四苦八苦し始める。

どう考えてもまずは情報収集をする必要がある。

彼らはそれとなく“暫定恋人同士”文次郎との周囲を観察してみることにした。

まず彼らはが夜中の散策を趣味としていることに注目する。

文次郎はほとんど毎日のように自主鍛錬に励んでおり、長屋へ戻る時間が夜遅い。

二人が遭遇する機会があるとするならこのときではないだろうかと、

彼らは狙いを定めて文次郎の行動を追うことにした。

ときどきは敵役をつくっての自主鍛錬もいいだろう。

文次郎は常に忍者していると自称までする男なのだから、そこそこの難度は見込めそうな課題である。

彼らはさっそくその夜、いつもどおりに自主鍛錬へ出かける文次郎のあとをこっそりと追った。

ちょっとやそっとでは気付かれないほどのじゅうぶんな距離をとると、

文次郎の姿自体は視界に入らなくなってしまった。

彼が普段から行っている自主鍛錬の傾向と友人の勘を頼りに、

彼の背を追うつもりで夜の学園敷地内を気配を絶って歩いていく。

やがて辿り着いた先に、彼はいた。

忍刀を携えているから、今日は剣術の鍛錬なのだろう。

夜と月明かりの中に佇む忍。

幻想のような光景の主役があの文次郎かと思うと彼らの心中は少々複雑であった。

ふと、草木のかげになっていてよくは見えない位置の岩に腰掛けている人があるのを彼らは見た。

噂のである。

予想は当たったようだった。

文次郎はに構わず鍛錬を始め、ひたすらに次、次と続けた。

もなにもちょっかいを出さず、ただただじっと文次郎がそうしているのを大人しく座って眺めている。

ほとんど丸一刻もその距離は変わらなかった。

一段落と刀を降ろし、肩で息をしながら流れる汗を拭い、文次郎はやっとに視線を向けた。

「……よく飽きずにいるな」

「うん」

「することがないなら帰ったらどうだ」

「あのね」

は文次郎の問いを丸無視して別の話題を振った。

「学園中の噂になったのよ」

「……知っている」

文次郎は面倒くさそうに刀を鞘に収め、息をついた。

「どこの誰が最初に知って広めたのかはわからんがな」

「どうでもいいわ」

「ああ、どうでもいい」

実に興味なさそうな素振りで、文次郎は暑いと呟き装束の衿を開いた。

「……お前、毎晩俺の鍛錬に付き合ってなにをしてるつもりなんだ?」

「えー、うーん、なにも」

「なにもねぇのかよ……時間を無駄に使うな」

「風邪を引く前に帰れと素直に言えないのが潮江くんらしいところ」

「うっ、うるせぇ!!」

恐らく図星だったのだろう。

文次郎はムキになり、真っ赤な顔で言い返した。

対するは涼しげな顔ですましている。

「……ふた月経ってもお前の頭の中はどうにも読めん」

「なにも考えてないからよ」

文次郎は訝しげにを見やった。

だからこそ信憑性のある言葉だと思えば、さらりとそんなことを言う自身にはやはりつかみ所などなく、

彼の脳裏に困惑を招くばかりであった。

「お前も少しは鍛錬を積んでみたらよかろうが。刀でいいならもう一本あるぞ」

は遠慮するわと答えつつ自らのひざに頬杖を付き、にこりと文次郎に笑いかけた。

「ランニングも、筋トレも、手裏剣も、戦輪も、棒も、そろばんも、銃も、弓も、バレーボールも、教科の課題も、

 全部優秀なのはここ何か月かでよぅくわかったけど、刀もいけるんだね」

「……フン」

当たり前だ、といわんばかりに文次郎はから視線をそらした。

は気にせずに続ける。

「実習だって言ったでしょ、この間」

「……聞いた」

「引っかかってくれた上に付き合い続けてくれて嬉しいけど」

文次郎は手持ち無沙汰を誤魔化すように、一度鞘に収めた刀をまた意味もなく抜いた。

刃が鞘の中を走る鋭い音がした。

それは見るからに話を聞きたくないという仕草で、はそれを見て満足そうに微笑む。

「だから潮江くんには実感としてわかってると思うの。男を殺すのに刀は使わないのよ」

鍛錬にもいろいろあるわ。

実に美しい害のない笑みをは浮かべ、なんの悪意もないようにそう言った。

そのセリフにぞっとしながら、それでも文次郎がに一瞬目を奪われたことは、

端で見ている友人一同から見ても明らかであった。

その一瞬を不覚だと打ち消すように、文次郎はややわざとらしく手元に視線を落とし、先程抜いた刀をまた鞘へ収めた。

「散漫」

「承知だ」

短いやりとりだけを交わし、文次郎はため息をついた。

「ふた月のあいだで俺は一度もお前に勝てたためしがない。今日も殺されたのは俺だ」

「そのようね」

思うとおりの言葉を文次郎から引きずり出し、は満足げに立ち上がった。

「今日の鍛錬は終わり?」

「そうする」

「じゃ、帰ろ」

「ああ」

文次郎は渋い顔のまま、先に歩き出したのあとに着いた。

そのまま二人の背が遠ざかり見えなくなるまで、尾行していた彼らはじっと息を潜めて待っていた。

文次郎は黙々と鍛錬を続けていて、はそれをじっと眺めていた。

そのあとで会話はしていたが特に恋人同士らしい話には聞こえなかったし、

寄り添うことも触れ合うこともまったくなかった。

これを恋人同士と呼ぶのなら、なんと殺伐とした関係であることか。

恋愛という言葉とその甘やかさがなんとも似合わない男と、どうにも不可思議な存在である女とのその関係は、

見ていた彼らには到底理解の及ぶものではなさそうだった。



二.サイドの話

次の機会は忍たま・くのたま共同の某演習場近辺で訪れる。

とくのたまの友人達が談笑しているところへ出会した者が、その内容を友人達に伝えた。

彼は即座に気配を潜め、後ろめたさを抱くより先に好奇心が走り出すのを止められず、

大した悪気も感じぬままに立ち聞きの姿勢をとった。

ちょうど潮江文次郎の話題がのぼっていたのである。

「噂を聞くまで全然気付かなかったのよ」

「言ってくれればよかったのに」

はそうねぇ、と首を傾げた。

くのたまたちもつい最近までその事実を知らなかったらしいことは、聞いていた彼には意外に思われた。

「しかも、潮江文次郎! びっくりしちゃった」

「どうしてよりにもよって」

「アレのどこがいいの」

友人の恋人をさらりとアレ呼ばわりし、彼女らはに詰め寄った。

はのんびりと、傾げていた首を逆方向へまた傾げる。

それだけで特になにも答えないところに、友人達は構わないで畳みかけるように続ける。

「あんなのが相手でも恋人でしょう?」

「どこまでいったの、どういう奴なの」

「白状なさい、!」

はぼやけた声でうーん、と唸ってから口を開いた。

囲むくのたまたちが期待に目を輝かせる。

「この間の実習課題、外に出るのが面倒だったから、学園内で難度の高そうな人を相手にしてみようと思って」

思いがけない答えに、友人一同はぽかんと口を開けた。

「え……あの課題の標的だったの?」

「潮江文次郎を選んだの? わざわざ?」

そう、とはこともなげに頷いた。

「先生方ってのはさすがに無理があるでしょ、たかだか課題なんだし。

 それで潮江文次郎──忍たまの中では一・二を争うと私は思っていたし、

 性格も気難しくて攻略するにはそれなりに難度高そうだし、ちょうどいいかなって。

 でも見知っていて割と近所に暮らしている相手だと後腐れるってことに気付かなかったのよね」

ああ、あんたって子はとくのたまたちは気の毒そうに呻いて頭を抱えた。

端から眺めている彼も、暫定恋人同士にはなにやら裏事情があることを知って息をのむ。

「……で、後腐れちゃったのね?」

「一言でそうとも言えないんだけどー」

は宙を仰ぎ、少し考えを巡らせる。

「なりゆきと言えばなりゆき……」

「愛のない言葉ね」

「手遅れになる前に別れたほうがいいんじゃないの? 噂ばっかり広がっちゃって」

「それはいいの」

はひらひらと何事もなかったかのように手を振る。

「愛し合うのはこれからでいいわ。あの人意外と色恋沙汰にはうぶなのよ。奥手なの」

わけがわからんと、友人一同は首を傾げた。

はひとり満足そうににっこりと笑う。

「“デート”じゃだめだけど“鍛錬に付き合う”ならオッケーなの。そういう人なの。

 忍者することばかり精一杯六年もやってきたから、恋人を大事にするっていうのがどういうことかがわからないの」

「……そんな奴とかたちばかりも恋人をやってて、何か楽しいことでもあるの?」

「結構面白いわよ? 欲はあるのにどうやって手ェ出していいかわかんなくてもじもじしてるんだもの」

は可笑しそうにくすくすと笑い出した。

もはや理解不能と友人達は黙り込み、更に外側から盗み聞いている彼もさすがに呆気にとられていた。

「なんだかんだ、やさしくて紳士だったりして、結構いい男なのよ、潮江くんて。

 私、じゅうぶん彼のこと好きでいるつもりなのよ」

そう言って満面に笑みを浮かべているの様子はそれまでとはほんの少し違った雰囲気を纏っているように見えた。

彼はじっと物陰で盗み聞きを続けながら、の思考回路を理解しようとしたが、無駄な足掻きのようだった。

ただ、理屈ではないところ──じゅうぶん好きでいるつもりと言って笑ったの姿は、

取り繕ったようなくの一たちの澄まし顔からはかけ離れて見えた。

忍者馬鹿の不器用な友人もそれなりに想ってもらえているらしいと感じるにはじゅうぶん足りて、

彼は安心するとそっとその場を離れた。



三.潮江文次郎サイドの話

その話題がのぼるなり、文次郎はあからさまに不機嫌そうな顔をして見せた。

恐らくは照れ隠しの動作であるが、話題が彼自身の色恋沙汰であったことはこれまでに一度としてなかった。

「……今更知った風な顔をしても不自然だぞ。先日俺のあとを尾けてきて一部始終聞いていただろうが」

興味津々で身を乗り出していた一同はあはははと引きつった誤魔化し笑いを浮かべる。

呆れたため息をつき、しかし文次郎は億劫そうに口を開く。

そんな素振りを見せもしないのは相変わらずだが、少しは誰かに話を聞いて欲しかったのだろう。

「……接触してきたのは向こうのほうからだ。そのときは知らなかったが、実習課題だったらしい」

とくの一たちが話していた内容を彼らは思い返した。

彼女らはの実習の標的が文次郎だったという話をしていたのである。

「つまり、男ひとり落としてこいという課題で」

それで選ばれちゃったの、と遠慮のない問いを受け、文次郎はたちまちそちらへガンを飛ばす。

「……自主トレを続けていたところへ手裏剣を打ち込んできやがったんだ。八方手裏剣が腕をかすめた」

御丁寧に薬が塗られていたと文次郎は付け足した。

彼は手裏剣がとんできた方向を見定めて即座に反撃に出た。

相手が誰かは知れないが、侵入者でも学園の者でも自分の鍛錬にはちょうどいいと彼は踏んだ。

そうして追った先にいたのがだった。

刀の切っ先を突きつけられ、逃げ場のない壁まで迫られてなお余裕の笑みを浮かべ、お見事、潮江くん、そう言った。

それが最初だったのだ。

「……薬を塗った手裏剣投げられて、それでなんで惚れる」

「この俺に挑んでくるなどくの一にしては度胸が据わっていると思った」

兎にも角にも彼の感性からすればそれが第一である。

文次郎の腕をかすめた傷の手当てと毒消しをは手際よく行い、

そのあいだ文次郎は至近距離からの様子をじっと眺めていた。

その視線に気がついていたのだろう、は不意打ちのようなタイミングでチラと上目遣いに文次郎を見上げ、

蠱惑的な笑みをその唇に浮かべて見せた。

今となっても彼は最大の不覚と覚えているが、そうして視線が絡んだ瞬間彼はかぁっと赤くなってしまった。

どうしたの、潮江くん。

が何もかもわかっていながらわざわざそれを問うた。

どうもこうもせん、と投げやりに返し、あとわずか巻き終わらない包帯を無理矢理奪って文次郎はと距離を取った。

それからは毎晩、文次郎のところへ顔を見せるようになった。

ただ鍛錬にちょっかいを出してみたり、何もしないで意味ありげな視線だけを寄越し続けてみたり、

思わせぶりだが遠回しには辛抱強く一か月ものあいだひたすらアプローチし続け、

とうとう文次郎を押し負かした。

一体なにがしたいんだ、何が目的なんだとに迫った文次郎に、はこともなげに、あなたが、と答えた。

言われた一瞬、気が抜けたのか文次郎は迷い子のような、不安混じりに救いを求めるような目をに向けた。

それが慣れぬ恋に落とされどうしていいかわからないという暗示だと、は簡単に見抜くことができる。

けれどあなたの気を散らし続けてきたのよね、邪魔ならばもう来ないわと、

押し続けてきたところをは一歩引く作戦に出、次の夜は本当に文次郎を訪れなかった。

それでしびれを切らしたのか不安になったのか、その次の夜、今度は文次郎がを探して学園の中を歩いたのである。

口でそうとは言わないが、その態度は迷いながら確実にを求めていた。

それで、は文次郎を相手に課題を見事クリアしたと認定された。

詳しい事情を聞きたがる友人に、文次郎はあった出来事をそっくりそのまま語ってやることはできなかった。

からかわれるのが落ちである。

普段三禁だのなんだのとうるさく言っているのが文次郎自身であるだけに、

彼が自らを探して歩いたなどと暴露しようものならとんでもない失態として噂が学園中を飛ぶに決まっている。

恋人ができたらしいという噂だけで文次郎にはじゅうぶんだった。

仕掛けてきたのはのほうで、元々はの課題の標的に選ばれたというだけであるがなんだか今もずっと続いている、

そこまで話したところで文次郎はだんまりを決め込んでしまった。

身のまわりにそう多くは発生しない色恋話に友人達は好奇心を隠せずに根ほり葉ほり聞こうとしたが、

文次郎は頑として口を開こうとはしなかった。

一日中そんな状態が続き、日が落ち長屋の自室にそろそろ引き取ろうかという頃、

彼らはやっと文次郎から一言だけ引きずり出すことができた。

「お前らはうるさく言うかもしれんが、あれはあれで結構いい女だぞ」

言って文次郎はなんだかしてやったりと言いたげな笑みを浮かべたもので、友人一同はぽかんとしてしまった。

どこかで似たようなセリフを聞いたなと思い、が友人達にそう言っていたことを思い出す。

あ、なんか、意外と普通に惚れているんだ、

そんなことを今更のように考え、いつもどおり鍛錬の名のもとに恋人に会いに出かける文次郎を彼らは黙って見送った。

まぁ、今後はあとなど尾けずにおくのが文次郎のため、のためというものである。



四.そして結末

いつもどおり文次郎は夜中の鍛錬に精を出し、はその場をただひたすら見守るに徹して時間は過ぎていった。

「ねぇ、潮江くん」

が途中で声をかけ、文次郎は荒い息を飲み込んでのほうを振り返った。

「みんなにいろいろ聞かれたでしょう」

「……噂がずいぶんあちこち回ったらしいからな」

忌々しい、と文次郎は言い捨てた。

は悪気なくにっこりと微笑み、どぎつい一言を放った。

「あの噂、私」

「あ?」

「流したの、私」

「ハァ!?」

「ほんと」

「ん、な……! なんてことしやがんだ、貴様ァ!!」

「私がみんなに認めて欲しくて噂を流したってことを潮江くんに知らせたら、

 少しは信じてもらえるんじゃないかとか思って」

「なにがだ! この愉快犯!!」

愉快犯、という妙に的を射た罵倒にはクスリと笑いを漏らした。

今、文次郎は照れではなく怒りで赤くなっている。

まぁまぁ落ち着いてとなだめにかかるように、は穏やかな口調を崩さずに続けた。

「課題の外でも、結構潮江くんのこと気に入ってるって、わかってもらえないかと思って」

「……!」

「私、努力家って結構好きなの。慣れたら一途に愛してくれそうな気がするじゃない?」

「こ、このアマ……」

「だからもうちょっと恋人らしいことしましょうよ。今度から」

口をぱくぱくとするばかりで声もない文次郎にはついと歩み寄った。

「生意気言うのは、この口よ? 味見してみる?」

誘うように薄く色づいた唇を自ら指さし、は思わせぶりに微笑んで見せた。

文次郎はぐっと言葉に詰まった。

余裕ぶっていつもいつも俺の先回りをしやがって、こいつ。

今度は先手を取られてたまるかと、彼は衝動的に、理性が仕向けたのと反対の行動に出ていた。

の纏う夜着の襟刳りをつかんで思いきり引き寄せ、噛み付くようにその唇を奪った。

まさか文次郎が挑発に乗るとは思っていなかったようで、力ずくの口付けを受けて目を丸くした。

抵抗するなどという考えもちらりともよぎらぬまま、はただただ驚いてじっとしてばかりいる。

「……目ぐらい、瞑れッ」

ほんのわずか離れ、ぶっきらぼうにそう言い放った文次郎は傍目にも可笑しいほど真っ赤になっていたが、

今度ばかりはにもそれを笑う余裕がない。

まだまだぽかんとしたままでまっすぐ文次郎を見上げるの頬は、薄暗い夜の中にもほんのりと赤く、

文次郎はそれで初めて自分が出た行動を冷静に察知し、今更改めてドキリとさせられた。

「……なんだ、お前、くの一のくせに。このくらいで照れて」

「潮江くんこそ、乱暴よ、少しくらいやさしくできないの」

の文句に文次郎は反論もできなかったが、その意味だけは素直に受け入れた。

相当おずおずとしながらも掴みかかっていた襟を離し、その指でそのままそっと髪を撫でてやりながら、

彼は今度はできうる限り、彼の考え得る限り精一杯やさしく口付けた。

やがてが瞼を伏せたのが彼にもわかった。

無骨者の己がどれほど試みたところで及ぶやさしさなどたかが知れていると彼は投げやりに思っていたが、

が逃げずに目を閉じて受け入れてくれたことにはただひたすら胸の奥で熱く感じ入った。

最初こそくの一の計略にまんまとはめられたのには違いなかったが、

想いの成就することの幸福感をこうも知ってしまっては、一も二もなく三禁とばかり叫んではいられそうもない。

離れると、は熱い息をつき、とろんとした目を文次郎に向けるとちいさな声で、酔いそうよ……と呟いた。

文次郎はまだ赤くなったまま、しかし少し得意げにフン、と笑い。

「……こっちばかりやられ通しだと思うなよ」

「今のはわかってるわよ、私の負けよ……」

男を殺すに刃物はいらぬ。

しかし今度ばかりはが文次郎のペースに抵抗もしないで引き込まれてしまった。

拗ねたようには文次郎を軽く睨む。

一瞬後、打ち合わせたように同じタイミングで、二人はおあいこだろうと可笑しそうに笑いをこぼした。

しかしその帰り際、人気のなさそうなところまで手を繋いで歩く間にが不意打ちで囁いた言葉が、

この夜の事実上の決勝点となった。

“潮江くんも意外と格好つけできるんじゃない。惚れ直しそうよ”



更に後日、学園を新たな噂が駆けめぐり、今度は誰に問わずともその出所をはっきり確信していた文次郎が、

今や学園中で公認となった恋人を追いかけ回す光景が見られた。

忍たま・くのたまの友人諸氏は、

ああ、なんかアレってつまり、じゃれ合ってるんだよねぇと一致した意見を交わしつつ、

まだまだ恋人同士が様にならない二人の様子を一歩離れて見守るのであった。