遊びにどころの話じゃなかった


ぜひ、遊びにいらしてください。

聞きようによっては社交辞令、また一方では気のある素振り。

今私に向けられたこの言葉は一体どっちの意味合いかしらと、は聞いた一瞬のうちにさっと思考を閃かす。

はくの一である。

ひとつの任務を協力してこなすのに、ことが円滑に進むよう振る舞った。

それは実のところの思ううちではつかず離れずくらいの態度でしかないのだけれど、

今目の前にいるうちは仲良くしておきましょうというだけの友好的な態度ではいたつもりである。

相手は本当に忍としてやっていけているのかしらと少し不安になるような優男なもので、

たびたび拍子抜けしてしまったという部分は否定のしようもないのだが。

人に疑わせることをしないというのは、ある意味ではとても稀で貴重な才能だとは思った。

こんな顔をして、いざ任務となれば相当な実力者であったし。

さりげなく何度か危機を助けられ、彼はそれを鼻にかけるような顔もしないで無事で良かったと笑っていた。

顔に出るほどばか正直というところがときどきなんとかなれば満点を出せるだろう。

さて話を元に戻して、と、は遊びに来いと誘ってきた相手をまじまじと見やった。

別れ際の一言で漠然とでも次の約束を取り付けてこようとするあたり、相手はに好意的であるようだ。

社交辞令ならば 遊びに来てください、ではまたいつか、それで踵を返すだろうにこの男、

の返事を待っている。

なんにせよ後味の良い印象で去っていきたいのだろう。

よこしまな意図はないはずである、だって呆れるほど“いい人”なのよ、とは思う。

その“いい人”が彼の忍のわざなのだとしたら、それはそれですばらしすぎて涙が出てしまう。

この男、名を土井半助という。

二十代半ばというから、より二・三歳上という程度だろう。

任務を無事に終えるまでは特に彼個人については知らなかったが、

ささやかな祝杯を交わしたときに酔いの勢いか、彼は己の身を置く環境について少しに教えてくれた。

なんでも、かの大川平次渦正が開学したという忍術を指南する学園の講師をつとめているとか。

大川平次渦正といえば、かつての忍世界で天才忍者と声高に叫ばれた、にとっては伝説の忍のひとり。

まさかその伝説がいまだ現役で(生きていて、という意味)学園なんか主催しちゃってるとはは思ってもみなかった。

だから、興味はあったのである。

「本気にいたしますわよ」

「あ、嬉しいな。学園長先生も喜ばれますよ」

土井半助はまるで裏のないようににこっと笑った。

大川平次の名を出して、の意識を自分から少ぉしそらそうとするあたり実に如才ない。

しかし意識か無意識かといったら、多分無意識でそうしているのだろう。

それくらい本当に“いい人”なのよ、もう。

「人数は少ないですが、くの一の教室もあるんですよ。くの一教室はなかなか優秀でね」

「そうですか。それは」

よきよろしきことですね。

は反応を決めかねてぼんやりとした答えを返した。

社交辞令……じゃあ、ないだろう。

本気にしてくれたらもうけもの、くらいの期待をかけて、土井半助はを誘っているのである。

そこにある本音はなんだろうとは考えた。

別に今分析してしまう必要などないのだけれど、これはもうくの一としてのの癖だ。

判じ損ねたら命がないというのも、場合によっては大袈裟な話ではないから。

「土井さんが教えてらっしゃる生徒さんもいるんでしょう」

「ええ、担任を持っているクラスがひとつ……いや、お恥ずかしい話、

 うちの子たちはなんと言いますか……あまり出来のよろしい子たちではなくて」

言いながら頭を掻いてみせるが、顔は笑っているので出来がよろしくないなりに可愛い生徒なのだろう。

ううん、この顔は初めて見たわ。

は微笑み返す裏で慎重に彼を観察した。

“先生”の顔など任務中に見せることはそれはないだろうが、今となってみれば思い当たる節が多々ある。

あの面倒見の良さ!

どことなく説教くさい感じ!

解説に走ると途端に話の長引くところ!

はくくっと笑った。

それをみて土井半助は不思議そうに首を傾げる。

「土井さん、伺ってもよろしいですか」

「はい? なにか」

「どういうおつもりで誘ってくださったのです」

「は……いや、ええと」

しどろもどろである。

任務絡みの駆け引きや建前で接する相手や以外に虚をつかれると弱いらしい。

社交辞令説はこれで完全に却下と相成ったわけだ。

好意を抱いてくれていて、本気にとられればもうけもの……

ああ、そこがいけませんよ、土井さん、あなた、なんてわかりやすい。

「まぁ、……いつでも求職中みたいなものですから、私」

「え……」

「お邪魔じゃないのなら、伺います」

「あ……ええ、ぜひ! お待ちしています」

「いいんですか、歓迎の素振りなど見せて?」

は訝しげに眉を寄せてみせる。

思いがけないことを聞かれ、土井半助はまた不思議そうに目をぱちぱちとさせた。

「担任をしている生徒さん達というのは、いまおいくつ」

「ええと、十かそこらですね」

「十。それは微妙なところ」

「はぁ……?」

「私は」

は持っていた笠を被ると、燦々と照る日を遮った。

土井半助のきょとんとした顔がやけに明るく見えるのが不思議だった。

「土井さんがなんだか、特別な意味でもって、お招きしてくださっているように思いましたので、

 お会いしに参りますには、私もその通りの意味でもってと申し上げているつもりなのです」

「はぁ……ええと、つまり……」

なにか不穏そうなものを感じたのか、土井半助は少し嫌な予感がする、というような顔をした。

はクスリと小さく笑った。

「あのね……小さな子どもは、自分の抱える世界にとても敏感です。

 土井さんはそこでは土井先生なのでしょう。

 土井さんが大事にしている子どもたちの前に、先程申し上げたとおりの意味で私という女が現れましたら、

 その子たち、土井さんの先生じゃない一面を見つけてきっと狼狽するでしょう」

土井半助は目を見開いた。

は構わずに続ける。

「もちろん、あなたが先生である他にひとりの男性で、ひとりの忍であることは言うまでもないことですけど、

 私、その子たちの前では土井先生は土井先生であって欲しいなと思うのです」

「……ああ、まぁ、言いたいことは……わかりますよ」

お見通しなんですねと、土井半助は渋い顔だ。

「傍観者という立場を、私は好いているんです。

 土井さんが生徒さんを慈しんでいらっしゃることはお話を伺う限りでよくわかりました。

 私、遠くからその光景を眺めて微笑ましく思う立場であることが好きなのです」

「それは、私個人とは距離を縮めようがないじゃありませんか?」

困った、お手上げと言いたげな口調で土井半助は言った。

悟られたとあると今度は開き直ったらしい。

その声音にふんだんに含まれるのは、という女に対するなにがしかの期待だ。

「土井さんが御自分で私に寄ってきてくださればいいのですよ。

 ですから、……伺いたいと申し上げましたけれど、いいのですか、歓迎の素振りを見せて?」

土井半助は難しそうに考え込んだ。

唸っている彼をは冷静に見つめる。

やがて彼は、急に目を上げまっすぐを見返した。

「わかりました。

 ……あなたがいらしたら、学園中が歓迎するでしょう、プロの忍者となれば憧れの的ですから、子どもたちも喜びます。

 私ももちろん、歓迎しますよ。いろいろな意味で」

「そうですか。じゃ、遠慮なく」

なにがどうわかったのかはわからなかったが、

とりあえず彼が納得ずくでを誘うという結論に達したらしいので、もそれで納得したことにした。

さんには人を見抜く才がおありのようだ」

「そうですか? くの一なら必要なことです」

「その通りです。そこに長けていらっしゃるから、この若さで一流の仕事と呼ばれるんですよ。

 学園に必要なのはそんな人です」

なんだか話の風向きがおかしくなっている。

は首を傾げた。

おかしそうに笑って、土井半助はそろそろ行きますと言いたげに一歩踏み出した。

「じき、あなたの連絡先宛てに学園から御招待の書状が行くでしょう。

 実は、今学園で少々困ったことになりまして、人手が足りないのです。

 それで、教職員達は出張やら外部任務やらでこれは、と思う人に出会うことがあれば、

 その人をスカウトすることを許されています。 

 ──学園長にはあなたを推薦しておきます──そういうかたちなら、考えてくださいますね」

は呆気にとられてぽかんと口を開けてしまった。

土井半助はその反応に心の底からおかしいといったように苦笑して、

私自身とのお付き合いはそのあとで、長期戦も辞さない覚悟です、と軽口めいた言い方でさらりと告げた。

「では、これでお暇します。さんとの仕事は実にやりやすかった。

 あの鮮やかな手並み、間近で見られてとてもいい経験をしましたよ。
 
 またお逢いしましょう……近いうちにね」

「……わかりませんわよ」

「さぁ、どうでしょう? 休職中なんでしょう? いいところですよ、学園は」

思いもしなかった方向に言いくるめられて話が終わろうとしているのに、

は悪あがきの一言を投げるのが精一杯だった。

小さな抵抗が可愛いと言いたげに“いい人”らしい微笑みを向け、土井半助は町へ向かって歩いていった。

ぽつんと残されたは考える。

大川平次渦正の開学した忍術を指南する学園……流派を問わずに集められたらしい優れた忍たち。

次の世代を育成するのも楽しいのかもしれない。

は夢を思い出すかのようにゆるゆると考えを巡らせた。

それに、土井さんもいるんだわ。

彼が大事にしている生徒達も。

楽しいかしら?

少しずつ興味がわいていることに気付くと、ははっとしてぶんぶんと首を横に振る。

いけないいけない、ハメられていない、私?

「先のことはわからないわよ!」

言い聞かせるように吐いたセリフは、空回りするように耳に響いた。



約ひと月後、

大川平次渦正が差出人の書状を握りしめ、

が学園の門をどんどんと叩いているのを実習帰りの一年は組のよい子たちが取り囲んだ。

実習監督をしていたらしい土井師範はしれっと、ようこそ、さんと笑ったという。