夜の海の波の上には、松明の灯りが点々と揺れていた。
叫び交わす声、刃のかち合う音、やがて悲鳴と怒号。
混乱きわまる船上に、行き交いながらひそやかに報告を交わすものたちがある。
「見えたか」
「いや・どこにもそれらしき姿はない」
「一面識もないものをどうして探せというものか」
「わかるだろう、相手は『姫』だ」
「すでに亡き者でなければな」
「不吉なことを」
囁き交わし、彼らは船上から海のおもてを見渡した。
しかし夜の真暗い海の上を、ひとの目で見極めるには限りもあろうというものだ。



この夜、小湾に停泊した船上では宴が開かれていた。
他愛のない名目である。
集まったものたちの目当てはもっぱら酒・酒・酒。
宴を催したツクリタケ城のあるじをはじめ・皆がほろ酔い加減で賑々しくあるその頃に、
人目を忍ぶようにこっそりと乗船してきたものたちがあった。
「姫君ご自身に引き合わせるいとまもなく申し訳ない。
 ただ、ことはもしやすれば急を要するゆえ、このような慌しい状況ではあるが、可能な限り尽力してもらいたい」
先に立って乗船したひとりが、後に続くものたちを振り返って囁いた。
男は手短に八曽助と名乗った。
年は二十と少々といったところか、きりとしたまじめそうな面立ちの青年である。
後に続いたものたちはそろって濃緑の装束をまとった忍であった。
忍のわざを指南する学園、忍術学園から命を受けてやってきた精鋭六人の生徒、
潮江文次郎、立花仙蔵、中在家長次、七松小平太、善法寺伊作、食満留三郎。
やや緊張した雰囲気を帯びつつも、彼らは八曽助の言葉に頷いた。
彼ら六人がこの場にあるのは、
とある任務──先日、学園長・大川平次渦正より直々に言い渡された──を果たすためである。
「姫君は人前にお出ましになることを厭われるゆえ、宴の輪の中にはおいでにならぬが常。
 立場上無視を貫くわけにも参らぬのでこちらにあらせられる。
 まずは姫君のご尊顔を拝見し、そののちよくよく務めてもらいたいのだが、この場は人目が多すぎてな……」
八曽助はうんざりといった素振りで、賑々しい宴の喧騒を横目でにらんだ。
船上には宴席のための大きな広間が設えられ、大勢の賓客たちがその中にひしめき合っているはずだ。
月と波とを愛でることができるよう、明かり障子と屋根の一部を開け放つことができるようになっており、
今宵のようによい月の夜にはなかなか凝った酒肴を供してもくれそうなものだが、
障子も屋根もぴたりと閉め切られたままの現在はひたすらにだだっ広い部屋でしかなかった。
室内にこもっていれば波の揺らぎを身体に感じる以上に海の気配も感じることはないだろう。
わざわざ船の上で宴を行う意味が今のところは感じられない忍たちである。
「……宴の輪の外におられるとはいえ、船上は常に来客ご一同から下働きのものまで、人が行き交っている。
 その中で新参の者を誰にも知られず姫君のお側近くに控えさせるのは無理があろうというもの。
 かといって、姿を隠すのも狭い船上では至難のことであろうが……ひとまずは手並みを拝見するとしよう」
六人は息ひとつ乱さず頷いて、音も立てずに姿を消した。
瞬時のことに、わかっていたはずの八曽助も思わず息をのんだが、
気を取り直して踵を返すとあるじを探しに船上に視線を巡らせた。

此度彼ら六人に命ぜられた任務は、彼らにとってこの上なく重い意味を持つ一件であった。
年度の終わり、学園を正式に卒業する許可を得るための卒業認定試験である。
毎年度その試験の内容や難度に差が生まれるのは、
その時期学園に寄せられた任務の中から卒業認定試験に相応と思われる件をあてがうためである。
今年度、十数名ほどいる最上級生のなかでも、彼ら六人に与えられたこの一件は、
学園長をして・史上最難関・かも? と言わしめた任務であった。
告げられた任務の内容を素直に鵜呑みにしたとするならしかし、
これが最難関とはいったいどうしたことかと疑いたくもなるような単純きわまる課題である。

──お前たち六人に与えるのは、ある城の姫君を期間中護衛することじゃ。
続きがあるものと思って、六人は身動きひとつとらずにじっと聞きの姿勢を崩さなかったのだが、
学園長は満足げにふんと息をついたきりそれ以上何を言う様子も見せなかった。
ややあって六人は、まさか、と言いたげに視線を見交わした。
卒業認定試験とあればそれなりに難度の高い件ではあろう、
しかし六人がかりで姫君ひとりの護衛の任務“だけ”とあらば、なんと他愛のない話か。
任務を甘く見て油断する彼らではもちろんなかったが、
もっともっと厳しい、命にも関わろうかというような危険な任務を申し付かるものとばかり思って覚悟を決めていたのである、
拍子抜けしてしまったことも仕方がなかっただろうか。
ざわついた空気に生徒たちの動揺を見て取ってか、学園長はぶふぉと笑ってあとを続けた。
──護衛と聞いて甘く見るでないぞ、お前たち。
──この任務にはこれでもかというほどの苦難が待ち構えておる。
──それを思えばもしや、この任務こそは卒業認定試験としては過去最難関……かも? しれん。

姫君を探して船上をさまよい歩く八曽助の目に映らぬ場所に位置取って、
六人の忍のたまごたちは己らがあるじと定めるはずの姫君の姿を見んと端々に目線を走らせる。
宴はいよいよ賑々しく、その輪から抜けた位置になどひとの気配はちりともない。
宴の喧騒と、おんおんと唸る波の音ばかりが耳にうるさい。
なにやら生暖かく不穏な空気に、彼らはじっとり、息をひそめた。
刹那である。
遠くでかすかに、ぱしゃん、と不自然に水のはねる音がした。
途端、宴の席にあがる叫び声、悲鳴。
ものが激しくぶつかり落ちる音が響き、人々が惑い走り回る足音で船上は瞬時に混沌に包まれた。
「敵襲!」
鋭い叫び声があがるのが合図である。
六人は目配せすらもしなかった。
守るべきあるじを探しに、彼らは駆けた。
混沌の中、それでも彼らは状況を正しく分析するだけの情報を聞き分けた。
「火をもて、あかりをもて!」
「賊は海へ逃げたか!」
「殿はご無事であらせられるぞ!」
「若君! 動いてはなりませぬ」
「誰ぞ、追っ手を!」
「殿のお命を、若君のお命を狙った不届き者を、決して生かしてはおくまいぞ!」
彼らはほうぼうから、海を臨む場に身を伏せてあたりの様子をうかがった。
──水の音がする。
それは寄せて返してを繰り返す波の音でも、その波が船に当たってはね散る音でもない。
水をかきわけて泳ぐ、歩く……そのような音。
彼らは音の源へ向かい、また走る。
そしてそのとき、ふいに──やっとのことで、望んでいた情報を耳にした。
「姫君は──姫はどちらにあらせられるか?」
彼らの胸の内に押し寄せたのは、やりきれない、やるせないような、切ない思いであった。
史上最難関かもしれないという、卒業認定試験の任務。
それが大袈裟な物言いでも冗談でもなかったということの片鱗を、彼らは悲しく知りつつあった。

──お前たちのあるじとなるのは、ツクリタケ城・先代城主の姫君。
──御名を姫という。

「見えたか」
「いや・どこにもそれらしき姿はない」
「一面識もないものをどうして探せというものか」
「わかるだろう、相手は『姫』だ」
「すでに亡き者でなければな」
「不吉なことを」
見回した先はただ広く広く海が続く。
今は聞こえぬあの不自然な水の音を捉えようと、彼らは呼吸を止めた。
最初に顔を上げたのは小平太であった。
「いた!」
風のように走るのを瞬間遅れて皆が追う。
つま先でやっと立てる程度の足場を軽々飛び移り、小平太は船からいち早く降りて港の岸辺をまた駆け出した。
そのときには誰の耳にもまた水の音が聞こえていた。
ごぼごぼと、空気が漏れて泡立つ音が。
彼らは闇の中をわずかうごめく賊の男ふたりを見た。
腰までを海につかり、ふたり向き合って海のおもてにかがみこむように腰を曲げている。
男たちはそれぞれ片手に、白い細い手首を捕まえていた。
その手首のあるじは──水の中である。
ざば、と派手な音をたて、彼らのもう一方の手が水の中から何かを引きずり出した。
長い髪を掴まれてぐったりと引きずられているのは、人間の女である。
女はごほごほと咳き込み、水を吐いた。
男たちはまた、女の頭を水に押し付け沈めた。
目の前で溺死させられかけている、この女。
この女こそが彼らのあるじたる姫君──姫に相違ない。
身体はすぐにの救出へと向かいながら、彼らの脳裏には再び、悲しい思いが色濃くよぎった。
(なぜだ)
(なぜだ?)
(どうして抵抗をしない……)
かろうじて、まだ息はあった、しかし意識を失っているのかもしれぬ。
それにしても。
水の中での戦闘にやや苦戦しつつも、多勢に無勢である。
賊を仕留め、全身ずぶぬれの娘を抱え上げると、彼らは各々も水びたしの姿でやっと岸へ上がった。
遅れて駆けつけた八曽助が、姫君、と叫んだ。
伊作が忙しく応急処置にあたり始める。
賊の男ふたりを縛り上げ、残る五人は祈るような思いで船の上を見上げた。
誰も、を探しに来ない。
じわじわと頭痛の迫り来るのを感じながら、彼らは皆、学園長の言葉をぼんやりと思い返していた。

──姫君の御名は姫。
──御年十五……ツクリタケ城先代城主のひとり娘にして、城主の座の正当なる後継者。
──直系の血を唯一受け継ぎながら、その存在を否定されつづけてきた姫君じゃ。

は激しく咳き込むと大量の水を吐き出し、やっとのことで正常な呼吸を取り戻した。
一同の安堵に、あたりに満ちていた緊迫感がわずかにゆるむ。
どこか安全で設備の整った屋内へと伊作が指示を出し、八曽助が頷いて手配に走る。
全身ずぶ濡れの姿の姫君に場しのぎに忍装束を着せかけると、伊作がそっとその身を抱え起こした。
いまの目尻から流れ落ちたのは水のしずくか、それとも涙か。
これが己らのあるじなのだ。
彼らはそれを、信じたくなかった。
身体を張り・命かけてもお守りせよと命を受けたあるじは、己を殺そうとするものたちに抗うこともしなかった。
意識を失っていたという説明では、どうにも腑に落ちなかった。
六年間積み上げてきた鍛錬のおかげで、人間の身体の機能がどのようにはたらくものか、彼らはその身でよく知っている。
あらゆる可能性をめまぐるしく考えたあとで、彼らが辿り着いた結論は絶望の感にも似たものがあった。
この姫は、生きようと思わなかったのだ。
彼らの見ているその前で、迫り来る死にその身のすべてをまかせ……は自ら命を捨てようとしていたのである。




“世界を敵に回しても、己を賭ける価値があるのか?”



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