ツクリタケ城は構造もめぐらされた守護のものたちもすべてが堅固な城であった。
八曽助の手引きを得てやっとのことで城内にもぐりこんだ彼らは忍の装いを解き、
姫に仕えるものたちが普段控えているはずの次の間に並んで座していた。
姫の暗殺を未遂にとどめたその深夜である。
疲れと緊張の張りつめたままなのか、いまだ苦々しい表情を崩さずに、八曽助は彼らと向かい合って座った。
ふう、と大きなため息をつくと静かに口を開く。
「……危惧は杞憂で済まなかったようだ。
 そなたたちのおかげで姫は命拾いをすることができた。感謝する」
誰ひとりとして頷くことも首を横に振ることもせず、言葉で返事もしなかった。
室内に満ちているのはただただ重苦しい沈黙ばかりである。
八曽助も、目の前の忍たちがどうしてそのように黙りこくっているのかには薄々感づいていた。
言いづらそうに逡巡してから、彼はまたゆっくりと、口を開いた。
「……何から話せばよいものか……
 護衛の依頼をするほどなのだ、姫がお命を狙われているということはそなたたちにも察しがつくだろう。
 姫はツクリタケ城先代城主の直系の血を受け継ぐ唯一のお方。
 先代城主のお従弟にあたられるお方が城主の座につき、その嫡子である若君が後継ぎに指名されているが、
 本来ならば姫が城主の座を受け継ぐべき正しきお血筋でいらっしゃることこそまぎれもない事実。
 その複雑なご身分とお立場のため、姫は多くのものたちから御身を望まれ……、
 また他方からはその存在を疎まれ……」
八曽助は苦しげに口をつぐんだ。
彼らはその言葉にはまだ答えることをせず、そろりと部屋の中へ視線を巡らせた。
どこかひやりとした雰囲気の、人の気配のあまりにも少ない部屋。
先程の船上での騒動に加え、今のこの状況を推察すると、彼らの胸の内にはまた悲しい思いがこみ上げてくる。
城の隅の部屋へ追いやられ、次の間に控えているはずの使用人もなく、
城主の直系の血筋の姫に対する礼儀ではとうていあり得ない冷遇を受けている──
それが姫を取り巻く現状であるに違いなかった。
恐らくこの八曽助という男だけが、ただひとり姫に誠心誠意仕えているのだ。
「姫君御自身は、……騒がしいことをお好みにならぬがゆえか……何も仰らぬ。
 先程のような事態に遭われても、何も……仰らないのだ」
「……命の危機にさらされてもですか? 抵抗もせず……」
静かな、しかし困惑混じりの声で答えたのは伊作である。
八曽助は苦々しげに顔を上げたが、否定することが出来ずに唇を噛んで頷いた。
「……生きる希望というものを……失っておいでのように思われてならぬのだ。
 いつも無気力で……微笑みもせず、声をあげて笑うことも泣くこともなく……」
昔はこんなことはなかった、と八曽助は絞り出すように言った。
「姫の父君……先代城主が御存命であられた頃。
 お美しい母君もお元気で、ご一家はそれはそれは仲がよかった。
 姫は母君似の愛らしい面差しで……その頃はよく笑っていらしたものだ。
 幸福なご家族のお姿、そのものだった」
「何をきっかけにそう変わられたというのです。今のこの……境遇のためか」
かわって口を開いたのは仙蔵である。
八曽助は頷いた。
「母君をご病気で失われ、間もなく父君も崩御なされた。
 お二方ともあまりに急なご逝去であられ、次期城主がはっきりと指名されていなかったのだ。
 話し合いがもたれ、姫に婿を迎えてはどうかという話も持ち上がったと聞くが……
 姫から城主の座を奪わんとするものたちの思惑で、強引に却下されてしまったようだ」
そして、亡くなった城主の血筋の中から従弟にあたる男が新たな城主の座について現在にいたる。
城のあるじが交代となってから間もなく、姫は部屋や持ち物、
使用人たちといった周りを取り巻くものたちを少しずつ奪われ、城の隅の粗末な部屋に追いやられてしまった。
そうして日常忘れられたように扱われ、
来賓がある場合にだけ間に合わせのように取り繕って姿を見せることを求められる。
疎まれ、のけ者にされ、そんな日々が続いていくうちに、姫君は笑うことも泣くことも忘れてしまった。
生きることにすら執着を見せず、暗殺者の手にすらやすやすとその身をゆだねてしまう。
「まるで落窪の姫だな……」
ぼそりと文次郎が呟いたのを、長次が手振りで静かに窘める。
無礼な物言いを諫めたくとも否定することもできず、八曽助は苦しげにあとを続けた。
「……そなたたちにあえて言うのは……あまりにつらい思いだが……
 私ひとりではもう、姫君をお守りすることかなわぬほどに事態は逼迫している。
 しかし……自ら姫君のおそばにあろうとするものは今はもう誰もおらぬ。
 金銭的な事情も同様……探して探して、やっと見つけたのがそなたたちなのだ」
「……プロの忍は雇えなかった。
 プロ未満の学生に頼るくらいのことが精一杯だったということだな」
学生は安いからな、と文次郎が囁き声で吐き捨て、顔を上げるとまっすぐに告げた。
「俺たちがプロとして認められていないということは事実だ。
 しかしその志まで同様に低いと思って見くびられては困る。
 俺たちは忍だ、与えられた任務には己の最高の力をもって応じよう。
 だがあの姫は問題だ、死にたがっている奴を守るのは並大抵のことではない」
「文次郎……一応、雇い主だ」
長次がまた横から静かにたしなめたが、文次郎は構わずに続けた。
「忍とは、あるじの命に忠実であることが求められる。
 ……雇い主はあんたかもしれんが、俺たちのあるじはあの姫だ、そうだな。
 極端な話、手を出すなと命じられれば黙ってその命が絶たれる瞬間を見届けねばならん、
 そういう場合もありうる」
「……それでは、そなたたちを呼んだ意味がない!」
八曽助は慌てて反論した。
「姫君は、この城のため……仕えるものたちのため、城下の民草のため。
 皆のために大切なお方なのだ!
 是が非でも生き延びていただかなければならぬ!
 ……現城主の、悪政には誰もが我慢の限界なのだ……だからこそ。
 姫君は、御自ら命を絶とうなどとは決して思ってはおられぬ。
 ただ……生きよう、とも、なさらない……」
八曽助は苦しげに語尾を飲み込んだ。
またしてもあたりを重苦しく沈黙が取り囲む。
しばしあって、小平太がわざとらしくため息をついて、軽口を叩くふうに言った。
「まぁ、文次郎の言うのは、ほんっとー……に極端な話だけどさ。
 目の前で主人が殺されるのを黙って見てるってことは基本、ないよな。
 でも忍者の仕事ってのは必ずしも敵と戦って主人を守ることじゃあなかったりとかするから、
 あんたの望むお役目を全部そっくりそのまま引き受けるとは言わないよ。
 まあ、なんてーか、けーすばいけーす?? て、やつ」
かわって今度は留三郎が言う。
「つまり、任務の役とは、忍個々の性質によって変わってくる。
 俺たち六人を例にとってもそれぞれに得手・不得手は違う。
 戦って守るほうが合っている奴も、策を弄し情報を操るほうが巧みな奴もいる。
 そうして適材適所とでもいおうか、とにかく姫君を生かそうとする、守る……ということならば、
 俺たち六人もいればどうにかなるとは思う。
 ただ、俺が気になるのは、……暗殺者がどうとかいうところだ。
 聞いた限りでは、姫が身罷って得をするものとなれば」
遮るように文次郎があとを引き継ぐ。
「それは俺も気になっていた。政の事情も聞いておかねばならんな。
 大方、現在の城主に不満を抱くものたちが、
 姫を旗印として新たな勢力を組織しようという動きでもあるのだろう。
 城主側としては避けるに越したことはない動きだ。
 姫さえいなくなれば、そうした奴らの勢いはたちまちに殺がれるだろう。
 謀反の恐れも一時的にであれ・散るはずだからな。
 そのあいだに城主側は謀反を企てる奴を二度と出さんように策を練るなり、兵力を充実するなりできる」
「……場違いは承知で一応突っ込んでおくが留三郎、文次郎、お前たちが同調すると何かと不吉だ。
 口にするなと言いたいところだが……任務ともなればそうもいかんか」
仙蔵が心底面倒くさそうに二人を横目で見やり、場は少々ちぐはぐとした雰囲気に包まれた。
八曽助は深刻になってみたものか、少年たちのやりとりに誤魔化されてみるべきか、
態度を決めかねて視線をうろうろ彷徨わせている。
「……とりあえず」
割って入って話し出したのが長次だったので、一同はぴたりと口をつぐんだ。
声が聞き取りづらいということのほかに、長次の発言には誰もが一目を置いているところがあり、
皆が真摯に聞こうと態度を改めるのが常であった。
「俺たちに圧倒的に足りないのは事前の知識と現状の把握だ。
 急遽それを補う必要がある。
 ツクリタケ城の構造と城下の環境、政の現状、周囲の人間関係……
 最低限この程度は頭に叩き込んでおかねばならない。
 もちろん、姫御自身についても知る必要がある。そして」
長次は一拍おいてから静かに八曽助を見やった。
「……あなたのことも知らなければならない。
 忍とは忍術をおさめただけで一流の仕事ができるものとはいえない。
 人を見、人を知ることで、忍術もまた活きる」
八曽助は圧倒されて言葉も出ず、ただただうんと頷いた。
伊作がじゃあ、と名乗りをあげる。
「まず姫君のおそばにはしばらく僕がついていよう。
 姫君の容態はまだもう少しのあいだは気にかけている必要があるからね。
 僕には医術の心得があります、そこに関しては学園で誰にも引けを取らないと自信があります。
 異論はありませんね、八曽助さん」
「あ、……ああ、よろしく頼む」
「はい、おまかせください。
 そのあいだに少し話でもできようものなら、姫君御自身のことについてそれとなくうかがってみよう」
異議なし、とほかの五人が頷いた。
じゃあ、と小平太が手を上げる。
「私はひとっ走り城下を見てくるよ。
 地理と町の様子と、あと町の人の話も聞いてくる。うまい団子屋あるといいな」
「団子は任務があけてからでいい」
小平太をたしなめ、長次が続いた。
「……俺は書庫の書物を借りよう。この国についてある程度のことは調べておく。
 代々の城主とその政の歴史……城下の様子、事件や事故の記録、時代背景や市井・世論との関連」
皆がそれを了承すると、留三郎が文次郎と仙蔵を指して言った。
「城の内外を動き回るにあたっては、
 新たにこの城に仕え始めた護衛とかなんとか言って、俺たちも城内の人間に顔を売っておかないとな。
 まずはい組二人に任せてもいいか? 現状の把握と分析ならお前らが適任だろう。
 とりあえずその間、俺は伊作とここに残って姫の護衛にあたる」
「ああ、異論ない。伊作に絡んで何かがあったとしても、同じは組のお前なら巻き込まれ慣れているだろう」
「ちょっと仙蔵、それどういう意味」
「どうもこうも」
「伊作、仙蔵、あとにしろ。
 今夜はこのまま姫の守りにあたりながら交代で休み、明日の早朝から行動を開始する。
 この場と姫はは組に任せ、内外の情報はろ組に、城内の様子は我々い組が探る。なにか意見はあるか」
問いの音で結ばない文次郎の言葉に、異議なし、と皆が頷いた。
それを受け、文次郎は頷き返すと八曽助へ向き直る。
「では、そういうことになった、八曽助殿。
 明日の朝から我々は任務を開始する。
 昼に一度、夕刻に再度この控えの場に戻り、それぞれの得た情報を交換して現状を明瞭に把握することに務める。
 なにをどうして役目を果たすかは、状況を鑑みてその都度具体的に考える。それでいいか」
一回りほども年下の少年たちの、忍として応じる姿に、八曽助はすでにすっかり圧倒されていた。
覚悟を決めたように息をのんで、こくりと頷く。
「……おまかせする。私にできることがあるならば……遠慮をせずに、そう言ってほしい」
真摯そうなまっすぐな目線を、八曽助は苦しげに俯かせる。
たったひとりで姫に仕え、その御為に尽くしてきた八曽助だからこそ、
できることなら己も何かの役に立ちたいと心底から願っているに違いなかった。
年若く未熟とされる年齢の“忍のたまご”たちに頼らねばならぬほど切羽詰まって、
藁にもすがり・ねこの手を借りるが如しのその選択肢をなりふりも構わず選び取ってまで、
ひたすらに姫を守らんと東奔西走した──まことの忠臣がそこにあった。
「……姫は幸せだ」
文次郎が静かに言ったのを聞き留めて、八曽助は不思議そうに目を上げた。
「あんたのように、誠実に仕えてくれる奴が……ひとりでもいるから」
文次郎の素朴な口調のその言葉が、確実に八曽助の胸の内を突いた。
ただ一言も答えられずに瞠目するばかりの八曽助を見、文次郎は照れを隠して決まり悪そうに目線をそらした。
「……その幸福に気づかん奴が、世の中多すぎるというのだ」
罰当たりめが、バカタレ、とぶっきらぼうに呟いたのを、聞いて仲間達はくくと笑っている。
「では、明日」
「明日」
囁き交わして、騒動で始まった任務の初日は終わりを迎えた。
長いながい、夜をいまひとつ越え、また次の一日が始まる。



“世界を敵に回しても、生き延びるため策を巡らす”