が電車に乗るまでを見送ったあと、駅を出て部屋までの道のりを戻り始めてしばらく、
携帯電話に奴らからの罰第一弾、のメールが届いた。
アイス買って来い、ハーゲンダッツ、だと、冗談じゃねえ調子のんな、ふざけんな。
とは思ったが、俺は結局スーパーに寄ってハーゲンダッツを六つ買っていた。
奴らの怒りが怖いんだろう、たぶん。
奴らは今ごろじりじりしながら俺の帰りを待っていて、どう問い詰めて責めてやろうかと考えているのだ。
当事者以外の四人の友人思いなことはこの上なく、たぶんいつも寡黙な長次でさえ、
俺になにか言いたいことがあるだろう。
それは仕方がない。
なんだかんだ奴らは正義感が強い。
卑怯者にそれ相応の制裁を加えてやりたいと思うのは、奴らの性質からして至極当然のなりゆきだ。
(……でも、いちばん怖いのは奴らじゃなくて)
そうじゃなくて、いちばん怖いのは……文次郎自身だ。
あいつはもしかしたら、特に俺を責めるようなことを何も言わないのではないか。
何も言われないほうが怖い。
めちゃくちゃに罵られるほうがまだましなんじゃないかと思ってしまう。
でも、きっと、あいつなら何も言わないで、冷ややかな目を俺に向けるだけだ。
あの目が怖い。
目の奥に炎が燃えているのが見える気がする……なんて、にも同じことを感じたんだった、俺は。
の目の奥の炎が激しい熱を帯びる赤い炎だとするなら、
文次郎の目の奥に見えるそれはまるで真逆の、冷たく凍りつくんじゃないかと思うような青い炎だ。
ちりちりと見つめるものを凍りつかせながら、燃えつづけるその青がきっと俺を責める。
後ろめたいところのなにひとつもない奴に対して、俺がなんの申し開きをできるだろうか。
ハーゲンダッツで機嫌が取れるなら、まあありえないけど、……安いもんだ。
思えばあいつは、なんだか昔からこんなかんじだ。
我慢することとか、耐え忍ぶことをいつの間にか誰よりも身に付けてしまっていた。
苦しくても誰にもそれをこぼそうとしない。
仙蔵とか、長次あたりになら、他に誰もいないところで話すのかもしれないけど。
少なくとも俺は、あいつからそういったたぐいの信頼は得ることができていない。
勝手に劣等感を抱いた俺はきっと、意識・無意識に関わらず奴を遠ざけたがっていて、
それがきっと態度に出てしまっていただろうと思うから。
そうしてあいだに横たわったいびつな距離というか、溝というかが、
こういう事態になってしまってから深刻な問題になっていることに気づく。
説明しようとか、とりあえず謝ってみようとか、そう思うにも特別に他人行儀な覚悟が必要なほど、
腐れ縁で幼なじみでいまも悪友のはずの俺たちはいま、その名に似つかわしくないほど離れてしまっている。
(……仕方ない。俺が悪い)
いや、俺も悪い。
ほかに誰が悪いんじゃないけど。
俺だけが悪ってわけでもないはずだ。
だって、計算するのも仕組むのも、抜け駆けするのも騙すのも、それで好きな女がこっち見てくれるならアリじゃねえか。
自身には不誠実なことをなにひとつしていないんだから、問題ないはずだろう。
後ろめたいけど、俺はいま確実に幸せだってことにも間違いない。
だって、と両思いになれたことを、俺は100パーセント受け入れている。
過ぎてしまったことなんだ、もう戻れない。
だからもう、これ以上悪くなっていかないように気をつけるしかないんだ。
奴らとは、少し気まずいままかもしれないけど。
責められても問い詰められても、できるだけ都合のいい言い訳をせずに、正直に答えよう。
それが、今になって俺が奴らに精一杯示せる誠意のはずだ。
アイスが溶けていかないように早足になりながら、俺は内心びくびくして帰宅した。
玄関先でものすごい形相で仁王立ちしていたのが小平太だったから、心底びびった。
普段の調子でいけいけどんどん暴れられても怖いが、こういう奴が言葉なくじっとり責めてくるのはもっと怖い。
手を突き出して開口一番、アイス、だと、この野郎。
イラッとしたが飲み込んで、黙って袋を差し出した。
小平太はひったくるように袋を受け取って、さっさと中へ入ってしまう。
狭い室内にさっきと同じポジションでどん詰まったまま、奴らは俺を出迎えた。
小平太の反応は結構キタものの他の奴は案外普通そうで、若干拍子抜けしたり、ほっとしたり。
尋問タイムが待っているのはそれでも間違いないわけだから、
俺の緊張はスプーンの先ですぐにへたばるアイスのように容易くとけていってはくれない。
最後にあまったストロベリーだ。
、好きかな、いちごとか。
持ち物に妙にピンク色のものが多いから、ピンク色のものを見ると最近はを連想してしまう。
好きかな。
甘いものはきっと好きだ。
ミルクたっぷりのカフェ・ラテに砂糖二杯も落とす奴だし。
この期に及んで考えることがそれだ。
仕方ないと思う反面、自分でも少し、嫌気がさす。
「……なんで言わなかったの」
バニラのアイスを舐めながら、伊作が呟くように言った。
さっきと同じ問いを繰り返されて、俺はすまんと低く絞り出した。
「……言いづらかったんだよ」
「いつからの付き合い?」
「……それらしく、なったのは、昨日」
「昨日! 昨日だって」
「……いろいろあって、知り合ったのは春の終わり頃。
 それからたまに、帰り一緒になったり、寄り道して帰ったりしてた」
「いろいろって何」
「……だから……いろいろ」
知り合うきっかけになったストーカー騒ぎのことは、のプライベートに関わる問題だ。
いまは落ち着いているとはいっても、に黙ってこいつらにべらべら話す気は起きなかった。
俺に答える気がないということを悟ってか、伊作は質問を変えた。
「春の終わりって。さんの、名前は僕らも知ってからってことだよね」
「そう」
「わかってて黙ってて、手を出したわけ」
「……そう」
“文次郎が彼女に片思いしているということを”わかっていながら、何も言わずに手を出したのか。
手を出した、って言葉が気に入らないが。
問題はそこじゃない。
オブラートに包んだような慎重な質問の、真意が微妙にわからずにいるのは文次郎だけだ。
文次郎がに片思いをしている説というのは、今もって俺たちのあいだだけの仮説にすぎなかった。
もっとも、俺たちのあいだでは仮説を超えて確定事項のようになってしまっている。
文次郎自身は知らないのだ、その片思い説を友人一同が事実と決め付けてかかっているということを。
本当のところは文次郎に確認しなければわからないことのはずだが、ほとんど間違いないだろうとは俺も思う。
ただ、これまで文次郎が誰かを好きになっただとかいう事態を目にしたことがないから、
これが文次郎が片思いをしているときの反応なのかどうかは、実はやっぱりわからない。
俺たちはいま、文次郎の片思い説が事実であると決めてかかっているということを
文次郎自身に対して巧みに隠しながら、尋問と回答とを危うく応酬しているのだ。
もしかしたら文次郎は、自分が彼女に惚れていることにまだ(まだ!)気づいていないんじゃないか、
なんてすこし疑わしくも思いながら。
だとしたら文次郎は、気づかないうちに恋して気づかないうちに失恋したってことになる。
こんなあべこべなことがあるか。
いくらなんでも、もし失恋だったら、気づくんじゃないか?
多少のショックくらい受けるだろう、それで初めて、好きだったのかもしれないとか、思い当たるんじゃないか?
その当の文次郎はいま、……目を白黒させている。
「……お前ら、なんで怒ってるんだ」
「はあ!? 君、なんとも思わないの、文次郎!」
「なんでだよ。別にいいだろ」
「いいの!? 本当にいいの!?」
「つーか、何が悪いんだよ」
わけがわからない、と言いたそうに文次郎は伊作に聞いた。
伊作は自分のことのように怒ってわなわなと震えてすらいるが、それ以上聞くことはできないらしかった。
もどかしそうに唇を噛み締めて、座り直す。
怒るあいだに忘れ去られたバニラのアイスクリームは、カップの中でとうにとけていた。
「別に、誰と付き合おうが別れようが、報告義務があるわけじゃねえだろ」
よりにもよって文次郎が俺の弁護をするようなセリフを吐く。
ちぐはぐな現状に誰もがわずかに困惑気味だ。
すでに現状から逃避したがっている思考回路を、しんどいほどの暑さが遮って頭の中に追い返してくる。
蒸し風呂みたいに熱い、ただもう暑い、圧倒的な熱の存在感だけが、じわじわ喉元をしめつける。
そんな中にあってもなんでこいつはこんなに涼しそうに見えるんだろうか、
仙蔵が実にさりげない、ごく何気ないふうで文次郎に問うた。
「……ライバルを持っていかれて嫌な思いはせんのか、お前は」
「別に。なんでだよ。俺に何か悪影響があるか?」
明らかに、そんなはずがないだろう、という反語を期待した言葉だ。
平然と、平気そうに、普通に奴はそんなことを言うが。
奴の片思い説確定気分の俺たちには、その言葉はただの強がりにしか聞こえなかった。
ひそかに恋を失ったことを、悟られまいとして平気そうに振る舞っている、そんなふうにしか。
いや、本当に、のことはなんとも思っていないのか、こいつ?
本当に?
「留三郎ともとも知り合いって立場の俺から見れば……まあ、悪くないだろうと思うが?
 音楽を専門に学ぶもの同士、互いに理解を得やすいだろうしな。
 恋愛にうつつを抜かして試験を落とすようなばかな真似はせんだろう、いくらなんでも。
 あいつはそこらへん徹底しているしな。俺も負けてはおられん」
もちろん、学ぶことについて負けていられないという意味だ。
いいのか文次郎、それで。
視線で責められることすらなくて、俺はずるくも安心してしまったあとで、少しばかりありがたくも思った。
……親しい友人の、誰も喜んでくれないというのは、やっぱ少しさびしかったから。
悪いなと、本心でそう思いながら、きっと何より俺が安心したのは、
俺と文次郎との距離が覚悟していたほど開いてはいなかったということを知ったためだった。
俺は必要以上に、事実以上にかなり大袈裟に、自分を卑下していたのだ。
別にそのこと自体を話題にしなくても、ほんのちょっと世間話なんかしたくらいでも、
正しい距離を測り直す機会があれば自分の思い過ごしのあまりのでかさに気づいたりする。
妥協のないこいつは、嘘をつかないし本当のことしか言わない。
たとえ片思い説が事実で、本当は失恋に傷ついているのにそれを押し殺して俺をフォローしてくれたのだとしても、
奴はそうすることがよき友人としてあるべき言動だろうと冷静に考えてそうしてくれているのだ。
どちらにしても、本当に、感情と劣等感と駆け引きまで加わってどろどろの俺とはぜんぜん違う、
なんて潔い奴なんだろう。
(あーあ……かなわねえなあ)
改めてそう思うのも、今はあまり悔しいと思わなかった。
手の届かないほどの高みにすでにいる奴を見上げると、呆然とするよりほかにない。
あの春の日のいつか、文次郎がを見上げて呆然としていたように。

アイスを食べきるまでのほんの十数分、覚悟していた尋問の重苦しさも想像以上に軽く済んでしまって、
誰もそれで拍子抜けてしまったようだ。
済んでしまったものは仕方がない、のだ。
はもう俺の彼女になってしまったから、もう周りがなにを言おうとどうしようもない、ということで。
結局俺たちはいつもの通りに音楽談義を中心にだらだらと時間を過ごし始めていた。
話題の大半は休み前の試験についてだ。
文次郎と仙蔵とは早々に曲の絞り込みも済ませて譜面の読み込みに入っているというが、
ほかは全員似たり寄ったりの進行状況だった。
作曲科の伊作は課題に沿った小作品を提出しなければならないとかで、
もう頭の中がごちゃごちゃだと泣きそうになってうなだれている。
も曲はおおよそ決まったようだったし、今ごろ楽譜を吟味しているところだろう。
文次郎が眺めているのは、相変わらずのショパンの楽譜だ。
それが試験用の曲かと問うと、違うとくびを横に振る。
「これは今やっている授業の曲だ。も同じのをやってる」
「……へぇ」
自分でもぎょっとするほどそっけない返事が喉から飛び出る。
文次郎はなにか皮肉そうにふと笑う。
「……他の男がの話をするのが不愉快か?」
嫉妬しているのか、と聞かれたのだ。
俺は驚いて目を瞠った。
文次郎はまた楽譜に視線を落として続けた。
「悪意に取るな、そういうつもりじゃない。
 ただ、俺はと同じ学科で同じ教授に師事しているし、お前は違う学科にいる。
 お前を差し置いて俺とが関わることも出てくるかもしれんし、
 お前の知らないことを俺が知っているということも多々出てくるだろう。
 嫌ならなるべく話題にしないようにするが、ある程度は不可抗力だ、見逃せ。
 ……逆に、知りたいなら、話してやれる」
「……いや、その、……すまん。別に妬いたわけじゃない」
「ああ」
ぎこちない空気が流れ、誰もがややぎくしゃくとしてしまう。
何より小平太がさっきからなに一言も言わないのが気持ち悪くて仕方ない。
目が合うたびにそらされるから、小平太はまだ納得していなくて俺に怒っているんだと、それだけはわかる。
「……なんだかの話題になるとお前ら急に気まずそうになるな。
 なんだ? 慣れないからか、彼女持ちがいることに」
「恐らく……そんなところだろう」
文次郎の問いにも長次がいつもどおりの穏やかな口調でそう答えてくれると、雰囲気は不思議と元に戻る。
長次のどっしりした存在感に俺はこれまでだって何度救われたかわからない。
こういう、感覚とか感性とかが結果に影響する世界で未熟なりにアマチュアなりにもしのぎを削っていると、
どうしても他人とのあいだに意見や考え方の対立が起こる。
そういう緊迫したときにも長次の落ち着いた声で正論が説かれると、
もう誰も彼も毒気を抜かれて感情的だった議論からふっと抜け出ることができた。
長次はなんだかそういう、ありがたい奴なのだ。
だからか俺は、難しい理屈や理論や友人だからという贔屓目も全部取っ払っても、長次の演奏がただ単に好きだ。
長次が専門に演奏するのはチェロで、ヴァイオリンよりも大きいそれの奏でる心地よい低い音色はなんというか、
ひどく長次に似合っているといつも思う。
こういう好きという感覚はあれだ、俺はこいつのファンです、という気分だ。
長次の演奏ならチケット買ってだって聴きに行ってもいい。
たぶん、このへんを力説したら、ここにいる奴らは全員激しく同意してくれるだろう。
雰囲気が落ち着いたところで、俺も試験の選曲に思考を戻す。
なにか思い浮かんでくれねえかなあ、なんて、いい加減な思考に一生懸命集中して、
のことでたびたび訪れる気まずい空気を忘れようと必死になる。
昨日演ったヴィヴァルディ。
パガニーニ。もうしばらくいいかな。
でも目新しい発見があった。
古典音楽と言うけど、なにも古びてなんかいない。
クライスラー……イザイ……バッハの無伴奏。
バッハ、いいなあ。
簡単じゃねえけど。
パルティータ第三番、ガボットは昔どっかでやったかな。
こういうよく聞く曲は、挑戦しようと思うときに取っつきやすい、知ってるっていうだけで。
それなりの年月を演奏し続けてみて、知らない作曲家にも知らない曲にもときには当たるわけだけど、
演ってみたらけっこう好きになれたり、のめり込めたりするものだ。
深々付き合ってみないと、わからないことってのはある。
そういうとこはなんだか人付き合いと似ている。
よく考えたら当然かもしれない。
音楽は作曲家自身の表現だし、その音は演奏家自身の表現なわけだから。
同じ楽器で同じ曲を演っても、仙蔵と俺とでは全然違う音になる、そういうことだ。
頭の中が散漫だなあ、まとまらねえなあと思ったとき、超有名なフレーズがふと頭の中をかすめた。
ラヴェルの『ボレロ』、音はまだかすかな、クラリネット。
同じフレーズをオーケストラの楽器がかわるがわる演奏していくあれだ。
ちょうど思考の移り変わりが、『ボレロ』の楽器の移り変わりのイメージと重なる。
あの曲も好きだ。
昔、教育局のテレビだと思うが、クラシックの曲に合わせて作ったPVだかなにかを放送した番組があった。
映像に出演しているのは外国人の役者だけで、映像の流れがまたやたらめったらエロいか怖いかで。
子ども心にもちろんその印象は強烈で、いまも忘れられないでいる。
その中に『ボレロ』もあったのだ。
どこの国風の衣装なのかはわからないが、倫理の教科書に出てくる哲学者みたいな、
布を巻いたような服の役者たちがあの曲独特のリズムに合わせて延々と階段を上っていく、という映像だった。
『ボレロ』の映像は別段エロくも怖くもなかったが覚えている。
思えばあれを見た頃が俺のヴァイオリン道入門の頃と一致するはずだろう。
実はなにか影響受けてたりするんだろうか、俺、あの奇妙な番組に。
最初に聞いたのがオーケストラの演奏だったから、
そもそもがバレエのために作曲されたものだってことを俺はここ数年で知った。
『ボレロ』から視覚で認識する表現を汲み取った、あのテレビ番組もバレエも、なんかすごい。
どんな世界にもすごい奴はいる。
どんなことをやらかしてもすごいと言われる奴はいる。
そういうことかもしれない。
あの繰り返される、ひたすら曲を貫いている一定のリズム。
地を揺するようなその響きが、片時も止まずに頭の中をぐるぐると巡っている。
ラヴェルは何を考えて、同じフレーズをオーケストラの各楽器に一周させるなんて曲を作ったんだろう。
延々と繰り返されるそれが終わって最後のコーダ、上り詰めていくような、
なんか崖に向かって荒波がぶつかって跳ね返るような感じの音。
シンバルが大放出だ。
ちょっと酔っぱらったような感じ、陶酔感っていうんだろうか、
そういう一種のけだるさがもったりと頭のまわりに残る気がする。
そのけだるい感じの中に取り残されたままでいた俺を一気に現実に引き戻したのは小平太だった。
コーヒーでも入れようかとふらふら奴らに背を向けたところを、後ろからぐいと肩を掴まれた。
「な、なんだよ」
じと、と睨んでくる視線が、奇妙に怖い。
「腹が減った。留、なんか作れ」
「はァ?」
「よく考えたら私らみんな昼飯食ってねーもん、なんか作れ。アイスだけとかありえない。客をもてなせ」
「お前らが押しかけてきたんだろーが」
「知らねえよ」
またか。
大雑把で大らかなのか、案外繊細に気遣いができるのか、小平太も不思議な奴だ。
楽器が何かというとこいつは打楽器全般で、何種類もの楽器をドンシャン叩いているとだけ思うとすごく小平太らしい。
けど、それぞれの楽器はもちろん演奏法がそれぞれに細かく違うわけで、
小平太はそれを全部心得て奏し分けているということなのだ。
『ボレロ』を演ったら、主旋律の背後で延々と刻み続けるあのリズムを、こいつのスネアが打つことになる。
ずっと一定のそのリズムは決して大音量ではないが、
さいごには耳に残って離れない、強烈な印象を聞いた人に植えつける。
不思議なもので、担当する楽器と奏者はなんとなく性質が似ているような気がすることがある。
小平太の打楽器もそうだ。
実は小平太は気も回せるし、目端が利いて小器用なとこがあるし、大事なとこでは忍べるし、
裏でメインを支えることもできる。
でも態度のあっけらかんと大らかなところが目立つせいで、その長所に気づく奴が多くない。
黙ってアイスを食ってるあいだ、こいつはこいつなりに、考え込んでいたのかもしれない。
俺の耳元にずいと顔を寄せて、一段低い声で言う。
「なんかうまいもの作って食わせろ。そしたらもう怒らないことにする。喜んで、祝福してやるよ」
あんまり意外なことを言われたので、俺はしばらく反応できなかった。
……いいのか。
そんなもんで、忘れてくれるってのか。
俺が卑怯な真似に出たことを、小平太だったらきっと許さないんじゃないかと、ちょっと思っていた。
打てば響く、打楽器のストレートさというか、小平太は楽器のそういうとこと通じてるみたいな奏者だから。
俺の選んだようなどこかひねくれたやり方は、小平太には全然理解できないはずだ。
それなのに。
伊作が呑気に、傍らのドーナツの箱を持ち上げた。
「おみやげのドーナツ開けてないよ、ひとまずこれで」
俺が何か作るまでもたせろ、という語尾を当然のように飲み込む。
返事してないけど、そういうことになってしまっている。
今日はまあ、……仕方ない。
「……わかった。ちょっと待ってろ」
悪友、と呼ぶけど。
照れ隠しだろうか、“悪”って言ってしまうのは。
友達ってのはありがたいなと、思った。
いろいろ複雑なことになってしまったけど、それは俺のせいだろうけど。
なるべくこいつらに嘘つきたくない、隠しごとしたくないと、改めて思った。
巡り巡って、俺との問題は一応平和的解決をみたと思ってよさそうだった。
ラストを盛り上げるシンバルが勢いよく打ち鳴らされても、びくびくしないで済むだろう。




(永いながい堂々巡りの終焉)



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