雪月花に結ぶ  夏休み・前編


山を越えて村落のあいだを抜け、やがて道は町へ。

賑やかしい空気と家々の屋根が眼下に見えたとき、文次郎はちくりと胸の内に刺さる棘を認めた。

頃は夏、会計委員会による各委員会・学級予算の前半期決算をどうにか乗り越え、

やっと迎えた長期休暇であった。

一般生徒たちよりは二・三日ほど遅れての夏期休暇入りであったが、これでましな方なのである。

委員長の文次郎とて、好きで後輩達を休みの数日潰してまで拘束しているわけではない。

どうにか許しもきこうというところまで決算も整理がついたため委員会は解散としたが、

一年生の後輩のひとりはその後も学級単位で補習があるというから気の毒な話だ。

壊滅的な文字を書くについてはむしろ芸術面で点を取れようというその後輩には、

漢字の書き取りという特別メニューのドリルが待っているという。

学級それぞれの補習と委員会とは関係がないとはいえ、

委員長が委員より先に帰宅するということに文次郎はなんとなく遠慮を覚え、

例の後輩──加藤団蔵という──に皆で分けて食えと菓子を差し入れてやったら、

団蔵は天変地異かというようなまなこで彼を見上げたのでついでに軽くチョップをくれてやった。

にも関わらず、去り際菓子への礼を忘れずありがとうございますと嬉しそうに頭を下げた団蔵に、

早く休暇がくればいいものだと一応思ってやりながら彼は学園を出たのである。

実家までは鍛錬のつもりで山越え谷越えとわざと道を選ぶのも常であったが、

今日は少し考えがあり、回り道をせず大人しく道を歩いて町を通っていくことにした。

この町の表通りから一本奥に入ると、町の喧噪とはうってかわって静かな武家屋敷の並ぶ区域に出るが、

文次郎の実家はその界隈にどっしりと門を構えている。

家の存在感が重厚な割には家族はさくさくさばさばとしていて、

文次郎が忍術学園に入って以降次第に忍者かぶれしていく様を笑って見守っているようなふしがある。

好き勝手させてくれたことに今更恩を感じて頭など下げようものならそれこそ傍ら痛いと笑われそうだ。

ここまで貫いた身勝手なのだからお前、今更やめるのがわがままであると心得よ。

父親が笑顔でさらりと言った言葉が彼の芯を支えているのはここだけの話である。

さて、町の入口あたりに辿り着き、大通りをはさんで軒を連ねる商店ののれんに文次郎は視線を泳がせた。

考えがあって、というその核心にいよいよ迫りつつあるのである。

命を賭して刀を構えようかというときにもこうまで緊張はしないのではないか。

意外と肝っ玉の小さいことだと彼は己を嘲笑う。

その笑いに流れる汗は冷や汗で、暑さのためのそれではない。

元気でいるだろうか。

あの娘に顔を合わすのは、いつも少し覚悟が必要だ。

大通りを中程まで進んだところ、右手側に見える菓子屋が文次郎の目的の店であった。

藍地に紋を白く染め抜いたのれんが風にはためいているのがなんとも目に涼しい光景だ。

客は時折、出たり入ったり。

店の者が見送りに外まで出てこないところを見ると、どうやら店番をしているのは自身である。

その名を思い浮かべただけで鼓動が速くなる。

焦る内心をどうにか静め、文次郎は重い一歩を踏み出した。

屋という屋号が目に入る。

看板通り、一家の主人が代々営業を続けてきた菓子屋で、

冴え渡る職人技が生み出す菓子は庶民から一部大名家にまで評判を得た名店である。

現在店を切り盛りしているのは屋の七代目当主とその妻で、夫妻には娘が一人いる。

娘は名をといい、年齢は十五。

同じ町に住む同い年のこの娘と文次郎とは、幼い頃からの馴染みである。

えいくそ、いい加減はらを決めろと文次郎は声に出さずに己に活を入れ、藍ののれんを手で払った。

「御免。殿は御在宅か」

問うそばからその本人と目が合って、文次郎はぴたりとかたまった。

予想していた展開だというのになんたるざまであることか。

「文次郎」

「……元気そうだな」

「帰ってきたの?」

「夏休みだ」

「そう。久しぶりね」

なんとも涼しげな声で、は文次郎を迎えた。

特に感慨のない声色からの感情を読むことができず、文次郎はいつもヒヤヒヤとさせられる。

文次郎以外の客はいないが、は店先の一段高い畳に腰掛け、足は地におろしたままの格好である。

客がやってこようとは立ち上がって案内をすることはしないし、見送りに外へ出ることもしない。

しないという言葉は実は少々意味が違う……できない、というのが正しいのである。

一瞬訪れた間の悪い沈黙に文次郎はごほ、と咳払いをし、言った。

「……親父殿は? お袋殿も留守なのか。お前ひとりで店番とは」

「奥にいるわ。昼休憩の時間だから。文次郎、昼餉は」

「まだだ」

「上がっていく? お茶を冷やしてあるわ」

「……ありがたい」

文次郎は素直にそう言って息を吐いた。

実家だって歩いて数分そこらの距離であるが、なにせ暑い。

やっと夏も夏らしい気候である。

は一度奥へ引っ込み、冷水にひたしてかたく絞った手ぬぐいと茶を盆に載せて戻ってきた。

店先に座り込む文次郎のそばにはやっとのことで膝をつき、盆を置いた。

そのおぼつかない足取りを文次郎はに気付かれぬようそっと見つめていた。

「今日は暑いものね。店の中にいるとそうでもないのだけれど」

「普段なら山を通って帰ってくるから、日差しも直接当たりはしないんだが。

 今日はあいだの道をまっすぐ来た……直射日光はそれだけで体力を奪う」

「お疲れさま」

言いながらは扇子を取り出し、横からぱたぱたと文次郎をあおいだ。

やっと人心地ついたような気になり、文次郎は手ぬぐいで汗を拭うとがぶりと冷えた茶をのどに通す。

生き返るとはこのことかと思う。

風を送りながら、は自分の目の下を指さして見せた。

「なんだ?」

「すごい隈。ちゃんと寝ているの」

「夜は忍者のゴールデン・タイムだ」

「それにしてもひどい」

が眉をひそめたのに、文次郎はふんとそっぽを向いた。

良い家に生まれつき、器量も悪くない年頃の娘。

端から眺める分にはなにひとつ不自由不満に思うことなどないと見受けられるが、はあまり笑うことをしない。

幼い頃はこうではなかった。

今のからは想像もつかないほど御転婆で蓮っ葉で、

文次郎があちこち暴れ回るのについて行こうとするような元気な少女だった。

町育ちではあるものの、遊び場は近隣の山である。

文次郎が忍術学園へ入学してからはこうして長期の休みしか会う間がなくなってしまったが、

家ぐるみで付き合いが続いているためか、との縁が遠くなることはなかった。

一年のほとんどの時間を文次郎は忍術学園で過ごし、たまの休みに町へ帰ってくる。

そうして休みごと久方ぶりにと対面する度に、

文次郎はの中に“女”という己とは決定的に違う性別を見つけて複雑な思いを抱いた。

二人の間柄に変化が訪れたのは、最初の夏休みのことだった。

夏休みまでに何度かあった休暇には、これまでと同様に一緒に山へ入って駆けずり回ったりもしたし、

潮江家で文次郎が抱えて帰ってきた宿題に取り組んでみたり、

看板娘と看板息子などと大人達が笑うのを横目に屋の家業を手伝ってみたりもした。

それが少しずつ距離が開き、遠慮が顔を覗かせた。

今となってはこうもよそよそしい。

表面上いかにも気心の知れた仲というように隣り合って座って話もするが、

文次郎はとまともに目を合わせることもできず、は文次郎に笑いかけることをしない。

その原因がなんであったのか、文次郎は痛いほどよく知っている。

「ま、文次郎くん。今日お帰りかい」

「あ……どうも」

挨拶もせず、と文次郎は居住まいを正す。

奥から現れたのは屋現当主の御妻女、の母親である。

「元気そうで良かったこと。今昼餉を用意しているからね、皆と交代であがっておいき」

「……お言葉に甘えます」

「まぁこの子は、いつの間にそんな立派な口をきくようになって」

からかい口調での母親はそう言った。

文次郎もも、どちらの家の子と言っても違和感のないくらい、両家は親しく付き合いを続けていた。

潮江家には文次郎ひとりしか子どもがおらず、家にはひとりしか子どもがいない。

文次郎の両親はを見ては娘ができたようだと喜び、

の両親は文次郎を見ては息子がいるようだと喜んだ。

昔と変わらぬ様子で文次郎の頭をわしゃわしゃと撫でてくるの母親に少し気恥ずかしい思いを覚えつつ、

文次郎は苦い記憶を思い返していた。

“あんなこと”があったのに、の親父殿もお袋殿も、俺に対する態度を変えたりはしなかった……

寛大な“親”たちは、文次郎を許したのである。

けれど文次郎はいまだにそのことを負い目と思って忘れることができずにいる。

なぜなら──はいまだに、文次郎に笑顔を見せることをしないのだから。

その内心では、は俺を許してはいまい。

それをじゅうぶんすぎるほど自覚していながら、それでも彼は今日、ここへやってくることを選んだ。

の両親に宛てては先に手紙を出しておいた。

返事をもらうほどの間もあけずに学園を出たので、の両親の反応が本当は少し恐かったが、

やはりいつもどおりの態度だったことで受け入れられたらしいことはわかった。

あとはひとりの話である。

「母様。父様は」

「昼餉のあとすぐに厨に入りなすったよ。お得意先様から急な注文が入ったものだから。

 文次郎くん、今相手もできずに悪いけど、あとで晩酌に付き合いなさいと」

「は……まじですか」

「そりゃもう、まじですとも」

そんなおっかない話があるか、と文次郎は身震いする。

の母親は可笑しそうに笑った。

「取って食いやしませんよ。今となっちゃあ訓練している文次郎くんのほうが腕力も上でしょうに」

「……親父殿にはまったくもって勝てる気がしませんが」

「またまた、謙遜しないの。

 さ、昼餉も終わって皆が店に戻る頃だから、あんたたち奥へ行っておあがんなさいな。

 文次郎くん、帰りにお家にお菓子持っておいき。包んでおくから。

 も、店番御苦労だったね」

二人は立ち上がると、の母親の言葉を背に受けつつ店の奥へと入った。

歩きながらが時折よろけそうになるのを、文次郎は内心はらはらとして見守った。

店の連中にも懐かしまれ、またしても頭を撫でられる。

文次郎はへそを曲げたまま昼餉の席に着いたが、黙々そのままでいるわけにはいかなかった。

今日は目的があってここへ来たのだ。

世話になっている家へ挨拶だとか、幼なじみの顔を見にだとか、そればかりが理由ではない。

に会うことがその目的のひとつではあるが、いつものように様子を伺って終わりではない。

言葉少なに昼餉を終え、膳を下げてから、文次郎は座敷に膝をついたままのに向き直った。

「……話があって来た」

「話?」

いつものように帰りに寄っただけではないのと、は不思議そうに目を細める。

面と向かって言うのはかなり苦しい言葉を、文次郎は一息に告げる。

「冬を越して春、俺は学園を卒業する。そうしたらお前を嫁にほしい」

は驚いたようにわずか、目を見開いた。

一世一代の大決心に対するリアクションがたったそれだけだったことには、

我が敵ながら天晴れだと文次郎は思わず感心してしまった。

攻略するに一筋縄でいかないことは重々承知の砦である。

のそれ以上の反応を待たず、文次郎は続けた。

「親父殿とお袋殿には、先に手紙で知らせてある。

 返事を受け取る前に学園を出ることになったからご意向はわからんが、

 お袋殿のさっきの様子じゃ反対はされてないだろう。

 あとは、おまえだけだ」

聞いて、は何か言いたげにわずかに口を開いたが、結局何も言わずに黙ってしまった。

唇を噛んで俯き加減に視線を落とすを、

文次郎はしばらく見つめていたが、やがて息をついて立ち上がった。

「考えておいてくれ。……それとも、他に想う男でもいるか?」

「……別に……どうして急に」

「急に思いついたわけじゃあない。ずっと考えていた……俺は、お前に、……償いたい」

その言葉には目を上げた。

「あまり長く返事は待てない。

 夏休みが終わったら俺は学園へ戻るし……次に来るのは秋休みだがこの休みはそう長くはない。

 そのあとは年末だ。進路をどうするかをそろそろ定める必要もある、それはまぁ、俺の都合だが」

が何も返事をしないことに、文次郎は痛みを感じた。

断られることはじゅうぶん覚悟の上である。

長く返事は待てないが、断りのセリフならできうる限り後回しにしてほしい。

身勝手なものだと文次郎は脳裏でぼんやり考えた。

「……そのうち、お前の考えを聞かせてくれ。じゃあ、今日は……帰る」

世話になった、と呟いて文次郎は立ち上がると、なにも言えずにいるをそのままに部屋を出た。

本当は裏の勝手口から出るべきであろうが、文次郎は店の入口側へ向かった。

来客を見送ったの母親が店に戻ってきたところで、

そのそばには厨の作業が一段落したらしいの父親もいた。

「おお、文次郎くん。達者そうじゃないか」

文次郎は黙って頭を下げた。

「いやいや立派になって、なによりだ」

「先日は、いきなりあのような手紙を。すみませんでした」

「ああ、なに……驚いたけどねぇ、ま、昔からそんな気はしていたから」

なぁ、との父親は妻に笑いかけ、二人はにこにこと頷きあった。

「……にも今言ってきました。ずいぶん脅かしたようですが」

「そりゃあ、そうだろうよ、求婚なんぞ滅多に聞けるもんじゃなし」

よく言った、今日の晩酌は祝杯になるなと、の父親は上機嫌である。

どうも夜の酒の席に付き合うことは決定項のようであった。

「文次郎くん、これ、お菓子持っておいきなさいね。

 御両親によろしく言って頂戴、そのうちお宅をお見舞いしますからと」

「……はい。ありがとうございます」

思い詰めた顔の文次郎に、の両親はちらと目を見合わせた。

「ねぇ、文次郎くん、あのことはお忘れなさいね」

「……そういうわけには……」

「子どもの時分にはよくあることだとも。

 君のような前途ある若者がだよ、

 のことをずっと気に病んでそんな落ち込んだ顔をしているのは、親の我々も忍びない」

「そうよ、あの子だってあなたが思うほど気にしちゃいませんとも」

「……俺には、そうは思えません。

 は俺にろくに笑いもしないし……まだ、足に残っている」

苦い表情でそう言う文次郎に、の両親はため息をついた。

「……ま、君もも、まだ若いのだから。もう少し時間をかけて考えてもいいじゃないか?

 それにね、君がそういう理由でを嫁にと言っているのなら、私は反対をするね」

文次郎は驚き思わずはっと顔を上げた。

「いやいや、そう焦らんでもよろしい。

 ……どうせならね、可愛い娘だ、好いてくれる男のところへやりたいじゃないか」

言われて文次郎は、間抜けなほどぽかんとの父親を見返すばかりで言葉も出なかった。

「私らはどっちかというと、そのへんに期待してるんだけどね、文次郎くん。

 ま、そういうことなら、もうちょっと考えてみてくれないか」

「はぁ……」

一本取られたかたちで文次郎は見送られ、屋をあとにした。

学園を卒業したらを妻として娶ろうと、それはずっと考えていたことだった。

あのこと、があってからずっとそう思ってきた。

文次郎が忍術学園の一年生のときのことである。

夏休みに文次郎は昆虫採集という宿題を抱えて家へ戻ってきた。

休みの間中、文次郎はを引きつれて山の中を宿題をこなすべく駆け回った。

神社の長い石段をのぼり、鳥居に蜜をぬって夜を待つ。

暗くなった頃にそこへ戻れば、夜行性の虫が採取できるという算段である。

夜、文次郎はと一緒に昼間そうして仕掛けておいた結果を見に神社へ向かった。

薄暗い中で動き回る訓練をしていた文次郎には、夜に石段を駆け上がることは思ったほど難しいことではなかった。

調子に乗り、の手を引くのも忘れて上へ上へと目指し走ったことを、文次郎はあとからこれ以上ないほど悔いた。

必死でそのあとについてきたは、文次郎に追いついて鳥居に辿り着くほんの少し下で急にバランスを崩した。

あとからの調べによると、どうやら思いがけず丸い小石を踏んだことで足をひねったのが原因らしい。

ふもとから見上げるほどの段数がある石段の、ほとんど天辺近くからは下へと落ち、叩きつけられた。

の悲鳴が聞こえ、はるか下でどさ、と何かが落ちた音が聞こえて初めて、文次郎はことを悟った。

その事故では両の足に大けがを負い、治療のために秋の深まる頃まで別の町の医師のところへ移るはめになった。

屋を訪ねてもに会うことはできず、町を出ていると知っても今どこにいるのかまでは教われず、

己の両親には叱られたがの両親には君は悪くなかったのだよと言われ、

自分のやったことの尻拭いに両親が人に頭を下げ涙する姿を目にすることになり……

その夏の休みは以降いっさいに会えず、宿題も中途半端なままで学園へ戻ることになってしまった。

それからである。

文次郎は忍のなんたるかを真面目が過ぎるほどに考え詰めるようになった。

会得したわざを振りかざすようではいけない。

己の持つ技術も力も、使い方を間違えれば必要のない傷を誰かに負わせることになる……

そうして五年、潮江文次郎という生徒はその信念のもと最上級生へと進級した。

周りからは鬱陶しいほど忍者していると言われる。

余計なお世話だ。

彼にとっては大切なことだった。

己の未熟が、人を傷つけその笑顔を奪った。

の足にはまだ恐らくそのときの傷が残っている。

怪我と打ち身はの足の神経を回復ままならぬほどに傷つけた。

怪我自体は完治したものの、の両足はそれからわずかに麻痺したままなのである。

まったく足が不自由ということではないが歩くたびによろけ、下手をすると転びそうになるので急ぎ足は禁物だ。

転んだとして、起きあがるのも至難。

長時間立ちっぱなしでいることもできないため、店番も座ったままでこなさなければならない。

事情を知らない客には失礼だと頭ごなしに叱られることもある。

にそんな思いをさせているのは他でもない俺自身だと、文次郎は五年間のあいだ、ずっと思い詰めていた。

に償いたいと言ったのは、本心からのことだ。

せめてその誠心誠意をにわかってもらえたら、笑顔くらいは取り戻すことが出来はしまいか。

そのためになら力の限りを尽くそうと、文次郎はかたく己に誓っていた。

己が相手では不足もいいところだろうが、を大切に、幸せにしてやりたいという思いならこの上ない。

だから、の父親がそういう理由ならば反対だと言ったのにはどう答えていいかわからなかった。

文次郎なりにを思いやった結論を、否定されてしまったような気がした。

幼なじみに好意を持っているのはごく当然のことである。

けれど、どうせなら好いてくれる男のもとへ嫁にやりたいというそこへ、己が当てはまらないような気がしてしまう。

を嫁にほしいと申し出たその動機は、明らかにへの好意からではなかった。

間違ったことなどなにひとつしていないと自信を持っていた文次郎の根底が揺らぐ。

償いをしたい。

謝りたい。

あわよくば許されたい──一瞬そう思ってしまったあとで、文次郎は必死にその考えを打ち消した。

五年ものあいだ考え続けてきたことが、もしかしたら間違っているのかもしれない。

少なくともにとって望ましいことではないのかもしれない?

ではどうしたらいいのか……わからない。

文次郎は重いため息をつき、げんなりとして背負った荷物の存在を思った。

見えてきた懐かしい自宅の門を遠目に眺め、文次郎は歩調も重くそこへ向かう。

ふざけるなと最初は思ったが、もう一度考えろという何らかの思し召しなのかもしれない。

なんの因果か、六年生にもなって出された夏休みの宿題は、よりにもよっての昆虫採集であった。



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