過去一度、此度と同じような状況の実習援護に赴いたことがあるというのに、

誰もが以前とは違う重圧を内心に抱え、いやに遅く過ぎる時間を苦く噛みつぶしながら、

朝を待っていた。





宵のみぞ知る  番外編 二





早朝の食堂、すでに臨戦態勢に近いくらいに万端調子を整えた六人の少年達は、

此度の任務で主力を担う少女が姿を見せるのを黙って待っていた。

ただでさえ最上級生のまとうオーラに気圧されがちな下級生らは、今朝の六人の様子には太刀打ちままならず、

こそこそと彼らを避けるように離れた席で朝餉を摂っている。

しばらくしてやっとは現れたが、六人はその姿に一瞬声を失った。

ぱっと見たところはその人である。

朝餉のあとですぐに任務に出るため、着ているものは忍装束ではなく裾を長めに着付けた小袖ではある。

しかし、その物腰、立ち居振る舞い、あたりを取りまく空気に至るまではまるで別人の印象であった。

普段の少々とがった感じはかき消えており、やさしくやわらかい、女性らしくほんわかとした雰囲気である。

いつも食堂の入り口付近に陣取っている一年は組のよい子たちが、ぽかんとを見上げていた。

食事の盆を受け取って振り向いたと、用具委員のしんべヱの目がたまたま合った。

留三郎の委員会の後輩であるしんべヱと喜三太は、一年は組の少年達の中でも特にと親交深いと言える。

しんべヱは一瞬うっと身構えたが、恐る恐るといったふうに、あのぅ、先輩? と、問うた。

「ええ、そうよ、どうしたの、怪訝そうな顔。あら、お鼻が」

これで間に合うかしらとが懐紙を取りだしたところへ、くの一教室の後輩であるユキとトモミ、シゲが現れた。

「あーっ、先輩、だめぇー!」

それは自分の役だからとシゲが必死でから懐紙を奪う。

「あらあら、ごめんなさいね。決してあなた達のお邪魔をするつもりではなかったのよ」

困ったように、けれどはにっこりと、微笑んだ。

成りゆきを黙って見ていた忍たまたちは、凍りついたようになんの反応も示すことができなかった。

「なによ、あんたたち、アホ面並べちゃって」

ユキとトモミがは組の一同をからかい始める。

二人には恐らく、彼らが呆けてしまっている理由がよくわかっているのだろう。

ろくに言い返すこともできないは組と威勢のいいくの一の後輩を交互に見つめ、は苦笑を浮かべる。

ユキとトモミは自分のことのように得意そうに胸を張った。

先輩は変姿の術の達人なんだから!」

「山本シナ先生の直伝よ!」

遠くから様子を伺っている六年生達は、わかりきった話ではあるものの、

山本シナ師範の直伝と聞けばそりゃあすげぇやと頷かずにいられなかった。

「……正確には、変姿の術というのとは違うかもしれないわ。

 私のすることは、姿かたちの装いを変えることではないのだもの。

 そうね、言うなれば、役者なのよ。顔は変わらないけれど、演じ方ひとつで結構違う人にも見えるものよ」

は悪戯っぽくにこっと笑ってみせた。

ユキとトモミは熱心そうにうんうんと頷き、やがて目を見交わすとを見上げた。

「……先輩、私たち、先輩には何かお考えがあるんだって、思っていますから」

「あら。何の話?」

「亡くなった先輩のことを悼んでいないわけじゃないって、わかってますから」

聞いて、は一瞬、目を瞠った。

しかしすぐさま何事もなかったように微笑み、静かに答えた。

「……そう? 忍のプロに近い人の頭の中なんて、そんなものかもしれないわよ。

 人の命のあるなしに、少しずつ鈍くなっていくの。

 任務の達成のほうが大事、なんてひどいことだって当然と思って口にするわ」

「でも……私たち、信じていますから」

「先輩が好きですから。私たち、先輩みたいに、なりたいんです」

は真剣そのものの表情で俯いた後輩達にさすがに呆気にとられたようだった。

しばらく目を丸くして後輩達を見下ろし、はやがてふっと微笑むと口を開いた。

「……そうねぇ、でも、もうちょっと素直な性格を目指すのがお得だと、私自身は思うわねぇ」

「……先輩ったら」

二人は少し泣きそうになりながら、けれどくすっと笑った。

「御無事で、絶対生きて戻ってきてくださいね!」

「お化粧の仕方を教えてくださるって約束、まだ守っていただいてないんですからね!」

「そうね、そうだった。なるべく早く帰るわね」

後輩達に笑い返してやり、ずっとぽかんとしたままだったは組の面々を眺めて苦笑し、

はやっと彼ら六年生六人のほうを振り返った。

「結構待った? ごめんなさい、でも、女の子の支度には時間がかかるものと知っているでしょ」

そう言って席に着いたに、文次郎がぼそりと呟いた。

「……別の人間みたいだな」

「そう、私、結構上手なのよ?」

箸を取り、にこりと笑ったに、今度は仙蔵が言った。

「見ていればわかるさ。いい腕だ」

「そうでしょう。ふふ、立花くんに誉められたら、なんだか嬉しいわよね」

「今日の役どころは本来のよりも“お得”な性格をした娘、といったところか?」

仙蔵がたっぷり含みを持たせて言った言葉に、は拗ねたようにきゅっと眉根を寄せたが、

すぐにくすっと笑って、冗談のように答える。

「そうそう、そしてちょっと口数が多いのね。ちゃんと設定だって立ててあるんだから。

 年格好はこのままで大丈夫ね、十五歳、性格は素直、正直、単純。

 愛嬌があって明るく、考え方は前向きなほう。無防備なほど他人を信じやすい傾向、世間知らず。

 ちょっといいおうちのお嬢さんなの、それにしては少し蓮っ葉なところもあるけれど。

 実家はそうね……河内あたりの商家なんかでどうかしら。

 今まで親と家が守ってくれていたから、災難らしい災難にあったことがないわ。

 わがままを聞いてもらえる立場だったもので、物事が思い通りにならなかったことも少ないの。

 だから自分の考えを頑固に貫き通そうとし、人の話を聞きたがらないという一面もあるわ。

 ひとり旅の途中で町に立ち寄るの。あの町、今の規模まで発展したのはつい最近のことよ。

 まともなお宿がほとんどないので、宿泊客は大抵“あの男”の屋敷に一晩部屋を借りるの。

 “私”もそうするつもりよ」

はすらすらと一息にそう告げ、大根の煮物を箸でぱくりと割った。

詳細な設定に聞いていた六人は思わずぽかんとしてしまったが、

伊作がの御機嫌伺いをするかのように、そろりと問うた。

「ねぇ、、あのさ、いいおうちのお嬢さんがさ、なんで供も連れないでひとり旅をするのさ」

「そこよ、それが大事なの。聞いて頂戴」

大きな目をぱちぱちとさせてそう言うは普段の様子とは明らかに違った人を完璧に演じている。

学園内、彼らの見ている前でが演技を通すのはほとんど初めてのはずである。

今更ながらに彼らはのくの一としての力を目の当たりにし、彼女に対する認識を改めさせられた。

「“私”はね──恋をしているの! 運命よ。けれど、とても残酷な運命なの。

 というのはね、禁じられた恋だったから──身分が違いすぎたと皆は言うの。

 彼は実家の大店に勤めている若い衆のひとりで、それはそれは、やさしい素敵な人なの。

 “私たち”は恋に落ちて、……たった一度だけ枕を交わしたのだけれど」

はそこで一度言葉を切り、目を伏せた。

頬が赤く見えるのは気のせいだろうかと皆が思うが、演じる力ではどうにもならないことであるはずが、

確かには照れのためか、ほっこりと頬を赤く染めているのである。

言葉を切ったのではなく、もしや想い募って言葉を失ったのではと一瞬彼らは錯覚してしまった。

は少しばかり声をひそめ、続けた。

「けれど、気付かれてしまったの。

 主人と使用人のあいだにあってはならぬことだなんてお父様は仰って、大変な剣幕で──

 偉そうなことを言うけれど、私のおうちだってせいぜいお祖父様の代で財をなしたに過ぎない商家よ。

 商人の身分! それがどれほどのものと思う?

 分からず屋で古い考え方ばかりして、お父様なんか、嫌いよ──だから」

「だ、だから?」

すっかりの演じるのに飲まれた伊作が、そのまま問うた。

「だから、家を出たの。

 彼は、私とのことがばれてしまってから、即座に暇を出されて。郷里へ一度帰ることになってしまったのよ。

 お父様とお母様は、すぐに私に縁談を見つけてきて、私の意志なんか関係なしに、話をまとめてしまったわ。

 知らない男のところへ嫁ぐなんて、誰が承知するもんですか! だから、彼を訪ねていくことにしたの。

 本当は、家出の旅の最中なの。お願いよ、誰にも黙っていて頂戴ね」

唇に人差し指を当て、は何かを企むかのように伊作に笑って見せた。

伊作は困ったように視線を彷徨わせたが、仕方ないなと言いたそうに、ぎこちなく頷いた。

「……伊作」

「え? あ。」

留三郎に呆れられ、伊作はやっとにやりこめられていた己の立場に気がついたようだった。

とんでもなく珍しく、ずっと黙ったままを見つめていた小平太が、くしゃりと笑った。

「すげー、ちゃん。普段からそんくらい笑ったり喋ったりしたらいいのに」

「ふふ。女は秘密をひとつ・ふたつ抱えていたほうが魅力的に見えるものよ」

「そーかも。でもさー」

惜しいよ、と小平太は言い、今度は少し真剣な目をに向けた。

「守る価値、あるね」

「本当? よかった。昨夜のこと、気にしていたの」

「そんな性格してないじゃん、ほんとのちゃんはさ」

「ひどい、七松くん、ひどい」

抗議をしてみせるにあははと笑って見せたあと、小平太は続けた。

「全力で守ってやる。何も心配しないで、ちゃんはちゃんの仕事をすればいい」

はきょとんとしたが、おもむろに隣に座っていた留三郎を見上げた。

「ごめんね、食満くん。今、七松くんにちょっと本気でときめいちゃった。妬いちゃう?」

「……別に」

「嘘」

間髪入れずに突っ込まれ、留三郎は返す言葉を失ってしまった。

彼は早く食え、出かけるのは早いに越したことないだろと、苦し紛れに洒落も何もないセリフを吐いた。

は満足そうに微笑みながらやっと食事に集中し始める。

小平太が机に突っ伏して肩を震わせながら笑い、言った。

「いーなぁー。私も彼女が欲しいなぁ」

「あら。七松くんって結構人気者タイプだと思うのに」

が言った途端に背後の後輩の誰かがぶはっと茶でも吹いたらしい音が聞こえたが、

まじで、と聞き返すのに小平太は気をとられ、ほかの皆は気付きはしたがそれをナチュラルにシカトした。

「ほんとよ。勘違いとやりすぎさえなければね」

「なんだそりゃ。私はいつだって真面目だよ」

「それが問題よ。真面目に勘違いして真面目にやりすぎるんだもの。それじゃあ女の子は引くわ」

「引くって! ヒドっ」

「まずはそれを自覚するところからよね」

「……やっぱ、演じててもちゃんはちゃんだな。言うこと痛いもん」

小平太が口をとがらせ、誰からともなく笑いを漏らす。

決戦の日の朝は、そうとは思えないほど和やかに幕を開けた。



標的の男が根城にしているという屋敷、その支配下にあると言える町へ六人がたどり着いたのが昼を過ぎた頃であった。

六人は、代わる代わるに屋敷の門のあたりを様子見し、

また噂話にのると装い情報を収集するなどしてにさりげなく報告を続けていた。

は“女の足”で歩いてゆっくりと町へ入り、六人はそれぞれが別行動をしているように見せかけつつ、

よりもかなり早い時間に町へ到着して仕事に取りかかっていた。

が町の入口近くにある茶屋へ辿り着き、

ひと休みといった格好で座っている頃までにはひととおりの情報が揃った。

学園でが口にしていた“設定”のとおり、町にはまともな宿が一軒もない。

標的である男はこの町における権力者で、更に上役と言える城と殿様とにも親しく、

表面上は信頼のおける人物と町の人々には認められているらしい。

その信頼とやらも手伝ってか、人々は通りがかった旅の者に宿はないかと尋ねられれば

“領主様のお屋敷がいいや”と紹介をするのだそうだ。

屋敷のほうでもそうして一夜の客を快く迎え入れ、

旅人達は屋敷の一室で身体を休めてまた早朝、町の目覚めの前に旅立っていく。

まるで赤の他人のようにの隣に腰を落ち着けているのは、学園では一言も口を出すことをしなかった長次である。

黙々と団子を食べ、茶をすするように見えて、

長次はごく近距離でも聞き取りにくい声でぼそぼそとに報告をしているところであった。

「……けれど、それも表向きの話なのよね」

小声のの呟きに長次は答えなかったが、

その気配がの言葉に興味を集中させているのを彼女は悟って、続けた。

「若い女が宿を求めると、他の客の部屋とは離れた一室を宛われることがあるそうよ。

 人知れず手込めにされて泣き寝入りした娘が何人いるかしら」

けれどそこへ潜り込むのが今回の目的なのよねとは続け、湯呑みに口をつけた。

「……気をつけろ、

「あら、心配してくれるの、中在家くん」

「……真面目な話だ」

長次の声色には変化はなかったが、その言葉には嘘がないことは知れている。

は聞いた言葉を噛みしめるように間をおいて、ありがとうと答えると立ち上がった。

「御亭主様、お勘定を……そう、お伺いしたいのですけれど……」

茶屋の亭主、人のよさそうな老人を相手取り、は山を越えて北西の町へ行きたいのだがと問うた。

「娘さん、おなごの足でこの時間から北西へ山を越えなさるとなると、山中で日暮れを迎えてしまうじゃろ。

 今日発つのは諦めなされ、一晩この町で待って、明日の早朝出るのがよろしかろ」

「でも、早く出かけたいんですの。待っている人がいるのです」

「いやいや、およしなされ。山中でどんな危険があるかも知れん、ましておなごのひとり旅とあれば尚更じゃ。

 領主様がいつも旅の方を快く泊めてくださるでの、訪ねていきなされ」

「でも……」

は納得のいかなさそうな顔で渋ってみせる。

そこへ店の外から、御免と若い男の声がかかる。

「店主、この町に宿はあるか」

「おお、お客人、あんたもか。この町には宿はありゃせんが、領主様のお屋敷なら一晩泊めてもらえるじゃろう。

 すまんが、こちらの娘さんを一緒に連れていってはくれんかね」

言われて男はをチラと見た。

は店主のセリフに困惑した顔をする。

「ですから、私は早く山を越えて先へ行きたいと申し上げているんです、待ってる人がいるんですもの」

の言葉を聞いて、客の男は眉根を寄せた。

「山を? そりゃあ無茶ってもんだろう。あんたが思うよりも、この近隣の山は道が険しいぞ。

 山中では宿や茶屋はおろか山小屋も見つかるかどうか。獣も出るぞ。

 早朝に出かけて、明るいうちにふもとに着くほうがよっぽどいい。

 待ち人とやらも、そのほうが安心するんじゃないか?」

「……でも」

「見たところあんた、いいとこのお嬢さんだろうな、世間を知らないっていうのは恐い話だ。

 若い娘のひとり旅には油断は禁物だ。時間はかかるが安全を選んだ方が賢いぞ。

 宿をとるなら、俺もそうするところだ。山を越える道々の相談にものれるだろう」

はまだ不満そうな顔をしてみせていたが、じゃあ、仕方がないわと呟き、

店主に銭を払うといかにも渋々といった仕草で男のあとについて店を出た。

しばらく二人は黙ったまま歩いていたが、が笑い混じりの囁き声で言った。

「あなたもなかなかの役者よね、潮江くん」

「……うるせぇよ」

「屋敷の中からお客のひとりとして護衛してくれるのね」

「いろいろな視点はあったほうがいい。……お前も、大したもんだな、

「なにが?」

「単に宿を探すよりは、逆にこの町に泊まる気などないと言うほうが効果的だ。

 周りの人間は世間知らずの娘が無知ゆえに無茶を言っていると解釈して、

 何がなんでも領主の屋敷へ連れていって一晩引き留めようとする。

 周りの人間が仕向けたこととして、お前はあの屋敷に怪しまれることなくごく自然に入り込める」

「そうなのよね。無理矢理連れて行かれたのでは、仕方ないわ、泊まるしかなくなるもの。

 “私”にはお節介に思えることでも、人様の御厚意なのだから、渋々でもお受けしなくっちゃね」

「……大した女優だ。そっちの道で食えるぜ」

「そうするには愛想がないのよ」

残念ねと呟くは特に残念そうではなく、文次郎は少々呆れ気味に息をついた。

領主の屋敷で、二人の客人は快く出迎えられた。

は屋敷に着いてからも不満そうな顔を崩さず、

本当はすぐにでも出立したいのにとぶつぶつ文句を言い続けていた。

それは屋敷の者も聞くところとなり、夜の山道は危険だから絶対にやめたほうがいいとやはり引き留められた。

そうして渋々居着くことを装うことは、

が本当に通りすがりの旅の者でしかないという印象を強めるのに一役をかった。

標的の男は、一度くの一に命を狙われたことで、近づいてくる者には特に警戒をしているはずである。

旅の途中で立ち寄り、嫌々ながら屋敷に泊まることとなったが

本当は一刻も早くここを出発したいとははっきり態度に出している。

その目的は屋敷の中ではなく、明らかに旅路の先にあるように見えるのである。

実際に屋敷に仕えている者たちの中には相当の手練れが混じっていると文次郎は敏感に見抜いたが、

その者たちですらの目的がこの屋敷に、領主自身にあるという危惧を

今の時点でまったくもって抱いていないのがわかった。

プロの警備の者すら見事に騙し仰せていると他人のふりをしながらも、文次郎は改めて感嘆してしまう。

一室を宛われ、文次郎は迷ったふりをして屋敷の中をひととおり歩いてまわり、

仕事のための買い出しでもすると言って屋敷を出、あらかじめ決めてあった待ち合わせの場に向かった。

追っ手はない。

は勿論だが、文次郎自身も特に警戒されてはいないようであった。

六人が集まると、文次郎がまず話し始めた。

「屋敷に客として入ったが、が案内された部屋は領主の寝所と近い部屋で、

 他の客はその近くには泊まっていないと思われる。

 俺が案内された部屋ものいる場所からは離れている。

 どうやら策の通り、領主の目に叶ったんだろうな、は」

「……心配だな。そりゃあ、の力を疑うんじゃないけど」

伊作がしょぼくれたように呟いた。

皆がつられたようにしばらくしんみりとしてしまったが、文次郎がまた言いづらそうに続けた。

「俺は屋敷の中からの周りをそれとなく警戒する。

 お前らは外から援護をしてくれ。

 夜になれば、多分領主ととが差しでやりあうことになるんだろうが、

 そのときに周りに屋敷の警護の者がいるとなると厄介だ。

 相当熟練した警備の男が数人いる、そいつらをできるだけ静かになんとかせねばならん」

「……それに」

文次郎の言葉を引き取り、仙蔵が続けた。

「できることなら、……無論、私だって任務だとわかってはいるが。

 だが、できることなら、の身に何事もないうちに、すべて済ませてしまいたい。

 難しいことだが、可能な限り」

「んじゃさー、周りの奴らを早いうちに気付かれないで崩していくのは、私らの最初の役目だね。

 護衛くらいはいるっしょ、エロ親父が女を部屋に引き込んでるようなあいだでもさ。

 それこそ、プロの忍とかが」

小平太が言うのに皆が頷いたが、しかし小平太はころりと態度を変え、考え込むように続けた。

ちゃんの身になにもないうちに、かぁ。ほんと言うと、キツイよな」

「ああ、ほとんど無理に等しい」

「でも……」

でも、と言いながら先を続けられず、伊作がチラと留三郎に目をやった。

恋人がその身を賭しての任務にあたろうという今日という日に、

留三郎はただじっと黙ったまま、必要な調査や聞き込みをこなす以上のことをしていない。

自身の動向については何も言わず、ずっと口を閉ざしたままでいるのである。

「留、なんか言ってよ。君がいちばん、を心配してる」

留三郎はそれでもしばらく何も言わなかったが、目を上げると、静かに言った。

「……の身に何事もないうちにというのは、無理な話だ。

 感情だけで言うなら、俺だって嫌だ。見ていたくもない。

 だが、の身になにが起きようと、機が熟すまでは俺達は手を出してはいけない。

 ……これは、あまり言いたくないことだが」

渋い顔で留三郎が目をそらしたので、一同は何の話かと一瞬目を見交わした。

「あいつがときどき言っている。いまだに聞くたびぞっとさせられる。

 くの一が色を使うときには常識だというんだ。だが、もっともだとも思う……」

「な、なんて言ってたの、は」

伊作がそろりと問うた。

留三郎はそれでもしばらく言いづらそうにしていたが、諦めたように息をついた。

「どんな屈強の男でも、女を相手にしたときには必ずある隙ができる。

 それは──、イク瞬間、だそうだ」

聞いていた五人はさすがにリアクションを返せなかった。

こんなこと言いたくなかったんだ、というような顔で、自棄になったように留三郎は続けた。

「だから、無理だろ。

 あいつはこの任務を完遂しようとしてるんだ。

 ただの遺留品回収だけが目的じゃあないのはとっくにわかりきっている。

 俺が見ていても、お前らに囲まれていても、手を抜くような真似をするはずがない。

 いくら純朴そうな女を演じようが、中身はあいつだ、あのだ。

 俺達は、指をくわえて見ていなければならない。自身がそれを望んでるはずだ」

「と、留……そんな、わざわざ、よりにもよって君が言うことないじゃないか!」

「そんなも何もない。そういうことだ。暴れて終わるような単純な任務じゃない。

 邪魔はしたくない、に全部任せれば、いちばん早く終わるんだ。

 俺は、……俺は、早くあいつをこの任務から遠ざけてやりたい。

 後輩が死んだんだぞ。なのにあいつは……一度もその感情を外に出していない!」

留三郎が一気にまくし立てるのに、皆がただじっと耳を傾けていた。

その胸中には賛否が複雑に入り交じり渦巻いているのは想像に難くないことだった。

やがて、仙蔵がふっと息をついた。

「……お前の言うとおりのようだ。

 の頭の中にはきちんとした計画がある。その中には恐らく我々の出番はないに等しいだろう。

 もしものときのため、保険をかけているだけだ」

私の言うこともずいぶん甘かったようだと、自嘲するように仙蔵は呟いた。

文次郎が続ける。

「……あいつは、俺達には特に何も求めてはいないんだな」

「あーあ。情けない気持ちになるよなー。力でならちゃんには私ら絶対負けないのに、……非力だよな」

小平太が彼にしてはかなり真剣な様子で言い、長次が頷いた。

「……心配することだけが、俺達に許されている……」

「でも、心配なんて、なんの役にも立たないじゃないか!

 ひどいよ、は……ひとりで戦うつもりなんだ。僕ら六人もいるのに、頼ろうなんて思わないんだ」

最後に伊作が苛立った口調で言うのに、留三郎は少し申し訳ない思いを抱く。

それがわかったのか、伊作ははっと気付いて、留三郎にごめんと謝った。

「いや、お前の言うとおりだよ、伊作。

 あいつは、……不器用なんだよな。お前らを信頼していないってことじゃあないんだ。

 ただ、頼ることが、迷惑をかけることになるのだと、そう思ってしまうたちなんだ」

「……頑なだよな」

「ああ、いまだに」

留三郎は苦笑した。

そのまま、少し躊躇ったが、言った。

「……矛盾は承知だが、もしも……もしも、が失敗して、命の危険に迫られたら、

 そのときは力を貸してくれ。正直、あいつの八つ当たりはかなり恐いんだが、責めは俺が負うから。頼む」

留三郎が言い終わるかどうかのうちに、文次郎が眉をつり上げた。

「そこで俺らが出ないでどうする! 当然だ、バカタレィ!」

「作戦がの予定からそれたのがわかったら、そこからは私たちがを守る。それで良いな?」

考えが割り切れたのか、仙蔵は口に笑みさえ浮かべている。

留三郎は少しほっとして、息をついた。

「ああ、そうしてくれれば、有り難い。ただ……」

「ただ?」

また何か言いづらいことを口にするように、留三郎はついと視線をそらした。

「絶対に我を忘れてくれるなと、がしつこいほど念を押して言っていた。

 ……たぶんあいつは、以前の任務とは比べものにならないくらい、演じるつもりでいるんだろう。

 これが任務だということすら俺達が一瞬忘れてしまいそうになるほどの熱演を」

「一流のくの一のわざってやつだな。面白ぇ」

「小平太……思っても言うな」

長次に窘められて、小平太がちろっと舌を出す。

空気が少し緩んだが、伊作が沈んでいく日に目を留めた。

「……日暮れだよ、そろそろ、行動だ」

屋敷に戻ると文次郎は歩き出し、他の一同もそれぞれなりに行動を開始しようと気を引き締める。

くれぐれも、無茶のないように。

に無茶をさせないように。

無言のうちに、しかし彼らは想いを共有していた。



夜が訪れる。

宛われた部屋に、一人で使うには少々広めでつくりも頑丈、家具調度は贅をこらしているものの、

その趣味は決してよいものとはいえないとは手厳しい評価を下す。

寝支度を整えながら、はこの屋敷へ入ったあとのことを思い出していた。

他人のふりをしながら一緒にやってきた文次郎は、迷ったふりをして屋敷の中をそれとなく探索し、

の部屋も堂々と探り当てていた。

あんた、この部屋にいたのか、などと驚かれ、のほうもあら、先程のと、少し迷惑そうな顔をする。

無理矢理屋敷に滞在させられる羽目になったのはこの男のせいだという“設定”を忘れはしなかった。

文次郎はやれやれと苦笑してみせ、夕餉の頃にでもまた会うだろう、そんな仏頂面をするな、

どうせ一晩の付き合いじゃないかと軽口を叩いてすぐに背を向けた。

文次郎は去る前にもう一度を振り返り、

そうだ、玄関はどっちだか覚えているかと問い直すという芸の細かさも披露した。

そうして文次郎は一度外へ出て、恐らくほかの五人と落ち合って話し合いをしたはずである。

のほうは手持ち無沙汰そうに部屋の中で大人しくしていることにしたが、

室内に覗き穴がいくつかあることにすぐに気付き、そこから覗いてくる視線を敏感に感じ取り、

演技をゆるめることはしなかった。

庭を眺める様子で、屋敷の廊下とは逆側の縁側へ出る。

すぐ目の前には屋敷の塀があったが、それなりに高さもあってすぐさま越えられるものではなさそうだった。

しかし援護はある。

普通の少女ならまず逃走は無理だろうが、くの一のになら庭石や木々を足場に越えられる高さだろう。

逃げ道はすぐ確保できるとは判断した。

部屋は屋敷の端に位置しており、渡り廊下で繋がれた離れ家といったほうが近いかもしれなかった。

つまりは、ほぼ孤立したひと部屋である。

学園にたとえるなら学園長の庵といったところだ。

季節の花が咲いていて、はそれを眺め、きれいと嘆息し、また物憂げにも息をついた。

そんなことを繰り返しているに近づいてきた人があった。

この屋敷のあるじ、領主という人を、はそうして間近で見ることになる。

典型的な成金エロオヤジと、はまた手厳しく批評したが、顔にも態度にも出すことはしなかった。

なにやらお寂しそうですなと声をかけられ、は憂いたっぷりに家出娘の事情を話して聞かせた。

読みは当たったと、はそのときひとつの手応えを得た。

夜になれば必ず、この領主は客の娘に手を着けるべくこの離れ家を訪れるだろう。

人のものを奪うという行為に興奮を覚えるたちの男だとは察しをつけていた。

だからわざわざ、あのような細かな設定を前もって立てておいたのである。

すでに想う相手がおり、その男のもとを訪ねる旅の途中と聞けば、

ただでさえ若く美しく標的にはじゅうぶんなかもが、更にはねぎを背負ったと領主が思って当然である。

夕餉の時間とそのあとに、は文次郎に旅の道行きの相談を持ちかけるのをよそおい、

さりげなくことが上手く運びそうだということを彼に伝えた。

会話の内容は近隣の地理と山道の話に絞られていたにも関わらず、

文次郎は見事にあたりのことを知り尽くしている若者を演じきった。

彼の口調から察するに、彼の今の役柄にもそれなりの設定があるようだった。

近隣をよく知っているが旅の者というからには、あちこちに出入りをする商売人であろう。

任務に手を貸すと決めてから一晩とこの日中の間で、文次郎はそれだけのことを頭に叩き込み、

不自然にならないだけの言い訳と設定を作り上げていたということである。

は改めて、文次郎の力というものに感心させられた。

会話の間中、文次郎は役を演じながらもにいくつかのメッセージを寄越した。

──家出などと、女の考えることはわかりゃしねぇな、心配する奴だっているんだろうに。

──女ひとりでがむしゃらになるのは絶対に危険だ、無理だけはするな。

──頼み込めば力になってくれる奴が、周りには結構いるもんだからな、それは覚えておけよ。

若い娘のひとり旅を心配するそのセリフは、今宵の任務に臨もうとしているをそのまま心配する言葉にも聞こえた。

は微笑み、ありがとうと心からの礼を告げた。

文次郎はその一瞬、呆気にとられたあいだだけ、演技をすることを忘れたようだった。

まだなにか言いたげな文次郎を残し、その心配をありがたく思いながら、

は与えられた部屋へとひとり、戻っていった。



      *