当たり前だけど、

どうでもいい女をどうでもいい感じで抱くのと、

惚れた女を抱くのとは全然違うってことを、

知った。



「きり丸……」

細い声がきり丸を呼ぶたびに、彼は少し不安になるのか手を止める。

やめなくていいのにとは思うが、それがきり丸のやさしさなのだと思うと口元に笑みが浮かぶ。

「初めて? じゃないよね……」

「……さ 、 三回目、四回目……? くらい、……か?」

「そんなもの?」

「実習の標的になったことはねぇし……一回悪ふざけで、何人かでつるんで色町行って」

「うん」

「あんな遊びするもんじゃねぇな……出かけるなら銭使うより儲けるほうがぜってぇいい」

過去の汚点をさらしたとばかり居場所のないように渋い顔をしつつ、きり丸は無愛想な声で言った。

「……きり丸、らしい」

はおかしそうにくすくすと笑った。

自分の身体の下で、それまで滅多に見られなかった満面の笑みを見つけて、きり丸の鼓動は一気に跳ね上がる。

今この瞬間の現状を何度となく自覚するだけで、夢かと思うほどだというのに。

を組み敷いて、一瞬ことを急ぎすぎたと焦ったきり丸は、が抵抗の様子を見せないことに素直に驚いていた。

「私、平気、だから。好きに、動いて」

言われ慣れないセリフを聞いて、きり丸は返事に窮した。

黙って首筋に口付け、舌を這わせる。

くすぐったそうに首を振り、は呟いた。

「誰か、来る、かしら」

「閉館の札、下げた。……来ねぇよ、たぶん」

どのみち夕餉の頃だと言うと、きり丸はにまた口付けた。

任務でも実習でも男と寝ることくらいあるだろうには、

己の行為は端から稚拙なことだろうと少し恥ずかしく思うが、が自分から舌を絡めてきたり、

着物の裾を握りしめてきたりして求めるサインを寄越すたびに、甘い感覚に思考回路は溶けていく。

他に想う男がいるのに、、俺に抱かれても平気でいられるんだろうか。

かすかな不安ばかりは、つのるばかりの熱にも溶けてはいかなかった。

蝋燭の投げるちいさな灯りの下に浮き上がるの肌は触れるのを躊躇いたくなるくらい清らかで、

知らないうちに胸が膨らみ、丸みを帯びてきれいな曲線を描いて成長した身体にきり丸は驚き、酔わされた。

はいつの間にかそうして大人の女に成長していて、

そのを抱く己もつり合う程度には大人の男の身体に成長をしていたらしい。

やさしく、できれば気持ちよくしてやりたいところだが、生憎加減はわからない。

長い口付けを贈りながら、ときどき名を呼んで、好きだと囁き続ける以上に、

の内に己を響かせるすべなど思いつきもしなかった。

ペースをあげるの呼吸に意識を奪われ、合わさった肌が分け合う熱に感じ入る。

慰められたらなどと、分不相応なほどのことは望まない。

仕掛けたのは自分だが、が乗じて求めるのなら、それに応えてやるだけだ。



飛んだ意識が薄く戻ったとき、きり丸はまだの身体を己の下敷きに抱きしめたままだった。

は心地よさそうに目を閉じて、きり丸の背に腕を回している。

うわ、どういう状況だ、これ、と我にかえって焦った瞬間、が耳元でなにごとか囁いた。

「……きり丸、私、信じるまでに、時間がかかる……」

「……何の話だよ」

「きり丸が好きって言ってくれても」

嬉しいのに、とそう言うの声には驚くほど抑揚がなかった。

「……本当に、まだ忘れられないままでも、いいって言うの」

「いいよ」

起きあがって離れようとすると、が細い腕に力を込め、まだ、と引き留めた。

「重くね…?」

「重い のが、気持ちいい」

くすっとは笑いを漏らした。

その笑みに、思い返す喘ぐ声に、身体を駆けめぐった熱に、きり丸は今更くすぐったい思いを抱いた。

今朝起きたときは、こういう暮れ方をする一日だとはきり丸は予想もしなかった。

恐る恐る、に聞いた。

「……恋人だと、思っていいか……?」

「……悲しく、ならない? 私、まだ、きり丸を好きだとは、言えない……」

「いい」

それでいいときり丸が小気味よいくらいきっぱりと断言して、はやっと納得した。

「きり丸が、そう思ってくれるなら」

でも、とはちいさく付け加える。

「でも、……誰にも、言わないでね……秘密にしておいて」

「ん……」

世界中に叫び出したい気分はあったが、禁止令が先に出てしまった。

けれどの考えの方が賢明だとはきり丸も賛成するところだ。

これがは組のクラスメイト達に知られれば、自分はともかくもいいからかいのタネになってしまうだろうし。

銭はどうしたと揚げ足を取られて言い返すのも面倒だ。

それとも、は過去の想い人にこのことを知られたくないと思っているのだろうか。

想われている男本人は、の気持ちなどちっとも知らずにいるであろうに。

恋愛は理不尽だと、きり丸は思わずにいられなかった。

やっと離れて、二人はそそくさと着物を着直し、乱れた髪を整えた。

燃え続けた蝋燭はすっかり短くなってしまっている。

図書室をあとにして、短くじゃあ、と告げて別の廊下へ別れた。

まだばくばくと跳ね上がり続ける鼓動を抑えるように、きり丸は胸元をそっと撫でた。

あれは現実だったか?

恋人と思っていい、などと。

のくの一の技なのかもしれないが、だとしたらそのまま騙されていたい。

恋のあまりに他のなにものも目に入らないような、無様な自分でも構わないと思った。

図書室での逢い引きが続いていくことになるのだろうか。

ひとつ叶うと、次も、もっと先もと願ってしまう単純な自分がいた。

きり丸はわかりやすい己を戒めるように、にやけそうな顔を懸命に引き締めて早足で廊下を歩いた。

食堂へ向かうべき時間だったが、誰かに会ったらうっかり口を滑らせそうな嫌な予感もして、

高学年になってからはひとりずつに与えられた長屋の自室を目指した。

次も、もっと先も……

まず身体を重ねることを急いでしまった自分は明らかに順序を間違った、ときり丸は少し悔やむ。

にはどれくらい、己の想いが伝わったのか。

どんなことでもいいから、のことをもっと知りたいと彼は思う。

そして、が同じように自分のことを知ってくれたら、少しずつ本気になってくれはしないか。

きり丸の望むいちばん難しそうな願いがそれだった。

失恋の痛手を癒すためには新しい恋を、とはもっともなことかもしれないが、

忘れようと努めているにここぞとばかり名乗りを上げたことはやはり少し後ろめたい。

が本当にきり丸に想いを寄せてくれることがない限りは、その後ろめたさも彼の内から消えてはいかなさそうだった。

きり丸は早足でやって来た廊下を振り返った。

すでに図書室は遠い。

別れたそばからまた愛おしくなる。

次に会えるのは一体いつ、どの機会か。

先を急いてはならないと懸命に戒める理性の枷を、欲求も感情も軽々突破しようとしている。

なにを考えても思惑は堂々巡り。

どうすることもできず、きり丸はただ自室へ戻る道のりを急ぐばかりであった。



片恋の花  四