自己ベストとクラス記録を同時に破るというちょっとした偉業を成し遂げた。
文句なしの一等賞だが庄左ヱ門にはあとで殴られそうな気がするぜ。
きり丸は昔ッからそうなんだ! なんてな。
“そのため”なら見境がなくなっちまうんだ。
現金な性格してるとは自分でだってわかってるさ。
今の目的は銭儲けじゃあないが、目的向かってまっしぐらってのは現金の文字通りのままだ。
相変わらずだなって、俺らしいと言って、笑ってくれよ。
想像以上に難解な罠の嵐をくぐり抜け、それでもきり丸が学園へと帰還したのは翌日の昼頃だった。
きり丸の速いペースに合わせて体力を削った級友たちは肩で息をしている。
ちょうど昼食の時間を知らせる鐘をヘムヘムがついたすぐあとだったので、
彼らは食堂へ見当をつけてまっすぐそこへ向かった。
空いた席がないくらい食堂は埋まっていたが、その中に目指す相手の黒装束を見つけ、してやったりとほくそ笑む。
「やまーだせーんせ。六は、緑、戻りました」
「お、早かったな。今回はお前たちが一番か」
「ウス。しょーざの組は途中で俺らが引っかけたッス」
ほぼ横並びだった庄左ヱ門たちの組に、きり丸は己らがはまりかけていた罠の矛先を向けてやったのである。
此度の課題は級友と競い合うことは目的外であったので油断したのかもしれないが、
彼らはそこで見事に足止めを食らう羽目になった。
とりわけ、直撃の大ダメージを食らったのが、リーダー格であった庄左ヱ門だったのである。
「なかなかの機転だな。ま、今回の課題ではそれは主要な点にはならんがね。
よし、緑組、合格と。今日は自由にしていいぞ」
持参していた帳簿になにやら書き付ける山田師範のそばで、緑組一同は安堵の息をついた。
めいめいがやっと人心地着いたと言いたげに、疲れた身体を引きずるようにして去ろうとする。
そんな中、山田師範は最後に背を向けようとしたきり丸を見上げるとにたりと意味ありげに笑った。
「早く無事を報告しに行ったほうがいいんじゃないか、きり丸? んん?」
囁くような小声での、思いがけない言葉にきり丸は一瞬ぽかんとしてしまう。
たっぷり十数秒も山田師範の言葉を反芻し、その意味がわかるなりかぁっと頬に熱がのぼる。
「なっ、何の話ですかねぇ!!」
「なんの。照れることもないじゃないか」
お見通しだわい、と山田師範はすました顔で茶をすする。
本当のところ、山田師範がそのことを知ってからまだ丸一日すら経ってはいないのだが、
面白がって彼はそれをきり丸本人には言わずに伏せてみる。
きり丸は茹で上がったように真っ赤になったまま、わなわなと肩を震わすばかりだ。
隠し通しておきたかったはずのことが、まるで連鎖するようにあちこちに露見していく。
がへそを曲げていたらどうしようと、彼の思考はぐるぐる巡り始めた。
途端、外に感じた殺気混じりの微弱な気配。
「お、二番手だな」
「う、お、俺、行きますッ」
罠に引っかけても二番めに到着するのは庄左ヱ門たちであろうときり丸は予測していた。
今遭遇すれば、恨み混じりの戦闘になるに決まっている。
疲れ果てた身体に鞭打つ真似はしたくねぇし、山田先生からは逃げたいし、には逢いたいし、
よし、ここは即座に去るべきだ、俺!
きり丸は迷わず食堂から廊下へ走り出た。
先程戻ったときにきり丸もくぐってきた食堂の勝手口に、
淀んだ空気を背負いぼろぼろになった庄左ヱ門たちが姿を見せたのはそのすぐあとであった。
まずは緑組の面々に倣い長屋の自室へ帰り着いたきり丸は、部屋の戸を引く前に中に人の気配があることに気がついた。
特に隠れようとするでもなく、動き回る物音や足音を潜めようともしていない。
あるじが全員留守とわかっている長屋へ空き巣、などと一瞬冗談のように考えたが、
きり丸はすぐその考えを打ち消して、躊躇いなくさっと戸を引いた。
「あ、……きり丸」
想像通りの展開にきり丸は自分でも恥ずかしいくらいあからさまにこみ上げる嬉しさに打ち震える。
「!」
「おかえり、あの、探しものをしていたの、勝手に入って」
ごめん、と言おうとしたのだろうが、きり丸が有無を言わさず抱きついてきたのに遮られてしまった。
「なに?」
苦しい、とわめきながらは辛うじてそう問うた。
「なんでもねェ! ……ただいま」
きり丸はそれ以上なにも言わなかったが、ぎゅっと抱きしめて離そうとしないその腕が、
早く逢いたかったと語るかのようだった。
は諦め、きり丸の気の済むまで無抵抗でいてやろうと身体の力を抜いた。
の実習期間を含めても一週間程度のすれ違いだったが、
きり丸は何か感じ入ったようにを抱きしめたまま動こうとしない。
恋人を甘やかしすぎるのも問題なのよねと、は思ったが特に口に出しては言わなかった。
「……無傷?」
「ん?」
「無傷で帰ると言ったでしょ」
「あ、えーと、かすり傷少し。あと身体のあちこち打ち付けたくらい」
「それだけ?」
「おう。一番乗りだぜ」
「ふぅん」
はそこにはあまり関心がないようだった。
がもの言いたげに視線を向けるのは、開いたままになって廊下から中が丸見えのはずの部屋の戸である。
けれど夢中になっているきり丸には、そこまで気を回す余裕がなかった。
たかだか十日あるかないかのあいだで恐ろしいほど飢えていたぬくもりを腕の中に感じ、
それだけでもう言葉にすることもできないくらい幸せな気持ちになる。
これ以上なにもいらないと、きり丸は半ば本気で考えた。
はなにも考えずに、なにも気遣わずに、当たり前に言ったのだろう。
自分をおかえりと言って迎えてくれる人の存在に、きり丸はただただ、心打たれていた。
実習を終えて戻ってくる他のは組の忍たまたちに目撃されるのは時間の問題と、
はじっときり丸に身を任せながらも焦り続けていた。
秘密にしていたはずの関係がばれているらしいことはわかっている。
けれど、大っぴらに恋人同士だと振る舞って見せたいわけではなかった。
気をそらすように、は呟いた。
「……髪紐を探してるの、紅色の、気に入っている紐なの。
自分の部屋にもくの一の教室にも見当たらなくて、図書室も探したけどなかったの。
きり丸、拾ってないかと思って」
「ん……あ、探しものって、それか」
知らねぇなぁと、きり丸はすまなさそうに言い、やっと抱きしめ続けていた腕をゆるめた。
実習から戻りたてで土に汚れた姿のままであることにやっと気がつき、居たたまれなくなる。
「悪い、汚れるよな」
風呂に行くわときり丸は慌てたようにからぱっと離れる。
力ずくで抱きしめられていることを窮屈に思っていたというのに、
離れた瞬間失われていくぬくもりを惜しむ己に気がついて、
はきり丸の知らぬところでひとり、うっすらと頬を赤く染める。
今までに感じたことのない想い。
これまでずっとずっと引きずってきた恋のあいだにも感じたことのない想いだった。
浴場へ向かう支度をしているきり丸をちらりと振り返った。
背を丸めてかがみ込み、行李の中を探っている。
顔が見えないことを淋しいと思った。
自分の感情の揺れを自覚して、は少し困惑する。
自分は一体どうしてしまったのだろう。
はしばらく躊躇ったあと、おずおずと一歩を踏み出した。
かがみ込んだきり丸の背に、抱きついた。
「きり丸」
「……え、あ、……どした」
きり丸はきり丸で、のいきなりの行動に明らかに動揺している。
のほうから距離を縮めようとしてくれたことはほとんどなかった。
背に擦り寄ってくるを、やっぱりなんだかねこのようだなどと思う。
彼は気まぐれなねこの言葉を待った。
「……疲れてる?」
「あ? あー……場合による」
「なに? それ?」
「たとえばー……実習中に俺にはめられて殺気まき散らして血眼になってるしょーざと
今すぐ勝負しろって言われたら嫌だけど、
一週間以上も御無沙汰食らって私もさびしかった今すぐしようってに言われたらそりゃあ」
「……言わないわよ」
「わぁってるよ! 自分でも言いながら白けた」
照れたように視線を明後日の方向へ飛ばし、きり丸は乾いた笑いを漏らした。
「……じゃあ、お風呂から戻ったら、話したいことがあるの……聞いてくれる?」
「別れ話なら」
「しつこい」
きり丸が言い終わる前にはぴしゃりとそれを遮った。
きり丸はどうしようもなくただ黙るよりほかはない。
「今日はもう授業もないでしょう? 私も、長期実習あけで今日は一日時間があるから。
ここで待っていてもいい?」
「退屈しねぇか?」
「平気」
図書室のほうがいいかと聞かれ、きり丸は少し考えてから、ここでいいと答えた。
「んじゃ、なるべくすぐ戻る」
「ゆっくりでいいよ。私も、話したいこと、整理し直したいから」
なにか真面目な話らしいと、きり丸は少し緊張する。
別れ話でないと自身が保険をかけてくれたから安心はできるが、楽しい話ではなさそうだった。
すぐに戻りたいような、そうでないような。
風呂場では庄左ヱ門たちと鉢合わせる可能性も高い。
自分で望むほどは早く戻れないかもしれないときり丸は思った。
細かいすれ違いはまだ続いていると彼が内心で少ししゅんとしたとき、
が肩越しに身を乗り出し、ほんの一瞬、彼の唇に口付けた。
思考回路は千々に飛ぶ。
照れているのか、押しつけられてすぐに離れた唇はほとんど余韻も残さないように、
はまたきり丸の背に擦り寄った。
「すぐにしたいとは、言わないけれど、淋しいとは思ったのよ、……ちょっとは」
思いがけないセリフを、それもの口からは聞けないだろうと思っていたセリフを聞いて、
きり丸の鼓動は唐突に速さを増して打ち始める。
気のきいた返事などろくろくできもしない。
「あ、 ……そう」
は背で頷いた。
きり丸は素直に、信じられねェ、と頭の中でぼんやり考えた。
大事なのは兎にも角にも自分が生きることだったというのに、
今、命をかけてももっと大事にしたいと思える相手がこの自分にいるなんて。
関係は持ってもその気持ちをこちらに向けることはできないかもしれないと思っていたその人が、
逢えなかったことをほんの少しでも淋しいと感じてくれるなんて。
御大層な目的があって忍を目指しているわけじゃあないが、こいつは、だけは守りたい。
想いは報われるかもしれない。
忍装束の裾を握りしめてくるの細い指を握り返してやると、
きり丸はに向き直り、見つめてくるその目がまだきょとんとしている間に唇を重ねた。
そのまま真面目くさって、感慨深く微笑むなどという芸当ができるほど、きり丸は恋愛関係に慣れていない。
けれど自然と笑ってしまう口元をおさえようとすると奇妙な顔になるから、
彼はいっそ思いっきり、に笑いかけてやった。
「一週間と何日か分な。あとで埋め合わせような」
は苦笑した。
「きり丸の、そういう、いたずらっ子みたいな笑い方って、昔と同じ」
「背が伸びたくらいで、他はそんな変わっちゃいねぇよ」
「そう? ええ、でも、憎たらしい笑い方には見えなくなったわ」
「嫌がらせし合うのはそろそろ卒業だろ」
うん、とは頷き、それを合図にしたようにきり丸は立ち上がった。
「部屋ン中、好きにしてていいから。あ、でも……あー……」
「なに?」
きり丸は少し拗ねたような顔をした。
「……連中に、バレちまって」
「……そうだと思った」
「悪い」
「……もういいわよ」
は少し困った顔をして見せたが、仕方ないからと意外にあっさり彼を許した。
あとからちくちくうだうだ、後ろ指をさされたりして言われるのが嫌なのよ、と。
「ついでに山田先生にもばれた」
「そりゃあ、そうでしょうよ。昨日の夕方、門の前で会ったとき、あんまりあからさまにざわつくから。
あんたたち、相変わらず単純すぎるのよ。くの一のみんなも感付き始めてるわ」
「あああ……」
もう、学園中に知られていると言われても俺は驚かないんじゃないだろうかと、きり丸は頭を抱えた。
想像していたよりもが気を損ねなかったのが唯一の救いだ。
「いいから、行ってきたら? ……待ってるから」
「ああ、うん……」
じゃあ、ときり丸は渋々といった様子で立ち上がった。
すぐ戻る、と言い置いて部屋を出たきり丸を見送り、はそっと部屋の戸を閉めた。
話したいことがあると言ったとき、冗談交じりに軽い調子で会話をしていても、
きり丸がその実少し不安そうにしていたのがには伝わっていた。
別れ話ではないとは先にことわってみたものの、きり丸は嫌な緊張を強いられていることだろう。
はため息をついて、床の上にぺたりと座った。
外の廊下をときどき行き交う人がいる。
恐らくは実習から遅れて戻ったは組の面々だろう。
は無理矢理、意識の外に彼らの存在を追いやることにつとめる。
脳裏で苦く思う。
その話に覚悟が必要なのは、本当は自分のほうであるのだと。
きり丸は豪快にざばりと頭から湯をかぶった。
気をそらしておきたいことがあるのだが、どうも無理である。
洗い場にいるきり丸の後ろ側、湯船から険悪な目がじっと彼の背を見つめ続けてやめようとしないのだ。
きり丸は困り果ててくると振り向いた。
「なー。庄左ヱ門。悪かったって。んな、陰湿だぜ、そういう仕返し」
「……なんのことだか見当がつかないね」
それでも庄左ヱ門が答えてくれたので、少し機嫌が戻っているらしいことが伺えた。
風呂場で鉢合わせてからずっと、庄左ヱ門はなにも言わずなにも聞かず、
ただひたすらじっとまっすぐきり丸を睨み付け続けるという非常に静かな仕返しに出ていた。
普段理性的な者が怒ったときの恐さと言ったらない。
触らぬ神に祟りなしとばかり、は組の誰もが二人から一歩距離を置いて様子見に徹していた。
きり丸がわめいて抗議をしても庄左ヱ門はなにも言わないでじーっと見つめる目をそらそうとせず、
きり丸は気にしないようにしようと頑張ってみたのだが、結局先に折れた。
庄左ヱ門もそれがわかったからこそ、そろそろ気を取り直そうと答えを返してやったのである。
「スイマセンでしたぁ、庄左ヱ門はん。もうしませぇん」
「下手な奪口の術はいっそ使うなって昔習っただろう、土井先生が泣くぞ。
僕はともかくきり丸は実践の場にいたんじゃなかったか。しかも使う意味がわからない」
「もう、庄ちゃんたら相変わらずおカタいんだから!」
ふざけ口調のきり丸に、庄左ヱ門はやれやれと呆れたようにぷいと横を向いた。
視線だけちらりときり丸に戻し、声はまだ少し不機嫌そうに続ける。
「いいよ、誤魔化さなくてもさ。が待ってたから張り切ってたんだろ」
「い、いや、別に、そういう……」
「結構わかりやすいよな、きり丸」
「う……」
の名を出せばぐうの音も出ないほどきり丸をやりこめられるという新たなデータを、
庄左ヱ門は内心では冷静に記憶した。
他にも風呂場にいるは組の面々は、やっと警戒を解いて二人のそばに寄り始めていた。
皆、身近で起こった色恋沙汰に興味がないわけではないのだ。
「まぁ、まだましだと思うけどね。ボーっとしていて取り返しのつかないような大けがをするよりはずっといい」
「もう、忘れてくんないかねー?」
アレは俺だってやばいと思ってた、ときり丸は濡れた髪をぐるぐると巻き上げて留め、湯につかる。
「乱太郎としんべヱは、僕たちよりよっぽど早く気付いてたみたいだったけど。
好きな人ができたんじゃないかって言ったの、あのふたりだったから」
庄左ヱ門が言うと、すぐそばにいた伊助が頷いた。
「お相手が誰ってところまではわからないにしてもね。さすがだなと思うよね」
「ああ、そうなん? へェ」
よく見てるもんだなときり丸は照れ半分、感心混じりに呟いた。
それとも己の浮き足だった様子があまりわかりやすすぎたのだろうか。
誤魔化すように疲れの凝る身体を湯の中でほぐし始めたきり丸に、泳ぐように寄って来た喜三太が遠慮なく聞いた。
「でさぁー、ちゃんと上手くいってるのー?」
「……そゆこと聞くの、ちょっと遠慮しとかねーか? 喜三太」
「しなーい」
気になるしー、と喜三太は素直だ。
悪意のひとかけらもない喜三太の笑みにはきり丸も押されて負けてしまう。
「まだわかんねーよ。あいつが昔好きだった奴が、よっぽどいい男だったらしいし」
「実はまだ片想いなのかぁー! せっつなーい!」
「喜三太! 楽しそうに言うなッ」
「冗談だってー!」
ケロッとした顔でごめんね、と言われて、きり丸はまたも反論できずに言葉に詰まる。
知らないというのは気楽なことだと思った。
ときどき忘れてしまっていること──の想う相手は、この中にいるのかもしれないのだ。
そのままわいわいと騒ぐ喜三太とやっと諫める庄左ヱ門を横に、伊助がそっときり丸に囁いた。
「ちゃん、待っているんじゃないの?」
今のうちだよ。
にこ、と笑った伊助に、きり丸はさんきゅ、と苦笑を返した。
浴槽を抜け出し、熱い息をつく。
おろしたばかりの着物に袖を通すとやっと身体中がすっきりとした心地がした。
日はわずか暮れかけ、そろそろ課題の締め切り時間だろう。
課題の出だしで思いっきり遅れた乱太郎としんべヱは時間に間に合っているだろうか。
友達に優先順があるわけではないが、彼らにくらいはちゃんとのことを話しておきたかったなと思い、
また二人はなにも言わなくてもきり丸の変化をちゃんと見抜いていたと聞いて何故か納得できてしまった。
渡り廊下を少し冷えてきた風が過ぎていく。
桜が散ったばかりだが、夏も遠い日の話ではなさそうだ。
ひとまずは、長屋の自室へ戻る。
が話したいことがあると言っていたのを思い出すと、本当はまだ少し後込みしている自分に気付かされる。
情けねぇな、このくらいのことで。
他の男を忘れていなくてもいいと言ったのは俺じゃないか。
きり丸は己を奮い立たせた。
けれど覚悟ばかりではない。
久方ぶりに、身体中での存在を感じてみたかった。
そんなことばかりか、男の頭の中はろくでもない野蛮なことばかりと言われてしまいそうでいよいよ立場は危ういが、
のなにもかもをと望む己の欲は、ただひたすら度を増すばかりだ。
せめて決して溺れるなと、四年くらいに進級して色事までが授業に盛り込まれた頃に土井師範が言っていた。
(でもさぁ、あーあ、先生、無理だよ)
感情なんて奴は。
きり丸はほとんど諦めて中途半端な思考を投げた。
長屋の自室へ向かう足取りは、実習あけとは思えぬほどに軽かった。
片恋の花 八
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