ネバーランドの子どもたち  06

内部構造も定かでない校内を、は感情の高ぶりにまかせてずんずん、歩いていた。
昼休みのあいだはあたりの空気もどこかそぞろで浮き足立って感じられる。
はしゃいだふうに歩く女子生徒ふたりとすれ違い、
はなにか後ろ髪をひかれるような思いでその行く先を振り返る。
校舎のどこにもあふれている大勢の生徒の中にあって、はただただ、ひとりきりであった。
助けてくれようと差し伸べられた手も、取らずに背を向けてきてしまった。
それは自分の意志で決めてそうしたことだから文句も不満もとなえはしない。
それでも、どうかすると右も左もわからないような広い校舎の中で、
知らない人ばかりとすれ違うあいだで、
ときどきどうしようもないほど心許ない思いに足元をすくわれそうになってしまう。
気をゆるめればすぐに涙腺がじわじわと涙を絞り出すから、は必死で奥歯を噛み締め続けていた。
必死に必死に、考えをめぐらせる余裕などほとんどないままで、
は無意識に唯一見知っている道筋を歩いて来ていた。
教室へ至る階段をむしゃくしゃとのぼり、二階にたどり着く。
三年生の各教室の出入り口戸が見え、明るい会話の声や笑い声にあふれて場は賑やかしい。
その喧騒の一歩外にいては、そこへ踏み入っていくことに躊躇って立ち尽くした。
ほぼ知らない場所と言える学校の中、友達のひとりもいない中。
ひとりだけ体操着のままでいること。
それだけは迷いなく自分の手の触れる位置にある自分の持ち物と言えた、その制服が失われたこと。
たかだかそれだけのことが、これ以上ないというほどをその場から切り離し孤立させた。
空気が音を立てて凍りつき、密度を増しての肌に押し迫ってくる。
浅い呼吸ばかりが肺をかすかに行き来する。
の目に見える位置にいる生徒たちは皆笑っているのに、聞こえるのは楽しげな声ばかりなのに、
それらすべてがのことを余所者だからと突き放しているようだった。
ただの一歩すら、はそれ以上進めなかった。
今になって幼なじみの六人がひどく恋しく慕わしく思われた。
誰かの揶揄も嘘ではなかったとこうなってみて尚のこと思い知る。
囲まれて構われて、守られていたから、このような息苦しさを感じずに済んでいたのだ。
(どうしよう)
たったひとりで、頼る相手もなく。
今更引き返せないなどと、意地を張ろうとはは思わない。
けれどこの先ずっと、彼らが手を貸してくれるのに甘えつづけてばかりいるわけにはいかないのだ。
今度こそは泣きそうになった。
からの紙袋を抱きしめて俯く。
みじめですらあるこの思いを慰めるために、それでもにはそれしかできることがなかった。
目頭が熱くなる。
誰にも見られたくないのに、涙はもう留めようがなさそうだった。
漏れそうになる嗚咽をのどの奥で必死にかみ殺したとき、後ろから涼やかな声が、を呼んだ。
さん」
ははっと顔を上げた。
振り返った先に、高槻透子が立っていた。
「まだ着替えていらっしゃらなかったのね」
ばか丁寧な口調はいまどきの女子高生には似つかわしくないはずだろうが、
この透子の唇が紡ぐといやにしっくり馴染んで聞こえる。
透子は赤い目をしたを見て一瞬、眉をひそめた。
は遅れて気がついて、にじみかけていた涙を乱暴にぬぐった。
「なにかあったのかしら」
「ううん……、あの、……制服が」
否定の返事を口にしながら、それでもは不思議なほどするりと本題を透子に投げかけていた。
の抱える中身のない紙袋を見て、透子はことを悟ったらしい。
「まったく、仕様のない人がいるものだわ」
「いいの、……あんまり騒ぎにしたくないから。でも、制服は見つけないと」
「困るでしょうね」
は頷いた。
同時にふぅっと、長い息をつく。
透子が現れて声をかけてくれたことで、凍りついていた空気は瞬時にとけてしまった。
心許ない思いも、孤独も疎外感も、もうのうちから掻き消えていた。
まだろくろく話もしたことのない透子に、はもう強い信頼を寄せてしまっているのだった。
「どちらにせよ、考えているだけでは埒があかないわ。
 あまり気が進まないけれど、問い詰めるふうではなく聞き出さなくてはね」
は深々、頷いた。
それを返事と見て取って、透子はさっさと教室のほうへ向かって歩き出した。
が、教室の入口へたどり着く前にぴたと立ち止まってしまう。
危うくその肩にぶつかりそうになってしまってから、は不思議そうに透子を見やった。
その視線がまっすぐ見据えるその先には、透子の所属するC組の教室がある。
あ、とは小さく声をあげてしまった。
透子がばつの悪そうな視線を横目で寄越す。
今まさに、留三郎がひとり・戻ってきて教室へ入ったところだったのだ。
「……高槻さんて」
「なにも言わないで頂戴。周りに知れているのは自分でもわかっているつもりなのよ」
透子は苦々しげに息をついて話を一区切りさせ、のほうを見やった。
「……彼らに手伝ってもらおうとは思わなかったの?」
「んー……周りをね、余計あおっちゃうかと思って」
「そうね。賢明な判断かもしれないわ」
はあ、と透子はまたため息をついた。
自分の失態を嘆いているとでもいったふうである。
は思わずふっと笑ってしまった。
透子は拗ねたようにぼそりと呟く。
「失礼だわ、さん」
「ご、ごめんね……なんか高槻さん、緊張してるみたいだから」
可愛くて、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
言おうものなら透子はいっそう反応に困るに違いない。
やや澄ました印象が目立つ彼女だが、これはどうやら・感情表現が少しばかり不器用なだけだ。
「私にもよくわからないのよ。彼が関わるとなんだかペースが乱れるの」
「うん、うん……わかる。大丈夫、応援する」
はまだ少し笑いながら、透子に頷いてやった。
自分はただの──それも彼らのことをちっとも覚えていてあげられないような──幼なじみに過ぎなくて、
留三郎はもちろん、ほかの五人の誰とも特別な関係ではないということを、
そうして暗にでも伝えたつもりだった。
先程体育館でほかの女子生徒たちに詰め寄られたときは、ほのめかしてやる気も起きなかったというのに。
会話の進むごとに透子との距離感が親しく縮まっていくことを、は心強く嬉しく思った。
今日は帰ったら母に言えるだろう。
女の子の友達ができたんだよ、と。
透子はあきらめたように肩をすくめた。
「幼なじみなのですってね」
「あ、聞いた?」
「ええ。食満くんは私の前の席なの。よく話しかけてくれるわ」
「……黒板見えなくない? 背高いよね」
「大丈夫よ。彼、大体授業中は机に伏して眠っているから」
は思わずがくりと項垂れた。
透子もつられたように、口元で小さく微笑んだ。
気を取り直して教室のほうを改めて見やると、空いたままの手前の入口戸から留三郎の声が聞こえてきた。
体育の授業で使った、体育館内部の鍵を返すようにと誰かに促している。
食満くんは用具管理委員長なの、と透子が横から補足した。
そういえば、昨日の放課後も委員会がどうしたという話を聞いた気がすると、
は記憶をぼんやり手繰り寄せた。
それにしても幼なじみたちの目立つ理由は掘ってみればぼろぼろと出てくることだ。
(生徒会のラスボスでしょ、役員でしょ、暴君でしょ、不運くんに用具管理委員長……)
長次にだけは今のところ何の噂も聞いていないが、
こうなってみると彼にもなにかありそうな気がしてならなかった。
C組の入口をくぐろうかというとき、留三郎がなにかに気がついたような声をあげたのが聞こえた。
「あ、そうだ。あのさ、体育館出るときなんか気づかなかったか?
 B組の転校生のが制服なくしたらしいんだけど」
問われたらしい女子生徒が笑いさざめいたのが無気味に聞こえた。
「えー、制服?」
「知らなぁい」
「普通なくす? そんなもの」
その口調には他人の不幸を楽しみと見るような悪意がひと筋、入り混じっていた。
白々しいこと、と透子が一言、にしか聞こえないような小声で吐き捨てた。
女子生徒たちの声は奇妙にはしゃいで甘ったるく聞こえる。
彼女らが留三郎を好意的に見ているらしいことはその声からありありと感じ取れた。
しかし留三郎はそんなことにはほとんど気づいていないのだろう。
手がかりのないことにわずかに肩を落とす留三郎の姿が、透子の肩の向こうに見え隠れした。
女子生徒のひとりが、なにか調子付いた声でそういえば、と話題を蒸し返す。
「高槻さんならなんか知ってるんじゃない?」
教室に入って透子は、しかしそれでぴたりと足を止めた。
女子生徒たちはなにか企むようないびつな笑みを浮かべて声ひそやかに笑っている。
いけない、とは冷や汗をかいた。
話の雲行きが、透子にとって悪いほうに進み始めているとは敏感に感じ取った。
「高槻が? なんで」
「えー、だって……」
「ねぇ?」
「妬いてんじゃない」
「それでつい……とかね」
「あるある」
女子生徒たちはくすくすと笑った。
留三郎は話題の意味がつかみきれずに訝しげに眉根を寄せた。
「やく? ……なんだよ、それ……」
「食満くん、鈍すぎ」
「高槻さんいつも食満くんのこと見てるんじゃない」
「あれって、ねぇ」
「ねー?」
意味ありげに視線を交わす女子生徒たちを見て、さすがに留三郎もその話題の示すところを悟ったらしい。
彼はぐっと言葉につまった。
「えー、高槻さん、あんなにわかりやすいのに」
「食満くんほんとに気づいてなかったんだ」
「いや……え? つーか、そ、そうじゃなくて……それがの制服と関係……」
「だからぁ……食満くんたちがさんと仲いいから、高槻さんがやきもちやいて、それで……」
彼女らはあくまでも核心と呼べる言葉を口にしようとしなかった。
思わせぶりに語尾を浮かせて、くすくすと笑って話の余韻をさらにぼかしてしまう。
ははらはらとしながら、一歩前に立ち尽くしている透子を見やった。
その表情は、の位置からはうかがえない。
話題の中にある女子生徒のひとりが、入口の前にいる透子ととに気がついた。
ねえ、ちょっとと周りの生徒の袖をひく。
教室中の視線がいっせいに、透子に向いた。
注目される痛みから透子をかばってやりたくて、は思わず一歩を踏み出した。
留三郎と目が合ったらしいそのとき、透子がわずかにつらそうに唇を噛み締めたのが、
の視界の端に映った。
留三郎は透子を、戸惑いの目で見つめていた。
それはそれまで、留三郎と透子とのあいだにあった居心地の良い友人同士の距離感に、
いびつな溝が横たわってしまったことを明確に意味していた。
「……高槻」
透子は返事のひとつもできなかった。
「……お前、なんか知ってるのか」
留三郎の静かな声が、透子を責めるように低く響いた。
冷静そうな表情をわずかゆがめたきりの透子は、
それでもその内心に強烈な動揺を抱いていたのだろう。
この上なく不自然な間をとって、静かにいいえと呟いた。
その返事はどこか、言いたくなくて躊躇った末に無理矢理絞り出した言葉のように聞こえた。
留三郎は厳しい表情で透子を見返した。
そこには透子に対する疑いの念がはっきりと宿ってしまっていた。
「……そいつ頼むって言ったろ」
「……ええ」
はおろおろとしながら、まるでにらみ合いをしているかのような留三郎と透子とを交互に見やった。
透子がなんの説明も一言すらもしないことに、はもどかしい思いを抱く。
しかし彼女はそれ以上、なにも言おうとしなかった。
留三郎はいまいましげに舌打ちをした。
「……頼むんじゃなかった」
留三郎の背後では、この揉め事の原因を作り上げた女子生徒たちがひそひそと、
同情をよそおうわりにはいやに楽しげに囁きあっている。
「これって失恋?」
「かわいそーぉ」
聞いてカッとなったのはのほうだった。
いきり立って言い返そうとしたとき、透子がいいのとそれを押し留めた。
透子はまっすぐに留三郎を見つめ、静かに口を開く。
「転校してきたばかりのさんに対して、気配りが足りなかったことは……反省しているわ。
 あなたたちに呆れられても仕方がないわ」
「高槻さん!」
「いいの、本当のことよ。
 先に教室へ戻ってきてしまって、ごめんなさいね。待っていればよかった」
はふるふると、首を横に振った。
の知らないところで、を気にかけてくれている人がいた。
それだけではもう憂鬱な思いのすべてが払拭された気分だった。
留三郎は黙ったまま、透子の出方を探るように冷ややかな視線を寄越しつづけている。
きっとその視線を正視することにはひどく勇気が要っただろう。
しかし透子はひるまなかった。
さんの制服紛失の件なら。本当に私はなにも知らないわ。でも……」
あなたは信じてくれないのでしょうね。
透子はそう言って、淋しそうに、皮肉そうに、微笑んだ。
途端、留三郎は虚を突かれたように動けなくなった。
透子のその表情だけで、自分が彼女にあらぬ疑いをかけていたことを彼は悟ったのである。
透子はもうその場に居つづけられなくなって、身を翻すと早足で廊下を戻っていってしまった。
「あ、……高槻さん!」
透子を数歩追って、はしかし、足を止めた。
振り返った先に呆然としたままの留三郎を、キッとにらみつけた。
「……留ちゃん、ひどい! 見損なった! 雨に降られてチャリで転んで風邪引いちゃえ!」
言うなりばたばたと透子を追っていってしまったを見送ってたっぷり数秒後、
留三郎は力なく反論した。
「ちょ……ちゃん付けとか……つーかなんだその捨て台詞……」
その場は一転、なにやら冷ややかな空気に責められるように居心地悪く、
留三郎は言い訳をするようにあたりをひと睨みすると、そそくさと教室を後にした。

透子のあとをは小走りで追いかけた。
声をかけることが躊躇われてしまったが、は必死の思いで、透子を呼んだ。
「た、高槻さん……」
透子は答えなかったが、歩く速度をゆるめ、立ち止まった。
もそれ以上なにも言えず、ただそばに立ち尽くすばかりである。
やがて透子はぼそりと呟いた。
「……いやな予感がしたのよ。今日は蟹座は十二位だったし」
あ、高槻さん、蟹座なんだ、とは弱々しく答えた。
朝のニュースでおまけのように放映される星座占いの、確かに最下位は蟹座だったような気がする。
透子は潔い仕草で振り返った。
その顔は意外にも晴れやかで、微笑んですらいた。
「ごめんなさいね。一緒に聞いていて、いやな思いをしたでしょう」
「ううん……なんか、……ごめんね」
「なぜさんが謝るの?」
「な、なんとなく……留ちゃんがあんな態度取ると思わなかったし……
 なんかこう、私、保護者気分っていうか……」
聞いて透子は苦笑した。
「大変だわ、あの六人の保護者なんて」
「私もそう思う……転校早々波乱万丈って感じ」
一瞬置いて、二人は目を見合わせるとクスリと苦笑した。
「……でもとにかく、制服は探さなくてはね」
「あの子たちもあんまりだよ、高槻さんのせいにするなんて」
「妬いているのは彼女たちも同じということよ」
は目をぱちぱちとさせた。
透子は微笑んでわずかに首を傾げて見せる。
「私だってあなたのことをちっとも気にしていないわけではなかったわ。
 食満くんはすぐにあなたのことを話題に出したし……今朝も、体育の授業の前も。
 彼にとってあなたが特別な存在だということは聞いていて本当によくわかるもの。
 だから──待たずに帰ってきてしまったのよ。授業の終わったとき」
は驚きに目を丸くした。
思い当たりもしなかったことだった。
透子は自嘲気味に笑い、続ける。
「購買で昼食の買い物をして、大騒ぎをしたあとの七松くんを見送ったときに……
 なんだか悪いことをしてしまったと思ったのよ。
 私の感情はどうあれ、あなたがこの学校に不慣れなことは事実なのだし……
 彼らがついていればほとんど無敵と言っていいでしょうけれど、
 同性の知り合いがいるとまた違うものね」
聞きながらは、またじんわりとまぶたに熱が集まるのを感じた。
の心許ない感を、透子は正しく察してくれていたのである。
先程こらえつづけていたものとは意味の違う涙が、瞳を濡らす。
しかし泣けば透子を困らせてしまうから、はまたしてもそれをこらえてふんばった。
「それで──体育館まで戻ったの、もしまだあなたがいるようならと思って。
 でも、体育館は無人だったし、更衣室にも用具室にも誰もいなかったわ」
仕方なしに教室へ戻ってきたところで、立ち尽くして泣きそうになっていると会ったのだ。
まだ着替えを済ませていないのうしろ姿は、透子の目にも違和感をもって映った。
が涙を拭ったのを見て、その違和感は透子の内で確信へと成り代わったのだ。
「体育館で皆に詰め寄られているのを見たときから、不穏なものは感じていたはずなのに。
 ……ごめんなさいね」
はぶんぶんと首を横に振った。
「ぜんぜん……! 高槻さんが責任感じるところじゃないよ!
 気にしてくれて、ありがとう」
素直に礼を言われて、透子は一瞬驚いたように目を丸くしたが、
すぐに何事もなかったかのような澄ました表情に戻って、いいえと呟いた。
「とにかく制服を探さなくてはならないけれど、さんも昼食はまだでしょう?」
昼休みの五十分間が第一次リミットである。
昼休み中に探し出せなければ次の機会は放課後となるが、
午後二時間の授業は体操着で過ごさなければならなくなる。
「やっぱ人手がないとだめかあ……」
自分で何とかするって啖呵きっちゃったけど、とはため息をついた。
透子が小さく笑いをもらす。
「大丈夫、彼らきっと、あなたに構いたくて仕方がないはずよ。
 喜んで助けになってくれるわ」
「うう……なんか、自立できてないって感じ」
「転校二日目で自立は難しいのじゃないかしら。
 使えるものは何でも使う、頼れるものには何でも頼る、
 そうすることが結局早く馴染むことにつながるのだと思うわ」
透子の言うのはもっともだった。
そうだねと答えると、は透子を伴って生徒会室へ向かった。

生徒会室では六人がまた揃っての戻るのを待っていた。
途中、体育館内の鍵を回収するために席を外した留三郎が、
どこか上の空な様子で戻ってきたことがほかの五人にはなにやら気にかかる。
何があったのかと率直にも遠まわしにも問いかけてはみたが、
留三郎はああ、別になどとあやふやな返事をするばかり。
そこへが、よりにもよって高槻透子と一緒にやってきた。
五人は体操着のままのを見て各々心配そうに言葉をかけたが、
留三郎は透子の姿を見るなり内心で相当動揺し、何ひとことすらももらすことができなかった。
助けを求めるような弱々しい視線を、留三郎はに投げた。
ぎくしゃくとしてしまいそうなところをにフォローしてもらえたら
という期待がその目にはこもっていたが、は冷たく一瞥をくれるだけでぷいとそっぽを向いてしまった。
その一歩後ろで、透子は少しばかり、気まずそうに唇を引き結んでいる。
「やっぱひとりで探すの大変そうだから、……手伝ってもらえたらって」
は控えめな口調で彼らにそう言った。
生徒会室へやってくる道々、
透子に受けたアドバイスどおりにあごを引いてやや上目づかい気味に彼らを見渡す。
透子に言わせれば、六人のに対する振る舞いを見れば
このような小細工は駄目押し程度に過ぎないとのことだったが、効果は覿面だった。
に頼られたことに満足そうに、彼らはよしと頷いてくれた。
「やった奴に心当たりはないのか」
文次郎が改めてそう問うた。
はうーん、と唸ってから口を開く。
「あるといえばあるんだけど……確証まではないっていうか……
 聞いてもシラをきりとおす気がするし」
先程留三郎に問われた彼女らが笑いさざめくばかりだったことを思い出す。
小平太が横から口をはさんだ。
「でもさ、相手は女子だろ? 文次郎とかがさ、怖い顔して迫ったら吐くんじゃない?」
「殴るぞ、小平太」
文次郎がぎりりと小平太をにらむが、小平太は涼しい顔である。
今度は仙蔵が話を引き取った。
「逆に、こういった悪事で結束している女たちを相手取ると、
 強気で迫ったところで意地を張り通して口を閉ざしてしまうことも考えられる。
 まったく、女子の絆のありようとは、わからん」
聞いて、と透子はなにかもの言いたげな視線を交わした。
仙蔵の言うところの“女子”からは離れたところに立ち位置を持っている自覚がふたりにはある。
ふたりはくふっと、肩をすくめて笑いあった。
その様子を目にした六人の男子生徒たちも、
と透子とのあいだに“わからん”ものとは違う絆が芽生えているらしいことを見て取って、おやおやと目を瞬いた。
その勢いのまま、伊作が透子に話題を振る。
「ふたりとも仲良くなったんだね。よかった。ありがとね、高槻、のこと」
透子は意外そうに目をぱちぱちとさせた。
「いいえ、ぜんぜん。私がちゃんとさんについていなかったから、こんなことになったの。
 悪いことをしてしまったわ」
「だから、違うって! 高槻さんは悪くないの!」
もうこの話はおしまい、とはむりやり場をまとめあげる。
留三郎がずっと気まずそうに押し黙っていることにも、
今のこの話題でその気まずさに拍車がかかっているだろうことにも、はもちろん気がついている。
しかしもうしばらくはしらんぷりと、は留三郎の姿を視界に留めないように横を向いた。
話題はすでに次へ移っている。
「聞き質すのが難しいとすれば……考えるしかないな。手がかりもまったくないのか」
「うーん……私にはさっぱり」
は首をかしげ、高槻さんはどう、と透子を振り返る。
透子は少し考え込むようなそぶりを見せながら、口を開いた。
「授業が終わって、さんが体育館を出るよりも前に制服は持ち出されていたのでしょう?
 さんがそれに気がついて教室へ戻ったのは、授業の終了から十五分ほどあとかしら。
 その頃には、恐らくこんな行動に出た彼女たち……は、すでに教室に落ち着いていたわ。
 その短いあいだにどれだけのことができるかしら」
「手元に持っているにしろ、どこかへ隠したにしろ……なるほど、範囲は狭そうだな」
仙蔵が頷き、文次郎が話の先を続ける。
「だとしたら、第二体育館から教室へ向かうまでに通る廊下と教室の中で、
 十五分以内にことを済ませて三年の教室に戻り、余裕で昼飯にありついていられる場所か。
 存外楽に割り出せるかもしれん」
一同は校内のつくりを頭の中に思い浮かべた。
ひとり、校内の様子を把握していないは、場の展開にだけ意識を取られてなにやらどきどきとしていた。
災難に見舞われているのは間違いなく自分だというのに、このちょっとした事件、推測と推理。
スリルを少しばかり楽しいとまで思ってしまうのは錯覚なのだろうか。
が出てくるまで、第二体育館の出口の廊下にはずっと俺たちが立って待っていた。
 第二体育館から出てきて第一体育館のほうへ向かった奴はいなかったから、
 そっちの廊下側に並んでいる運動部の部室は除外だな。
 逆側の廊下から教室までは……食堂、中庭、突き当たり左に図書室……までは行かないか」
長次がうんと頷いた。
「図書室ではないはずだ……雷蔵がついさっき、俺のところへ鍵を取りに来たばかりだろう。
 図書室は今開いたばかりだ。
 手元に持っていて今から隠すというのならわからないでもないが」
透子が気がついたようにそれに答える。
「図書室ではないと私も思うわ、彼女たち、教室ではとても余裕そうにしていたから。
 ああも平気そうに奔放に振る舞っていられたのはきっと、
 安心できる場所へ制服をしまい込んだあとだったか、
 すでに自分たちの手を離れた件になってしまったあとだったかのどちらかだと思うわ」
「手を離れた件って?」
が控えめに挙手して問うてみせると、透子は頷く代わりに目を細め、答えた。
「制服を隠すなり放置するなりし終えて、もうあとは知らんぷりを貫く姿勢でいるという意味よ。
 もしそうなってしまっているなら、なにを聞いてもしらをきりとおすばかりでしょうね」
「そんなあ」
「でも……彼女たちだって根っから悪人というわけではないのだもの、
 せいぜい、ちょっとあなたを困らせてやろうという程度のつもりだったのでしょうよ。
 だからこそ、そうそう手の込んだ場所へ制服を隠したということはないと思うわ。
 この問題が露見したところで、大問題として取りざたされずに済みそうな場所ね」
「……それってどういう場所?」
「少なくとも、ごみ箱の中だとか、トイレで水に浸かっているということはないでしょうね」
「性格悪すぎるだろその想像……」
聞いていた文次郎が呆れて言った。
透子は苦笑して肩をすくめる。
「どちらにせよ、図書室は安心して制服を隠せる場所とは言いがたいと思うわ。
 彼女たち、それほど頻繁には図書室を利用していない気がするし……
 不特定多数の生徒が頻繁に出入りする場所だから人目も気になるはずよ。
 彼女たちの勝手知ったる場所とは言えないところは除外できると思うの……」
言いながら、透子はクスリと笑った。
耳を傾けていた彼らは、それに気がついてふと顔を上げる。
「まるで探偵ごっこね。
 一緒に同じ推論を展開しているようでも、あなたたちと私とでは考え方が違うみたい」
唐突な話題転換に、彼らは目を白黒とさせた。
ひとり思考が推論に参加できていないも、透子を不思議そうに見やる。
「あなたたちは秩序と方法を信条とする、
 さしずめ“灰色の脳細胞”エルキュール・ポアロというところかしら。
 私はどちらかというと、人・個々の性質から行動を推測していく
 ミス・マープルのやり方のほうが馴染む気がするのだけれど」
「アガサ・クリスティか?」
仙蔵が呆れたように問うと、透子は微笑んで頷いた。
文次郎が面倒くさそうに視線をそらす。
「ドイルなら知ってる」
「シャーロック・ホームズのシリーズは王道すぎて敬遠したくなってしまったのよ」
長次がぼそぼそと、クリスティも充分王道だと呟いた。
透子はまるで聞こえなかったかのように楽しそうに続ける。
「それとも、古今東西の名探偵の手法に倣うトミーとタペンスかしら?
 いずれにせよ、アガサは七割方読み終えてしまったわ。
 次はモーリス・ルブランにしようかと思っているところ」
ミステリ小説の女王と異名をとるクリスティを友達のようにアガサと呼びながら、
透子はを思わせぶりに見つめた。
「依頼人が協力者になる展開だってあるのよ、さん。
 協力者どころか犯人だったなんて突飛な設定もアガサはやってのけたことがあるけれど」
透子なりの冗談にはやや洒落にならないブラックさもひそんでいたが、
はふっと笑ってしまった。
「私が助手をやるのね?」
「ポアロの助けになるのは女性に弱いヘイスティングス大尉か……女流推理作家のアリアドニ・オリヴァ。
 ミス・マープルにはクラドック警部か、もしくは万能家政婦のルーシー・アイルズバロウが協力するわ」
はしばし考え込んだが、あきらめたように苦笑した。
「女流作家って柄じゃないかな。家政婦さんで」
「潜入捜査もできてしまう有能な家政婦さんよ」
「わあ、勇敢」
はホールド・アップとばかりに両の手を肩の高さまであげた。
やりとりにのまれて口をはさめていなかった伊作が呆れた声を出す。
「推理合戦なの、これ? 経過はとにかくとしても、の制服がかかってるんだからね」
「大丈夫、いさくん」
こわばった気持ちがすっかり吹き飛んで、は笑いながら伊作に言った。
「どうせ状況は同じなんだもの。楽しくやったほうが絶対いいよ」
「そうだけど」
いいのかなあ、なにか不謹慎じゃない、と口篭もった伊作にはまた愉快そうに笑いかけ、
次いで一同を振り返った。
「さあ、お知恵を拝借ね、名探偵諸君! 捜査は優秀な家政婦さんにまかせといて!」



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