ネバーランドの子どもたち 07

「授業の終了後十五分以内に制服を隠せる場所で、
 普通科三年生の教室と第二体育館のあいだに存在するのは……」
黒板に略式の校内見取り図を描き、それを前に一同は制服の隠し場所を検討し始めにかかっていた。
遠回りをしたり複雑な道筋を辿るなどすれば経路はいくらでもあるが、
普通に往来するものと考えればそれも二通りにまで絞られる。
まずは体育の授業が始まる前にが教室から体育館までを移動したルート。
教室を出てから階段をおり、体育館のほうへつながっている廊下を直進し、
更に第二体育館への廊下を右に折れるという道だ。
もうひとつは授業の前に透子が通ったルートで、
教室を出ると階段をおりずにすぐ横の廊下へ進み、
中央階段から一階へおりて体育館のほうへつながる廊下に合流するという道である。
実際には透子は悪天候のために授業内容がどう変更になるのかを聞くため、
階段横の廊下を進んでから一度中央階段を通り過ぎ、
廊下の突き当たりにある職員室へ寄ってから階段まで戻って一階へおりたというが、
中央階段と職員室のあいだを往復する経路はこの際除外しても構わないとみなされた。
大きな扇形を含んだ校舎の見取り図を物珍しい思いで眺めながら、
は周りの皆の言う経路を視線で辿っていた。
どんな様子の場所であったかはそれだけではほとんどわからない。
きれぎれに思い出せるのは生徒玄関から保健室へ向かう廊下、ほうぼうから教室へ至る廊下、
生徒会室へつながる廊下、教室から第二体育館へ通じる廊下。
そしてもうひとつ、初日に生徒指導室から教室へ向かった道筋である。
生徒指導室は職員室のすぐそばにあるそうで、
図面上で改めて眺めてみると透子が教室から職員室へ向かった道筋を逆方向に歩いたのだということがわかる。
教室につながる階段と第一体育館をつなぐ一階の直線廊下は
恐らくこの学校でいちばん人通りの多いメイン通路に相当するのだろう、
この二日間でももう何度も往来している。
逆に、一度も歩いていないのが扇形校舎の曲線部分の廊下である。
ただの些細な好奇心で、今度はここを端から端まで歩いてみようと思うだった。
「で。改めて除外できるのは」
生徒会長のさがなのか、文次郎が仕切り始める。
「図書室は除外と言ったな?」
長次に振ると、長次はうんと頷いた。
図書委員の後輩が図書室の鍵を長次から借り受けて開館したのはついさっきのことで、
制服を隠すのに間に合うだけの猶予はないだろうという考えからである。
念のためと長次がその後輩にメールで問い合わせをすると、
後輩からは電話がかかってきて『三年生の女子生徒の来館者はいまのところいない』という返答を得た。
「図書室は除外」
確定、と仙蔵が図面の図書室の位置にバツ印を書き入れる。
議題を進行する文次郎の様子と、横でそれを受けて黒板に書き入れるなどする仙蔵の様子とがあまりに自然で、
は思わずぐっと笑いそうになってしまった。
生徒会の委員会活動の際にはこうした役割を果たすことがそれぞれ当たり前なのだろう。
仙蔵の立場はまだきちんと聞いていないが、生徒会役員の中でも書記なのかもしれない。
いいコンビだな、と思うとまた笑いが漏れそうになる。
二人が慌てて否定し合うか、当たり前のことを改めて指摘されてぽかんとしてしまうか、
そんな反応が容易に想像できた。
小平太がハイハイと手を挙げる。
「売店も除外ー。たぶん。私がいたし」
「小平太はパン買うのに必死なんだろうが」
「んなことないよ、女子がそうやって悪いことしよーってときは大体何人かでつるんでるだろ?
 そういう女子の集団見なかったし」
たぶん、と小平太は語尾に再び付け加える。
その一語だけで信憑性はやや減ったが、横から透子が同意見だと補足する。
「私も売店にいたから。
 ……体育館でさんを囲んでいた人たちの様子は目にしているし、
 彼女たちがこそこそしているのを見かけたらきっと不審に思うでしょうから」
「そんならちゃんとのこと待っててくれよなー」
「だから……申し訳なかったと思っているわ」
口を尖らせる小平太と、決まり悪そうに肩をすくめる透子。
は二人のあいだに割って入る。
「いいの、その話は終わりなの!
 売店の横をあの子たちが通らなかったってことは、その先の生徒玄関ってこともきっとないよね?」
「そうだな……売店から向こうはないと思っていいだろう。
 一階は全部実習用の特別教室だからな、使わないときはどこも鍵がかかっている。
 一階の扇形部分はないと見てよさそうだ……仙蔵」
「扇形部分はなしだな」
仙蔵がまたバツ印をつけ、文次郎をかえりみて言う。
「そもそも、三年生の教室はすぐ上の二階の端だ。
 時間も十五分足らずと短い。
 教室あたりから体育館までのルート上だけに絞ってもよかろう?
 それも、そのルート上の特別教室の大半は鍵がかかっているはずだ」
「たぶんな……まぁ、なさそうだとさっき言ってたが、
 そのルート上にトイレが何か所かある、一応、どうだ?」
考え込むように文次郎は腕組みをし、仙蔵も黒板に視線を戻す。
トイレは一階の直線廊下に一か所、中央階段を上がってすぐそばの二階にもう一か所ある。
今度は伊作が割り込んだ。
「二階のトイレはないんじゃない?
 あそこすっごく狭いし、職員室が近いから先生方の利用率高くて、逆に生徒はあんまり使わない。
 おまけにトイレの横の廊下は渡り廊下になってて、片面が生徒玄関の吹き抜けに面してるから、
 結構出入りが見られてる感があるんだよ。
 生徒がたむろしてたらかなり目立つと思うんだけど……」
「さすがは保健委員長だな……そこまで校内のトイレ事情に詳しい生徒は他におらんぞ」
「や……別にそういう……!」
呆れ混じりの視線を受けて、伊作はどぎまぎと否定した。
話題を変えてやろうという心遣いなのか、長次が口を挟んだ。
珍しいことらしく、皆が一瞬目を見開く。
「二階の直線廊下の左右にも特別教室しかない。
 それも、デザイン学科の生徒が専用に使う教室ばかりだ……普通科の生徒なら出入りどころか、
 隠す場所として思いつくこともないと思う」
「なるほど」
すぐに同意して、仙蔵は直線廊下あたりから図面の外側へ矢印を引っ張ると、
“二階 ×”と補足するように書いた。
黒板にチョークで書き入れた文字も、
男子生徒のものにしては繊細そうな・神経質そうなきれいな字で、は感心してしまう。
「……おい。お前はなにかないのか」
ずっと黙りこくったままの留三郎に、文次郎は少々いらだったように問うた。
留三郎ははっと顔を上げる。
呼ばれるまでずっと気づかなかった、ということがありありとわかるその反応に、
他の五人は少々気を害したらしい。
「さっきからなんなんだ、貴様。
 ずっと上の空で……が俺たちの知人だということを差し置いても、
 生徒会の関係者として知らぬ顔のできる事態ではないことくらい貴様にもわかるだろうが」
常ならばこれがけんかの始まりなのだろう、
警戒するように仙蔵と長次とがと透子、女子生徒二人をかばおうと見やったが、
留三郎はそれでもぐっとだまったままで何も言い返さない。
心配そうに伊作が留三郎に諭すように問いかけた。
「ねえ、なにがあったのさ? なにかあったんでしょ?
 さっきまで普通にしてたのに、教室に戻ったあたりからずっとおかしいよ、留」
「……なにもねぇよ」
「だから、なにもなくないって、オカシイんだって留のその返事とかもさ!
 いーかげん、こっちまで調子狂っちゃうんだけど?
 ただでさえ雨続きで鬱陶しいのにさぁ」
小平太に畳み掛けられても、留三郎は何も言い返さない。
と透子の二人には、留三郎が先程教室で起きたひと悶着にばかり気をとられているのだということがすぐにわかった。
ここは留三郎のためにも透子のためにも一旦話題をそらすのがいいだろうと、は慌てて口を挟む。
「ま、まぁ、けんかしないで! 楽しいほうがいいって言ったでしょ?」
「留がずっとこうなら楽しくなんかならないし」
もっともなことを吐き捨てて、小平太はぷいとそっぽを向いた。
留三郎は気まずそうに視線を俯かせ、唇を噛みしめている。
「……なにか意見はないのか、留三郎」
本題に戻ることに長次が少し荷担してくれて、は少しばかりほっとする。
どうやら長次の言葉には、おおよそ皆まじめに耳を傾けるらしいことがにも読めてきた。
「俺、は……」
聞きとめるのもやっとの声で弱々しく言って、留三郎はゆっくり目を上げた。
視線がどうしても透子に吸い付いてしまうらしい。
たった一瞬目が合っただけで留三郎がまた動揺に陥ったのが、
と透子だけではなくほかの五人にもわかってしまったらしかった。
この二人のあいだに何かがあったのだ、と思い当たれば、
もともと透子が留三郎に思いを寄せているらしいことに気づいていたものたちは
ことの成り行きをどうしてもそちらのほうに邪推したがる。
はまたどうにかして話題をかき混ぜようと口を開いたが、
もうなにを言っていいのかが思いつかずに困り顔で口をぱくぱくさせるよりほかにない。
どうしようもなくなって透子を見やると、透子はなにか覚悟を決めたような顔をして、
ゆっくりと口を開いた。
「……私のせいなのよ。
 さっき教室で会ったとき、さんを放り出してきてしまったことで、少し言い争いをしたの。
 もちろん、私に非があるわ。
 ……その私がこうしていきなりあいだに入ってきたから」
それで気まずいのよね、と透子は留三郎を見やった。
先程の出来事の、いちばん留三郎の気にかかっている部分は見事に伏せたまま、
透子はごまかしの説明をしてのけた。
留三郎は驚いて目を丸くした。
その顔が、お前はその説明でいいのかと問いかけたがっているようにには見えた。
意に添わない展開であったにせよ、恋の告白となれば当事者には一大事だ。
それをまるでなかったことにしてしまった、その説明でいいのかと、留三郎はそう聞きたいのだった。
透子は淋しそうに少し笑い、また言った。
「本当に、私が悪かったと思っているわ。
 あなたが怒るのも無理のないことよ……ごめんなさい。
 だから、償う意味でも、さんの制服を探すことには協力をさせてほしいの。
 なによりもまずはそれが先決だわ、彼女のために。
 制服が見つけて、それから──あなたの気が済むまで、何度でも謝るから」
そこまで言い切ってしまった透子に、今度は揺らいでいたの気持ちも疑問となってしまった。
本当にそれでいいの?
そういう話にしてしまっていいの?
なかったことにしてしまって、それでいいの?
留三郎とのあいだでしかわからない、そうした微妙な空気を透子も感じてはいただろう。
しかし透子は更に自ら、とどめをさすようなことを言った。
「……それまでのあいだは、ひとまず仲直りをしましょう。
 いまは……そんな場合ではないわ」
そんな場合ではない、と言うのに一瞬躊躇った、そこにこもった透子の気持ちがにはつらかった。
事情を知らないほかの五人は、そういうことだったのか、確かにそういう場合ではないなと、
口々に言って頷いている。
透子がその言葉の裏側に含めた意味を、彼らは知らないながらそうして切り捨てる。
透子が巧妙に、そうした言い回しを選んだに違いなかった。
留三郎の動揺がそれで醒めるわけがない。
いま彼は、透子の言葉から明らかにショックを受けていた。
そういう場合ではないわ、何もなかったことにしましょう?
透子が留三郎をいま見つめる視線も、そうした表情を帯びている。
(だめだよ、高槻さん)
祈るようには思った。
けれどそんなことを、今口に出して言えるわけもない。
心底呆れたというふうに文次郎が投げやりに言うのが、その場の空気を破る。
「ぐじぐじといつまでも、女々しいぞ貴様!
 いい加減根に持つのはやめろ、当面の問題はこっちだろうが」
「何でもいいからなにか言え、留三郎?
 用具管理委員長として、他の生徒ではよく知らない場所もお前なら見知っているだろう」
続いて仙蔵に問われると、留三郎はまた気まずそうに視線を彷徨わせ、
なにか言おうとして口を開き……しばらくそうしていたが結局何も言えずに唇を引き結び、俯いた。
「あーもーなんだよ、留ちゃん! うぜぇ!!」
親しいからこその暴言だろうが、小平太はあまりな言いようを躊躇いもせずに吐き捨てる。
一応仕草では小平太を嗜めながらも、長次も留三郎に不思議そうな視線を投げかけている。
伊作が諭すように続く。
「留、子どもじゃないんだからさ、もういいじゃない。
 高槻はのいい友達になってくれるよ、いまこうしていたらわかるでしょ?
 誰も君の態度に納得していないよ? ほら、仲直り!
 怒ってるのがおさまらないのは君の勝手だけど、いまこの場は仲直り!」
留三郎には伊作の言葉はあまり聞こえていなかっただろう。
どうしたらいい、と言いたげな視線がに向かって送られたが、
にもどうしていいのかすでにわからなくなっていた。
ただ、透子の想いをうやむやにしてしまうことだけはしたくない。
その恋が叶うかどうかではない。
確かにそこにあった 好き という感情を押し殺してしまうことは、は絶対にしたくなかった。
こんなにも大勢の人間が、別々の感情と思考を持って暮らしているこの地球の上で、
誰かひとりだけを好きになるということはまるで奇跡みたいだとは思う。
自分にはあまり覚えのない感情だから、少しばかり羨ましくもあった。
一同から追い詰められ、の助けも得られず、透子からはなかったことにしようと暗に持ちかけられ……
留三郎は混乱を極めていた。
上手く言葉が紡げないのだろう。
痺れを切らした文次郎がまたいらいらと言い放つ。
「おい、いい加減にしろ。やる気がない奴に用などないぞ!」
条件反射か、ぱっと顔を上げて反論する構えを留三郎は見せるが、
悔しそうに口を閉ざしたままで結局はまた一言も言わない。
伊作がまた心配そうに問うた。
「ねぇ、留、ほんとどうしたの? そんな狭量な人じゃないでしょ、君」
「……俺」
「うん?」
「俺、……わかんねぇ」
やっとのことで留三郎は、苦しそうにそう絞り出した。
あまりつらそうなその表情に、誰もそれ以上問いかけることができない。
ああ、そうかとは思う。
(留ちゃん、きっと嬉しかったんだろうな……)
誰かが自分を好きになってくれるということの特別さ。
聞いたそのときはただ驚いただけでも、他の問題の渦中にあったせいでも、
あとから思い返したのはきっと自分に寄せられた想いについて、そればかりだっただろう。
その想いに応えることができなくても、まるで知らない人間が相手だったとしても、
好きだと言われて嬉しくない人などいないのではないか。
それなのに留三郎は、そうして想ってくれた透子にあらぬ疑いをかけ、誤解のままに冷たい言葉を放ち、
礼を言うこともできずにいるのだ。
留三郎の性格であれば、きちんとそうした筋を通したがるだろうとは思う。
思ったあとで、彼らと出会って二日しか経っていないという認識でいるはずの自分が、
その性格や言動については長いながい時間をともに過ごした間柄のように
深い印象を抱いている、ということに気がついた。
幼なじみという言葉が脳裏にひらりと翻る。
覚えていない気がするけれど、思い出せない気がするけれど……
そのまっさらな記憶のフィルタの奥で、皆のことをちゃんと知っているのだという不思議な確信をは得た。
友達、幼なじみ、という言葉では、本当は言い足りない気がする大切な人たち。
こうも悲しい、苦しい空気など共有したいとは少しも思えない人たちだ。
けれどは、いま誰もが求めている言葉を自分が言えるような自信は抱けなかった。
だから黙って、透子の手を引いた。
透子はがなにを言いたがっているのかを、それだけで察したらしかった。
ごめんなさいね、と淋しそうに微笑んで繰り返す。
は黙って、首を横に振った。
肌に痛い沈黙がしばしそこに降りる。
昼休みが始まってから、すでに三十分になろうとしていた。
「……ともかく」
最初に口を開いたのは長次だった。
いつでも静かに落ち着いたペースを崩さない彼がそうしてまず言葉を発したことは、
その場の誰にも救いに思えた。
「いまはの制服を探すことを第一としよう。
 それでなければはまた体操着で午後の授業を受けることになる」
「……ああ、では、話を戻そう」
冷静な口調をどうにか保って、仙蔵が話題を元へと導いた。
発言をするのに躊躇いたいような空気がまだ流れていたが、
皆がそれを払いのけようと必死で視線を黒板の校内見取り図に注いだ。
留三郎のわからない、という言葉は、誰も納得はできずじまいながら、
制服の隠し場所に思い当たる場所がないという意味として片付けられたらしい。
図面には次々とバツ印が書き込まれ、候補が絞り込まれていったが、
やがて絞り込みというのは言葉が過ぎようというほどにバツ印が増えていった。
教室と体育館を結ぶふたつのルート上には、ほとんど鍵のかかった特別教室しか存在しないのである。
結局残った隠し場所候補は、一階の共同トイレ、ごみ集積所、中庭、二階の共同トイレのみとなってしまった。
「……これ、逆にどこかわからなくない?
 だって一応トイレはなさそうってことだったし、ごみ捨て場もちょっとひどいし、
 あとは中庭しかないけど」
「この大雨の中、中庭に出て濡れずに済む奴もいないだろうな」
生徒会室の外の廊下には中庭を見下ろすことのできる窓があるが、
一応見下ろして確認してみたところそれらしきものはかげもかたちもなかった。
「お手上げじゃんかー。、更衣室ちゃんと見た? 二回見た? 指差し確認は?」
小平太に言われてはうっと言葉に詰まる。
よく考えてみると、なくしたと思った瞬間に腹が立ったり焦ったり困ったりで
頭の中がぐるぐると混乱してしまって、再度確認するというようなことはしなかったのだ。
「うー……これだけ騒いでおいてよく見たら隅っこに落ちてました、
 とかだったらちょっとアレなんだけど……!」
たじたじとしてしまうに透子が助け舟を出す。
「いいえ、更衣室は私があとからもう一度確認しているのよ、あなたが体育館を出た後にね。
 なにもなかったわ、奥まで入って見回してみたから間違いないと思うけれど。
 用具室にも何もなかったと思うのだけど、あそこはものがあふれかえっているから、
 なにかの陰に隠されていたのなら気づかなかったかもしれないわ」
うーん、と一同、唸る。
ふと仙蔵が透子に聞いた。
「用具室、開いたままだったのか?」
「ええ」
「普通は使い終わったら施錠してから鍵を留三郎に返すものだろう?」
言葉は透子に問いながら、仙蔵は視線だけ留三郎に向けた。
完全に話題が自分からそれたことに少し安心したようで、留三郎はまだぎくしゃくした口調ながら、言った。
「ああ、……昼休み前の授業のときは開けたままでいいんだ。
 昼休みに体育館で遊ぶ生徒がいるから、用具を使えるように解放してあるんだよ。
 今日は午後イチの授業でも体育館を使うらしいし、
 そういうときは用具室の鍵は開けたままで次のクラスに受け渡して、
 最後に施錠してもらうようにしてるんだ」
鍵は回収したあとですでに次のクラスに渡るよう体育担当の教員に渡してきたと留三郎。
「じゃあ、第二体育館の用具室はまだ開いているんだな」
「開いてる、けど。
 そこに隠したんだとしても、昼休みに遊びにきた生徒が出入りするから、
 隠してあってもすぐに見つかる可能性高いと思うが」
「……それでいいのじゃないかしら?」
透子が言ったのがあまり意外だったのか、一同の視線が鋭く透子に向けられた。
透子は臆せず続けた。
「制服がいつまでもいつまでも見つからない、というのではかえって問題になるわ。
 いつの間にか紛失するようなものではないもの、誰かの嫌がらせだという判断になるでしょうし、
 そうなると学校単位で問題になるはずよ。
 ……そこまでのおおごとにしたいとは、彼女たちはきっと思っていないわ。
 見つからない、困った、探して探して、でも見つかった……
 それくらいで済むトラブルがいちばん好ましいのよ。
 さんの制服なら、この学校のものではないのだから、見つかればすぐに持ち主が特定できるし」
そこまで言うと透子はちらと、すぐそばにいるに視線を向けた。
明確なメッセージではないが、透子がくすぐったそうに、になにか言いたそうに目元で微笑んだ。
ああ、これは、特別、とは感じ取った。
ただの転校生に対する目線ではすでにない。
友達、特別仲のいい友達、そういう親しみのこもった目だった。
「用具室なら、なんらか事故があって用具に制服がまぎれてしまったのだという言い訳も、
 かなり苦しいけれど成立するかもしれないわ。
 ただ、時間と出入りした人間の関係上、除外できる場所だと思うけれど。
 条件だけならいちばん当てはまりそうな場所だったのにね」
透子はすでに視線を前へ戻して話を続けている。
小平太が、彼にしてはこれ以上ないというほど真剣そうに腕を組んで身を乗り出した。
「でもさー、まずが体育館を出るだろ、そしたら体育館は無人だ。
 はまっすぐ廊下を戻っていって階段のぼって教室行って、
 私らは中央階段から二階に上がって生徒会室に来ただろ?
 透子ちゃんはそんとき売店にいたんだよな」
「ええ、あなたが暴れていったあとに買い物を済ませて、体育館へ戻ったわ」
「それが昼休み入ってから十五分くらいだったんだろ?
 じゃあさ、そいつらが制服持って体育館から出てきて、隠れて待ち伏せしといて、
 と私らとが体育館から離れた隙に用具室に戻って制服隠して、
 そのあと透子ちゃんが体育館に戻る前に急いで教室に戻ってくるって、無理かな?」
「おー、小平太が頭いいこと言った!」
伊作にぱちぱちと拍手を送られ、小平太はえへんと胸を張るが、長次がノンノンと首を振る。
「それではより先に教室に戻るのは難しそうだ……
 一階のルートを通れば自身を追い越さなければならないし、
 二階のルートなら途中まで俺たちがいたはずだ」
「そーかなぁー? いけるって!」
「速さに関してだけ言えば。七松くんならできるでしょうね」
普通の人には無理だ、という言葉をその裏に隠し、透子はふっと息をついた。
「……あまり凝った隠し方はしないと思うのよ。
 問題がちいさく済んで、探せばどうにか見つけられる場所で……
 だって、あの場の衝動で起きた嫌がらせなのよ。
 たった十五分しかかからずに、手の込んだ隠し方なんかきっとしていないわ」
衝動的に制服を持って出てきてしまったものの、どうしようかと
軽いパニックに陥っていてもおかしくはないと透子は言った。
制服を持っているところを誰かに見られればおしまいだ。
頼るもののない、親しい友人のできる前の転校生が相手ならば
それでも虚勢を張ることができるかもしれないが、には幼なじみの六人がついている。
彼らの存在はこの学校内においてはたかだか生徒ひとり、というものではないに違いない。
立場しかり、そこについてまわる教員陣の信頼しかり、一般生徒人気しかり。
成績が学年トップ、それに近いというものもいる。
それぞれの要素が積み重なって、大げさに言えば権力とも呼べるだけの力を彼らはその手に持っているに等しい。
その六人は恐らく六人がかりで・ほぼ百パーセントの確率で、の味方をするだろう。
しかも、どちらが悪いかといえば、明らかに嫌がらせを仕掛けたほうに決まっている。
権力、足すことの、正論。
それをバックに従えたを相手取っての嫌がらせにはろくろく勝算も割り出せはしない。
「つい意地悪をしてしまったけれどどうしよう、そう思っておろおろとしたでしょうよ」
「……ていうか僕らそんなに強そう?」
訝しげに伊作が自らを指差すが、透子はあっさり
「善法寺くんはそんなに強くなさそうね」
言い切った。
は思わずふっと吹き出し、一同のあいだにも笑いが漏れる。
「しかし、確かに大袈裟だぞ」
否定気味に言いつつも顔は苦笑している仙蔵に、透子は澄まして微笑んだ。
「そう? 本人たちにはきっとわからないというだけのことよ。
 ……みんなあなたたちに嫌われたくないの。
 あなたたちのことが好きで、憧れなのよ」
その言葉に、皆が少々むず痒そうな顔をするが。
留三郎だけは少しはっとしたように目を上げた。
その反応に透子もも気づいたが、透子はまた何も言わずに少しだけ微笑むばかりだった。
「話がそれてしまったわね。時間ももう迫っているわ」
改めて皆が見取り図の図面を見つめる。
バツ印があちこちについて、これ以上の絞り込みはしようというほうが難しい。
ふと、はほとんど無意識に呟いていた。
「教室……」
皆が振り返る。
その視線にたじろいでは身を縮こまらせる。
ひときわ強い視線を寄越す文次郎が、どういう意味だと問うてきた。
はおろおろしながら何とか説明し始める。
「え、いや、なんていうか、
 隠し終わったか手を離れたかとかさっき言ってたけど、
 制服持ってきちゃったどうしようどうしよう、とか言いながら、
 隠し場所思いつかないまま教室に戻っちゃったりとかもありそうかもって」
誰も返事をしなかった。
うわ、ギャグがすべった芸人さんの気持ち、と思いながら、は必死でまくし立てた。
「あの、ただの思いつき!
 だって手の届くとこにあるとか、見える位置にあるとかがいちばん安心するかもって。
 学校の中ってどんなに知り抜いてても結局公共の場所で、いろんな人がいるし。
 ……どうしよう、って思いながら、隠すとかじゃなくて……
 どうやって円満に私に返そうかって、そう思っててくれないかなあ」
「それはの希望的観測だ」
静かに長次に言い切られ、はうっと言葉に詰まった。
「しかし……可能性はある」
「な、中在家くん……!」
言い切られた直後に持ち上げられて、は大仰なほど感激してしまった。
長次は少々不愉快そうな視線をに向ける。
「……その呼び方は妙な気がするんだが」
「な……なんで?」
「聞き慣れない。呼び捨てでいい」
は一瞬面食らったが、慎重そうにでは、と前置いてから、ちょうじ、と一度呼び捨ててみた。
長次は彼なりに笑ったのだろうか、恐らく満足した仕草なのだろうが目を少し細めて頷いてくれた。
「では、教室……何組だ?」
「C組よ」
「三年C組の教室と、念のため第二体育館の用具室、このどちらかということに仮定しよう。
 昼休みはもうあと十五分もないな」
そこまでを仙蔵がまとめて言いながら黒板に書き足していく。
話のあとを文次郎が継いだ。
「時間がない。二手に分かれて、一方が教室、一方が第二体育館を見に行く。
 どちらでも見つからなければ、ルートを二通りとも辿ってみるくらいしかないだろうな。
 班を決めるぞ」
可能性は低いとしながらも女子トイレを探す可能性を考え、
と透子がそれぞれのグループに分かれることとし、
他の男子六人がそれぞれのグループに三人ずつ加わることで話がまとまった。
「グーと・チーで・合っ・た・人!!」
組み分けじゃんけんを何度か繰り返した結果、
文次郎・仙蔵・留三郎がと一緒に三年生の教室を見に行くことになり、
残る小平太・長次・伊作が透子と一緒に第二体育館へ戻ることに決まった。
生徒会室を出て、念のために施錠し、二手に分かれて探索が始まる。
数歩先を行くA組の二人の背を眺めながら、
と留三郎とは少々気まずい雰囲気で並んで歩いていたが、
やがて留三郎が小声でに話しかけた。
、あのな……」
「高槻さんの話?」
「……全面的に俺が悪い……あとで謝る」
「誰が悪いってことじゃないような気もするけど……
 あのときのアレは高槻さんを悪く言う会話だったし、誤解を招くふうに聞こえても仕方なかったかも」
の言うのも耳に入らない様子で、留三郎はばつの悪そうな顔をした。
「……気づいてなかったから、俺……」
透子の気持ちに失礼だったかもしれないと、留三郎は本気で落ち込み気味でいるらしい。
「これから失礼しないように気をつければいいよ。親しき仲にもなんとやらみたいな」
うん、と留三郎は頷いた。
素直なその様子がなにやら可愛らしく見えて、はふっと笑った。
留三郎がきちんと礼をつくしたがるあたりも想像のとおりだ。
具体的に覚えていることなどほとんどないようなものだったが、
やっぱり幼なじみなんだなあ、と感慨深く思いを馳せる。
つい二日前に知り合ったばかり、という事実では到底証明しきれないような、
距離感の近さ、肌の近さを、六人の誰にも感じる。
これから先、子どもの頃に一緒に過ごしたという話を聞いて、その町を見て、
少しずつ思い出せる記憶が増えてくれたらこの上ない。
連綿とつながっているはずの過去と今。
幼なじみと再会して、新しい友達もできて、そしてこの先の未来。
昔のことばかりにこだわる必要は、もしかしたら、本当はないのかもしれない。



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