雨の花  むくいえぬ


傷はずいぶんいいよ。

痛みはまだ引かないけど、あの至近距離で受けたにしては、軽くて済んだと思ってるよ。

……には怪我はなかったのかな。

そうか。

それならいい。

あいつ、泣いてたな。

大丈夫かな……

私が心配するところじゃあない気がするけど。

だって、何をやっても私は、あいつのいいようには振る舞ってやれないし。

せめて、わがままを聞いてやるとか、そのくらいのことしか、できないじゃないか。

……好きだと言われたんだ。

ほんの一・二か月前のことだよ。

私はのこと、そんなふうには思ってなかった。

だから、びっくりしたけど──普通に、そのときは断ったんだ。

そんなふうに思えないって。

それは、そのときは、本心だったさ。

いい友達だと思ってた。

女にしては、できた奴だって。

根性あるし、実際、くの一の中じゃあ実力はピカイチだ。

そういう意味で、他のくの一達よりは注目してた相手だよ、確かに。

でも、それだけだった……はずなんだ。

いきなりにそんなことを言われて、その場で断って……

それから、今度は私のほうがおかしくなった。

今までと同じように、に接することができなくなってきたんだ。

これも修行のうちとか、そんなふうに思えばなんとか耐えられると思ってたけど、次第にそれもつらくなった。

あいつは、すれ違ったり、食堂なんかで鉢合わせたりするたびに、私を避けて通ろうとするようになった。

目が合ったかと思ったらそらされるし、用事があって話そうとしても、居心地悪そうに、すぐにも逃げたそうにするし。

いつも、泣きそうな目をしてた。

私の目の届かないところに隠れた途端に、友達に泣きついてるのが聞こえたことだってあるんだ。

まるで私は悪者じゃないか。

傷ついた顔をされるたびに、胸のあたりが、怪我でもしたみたいに疼くんだ。

はいい奴だったから、今まで通りになんの気兼ねもなく話せるようになりたかったし、

それくらいの関係が私にはいちばん心地よかった。

好きになんてなってくれなくてよかったのにと、何度も思った。

には、悪いよな。

わかってるんだ。

でも、私が断ったせいで落ち込んでいて欲しくなかった。

あいつは、笑った顔が、眩しいくらいいい顔なんだ。

見てるとこっちまで気分が晴れる。

けど、は私の前では笑ってなんてくれなくなった。

きっと、私のは罪悪感なんだ。

今回の任務でが偉そうに、冷たい目で私を見下ろした──あいつは姫君で、私はただの忍の者だった。

は最初は演技で私に命令をした。

それが少しずつ、私への復讐に取って代わったことに、私は途中で気がついたよ。

──全部、受けてやろうと思ったんだ。

が笑えなくなったのは、私のせいだから。

わかってるんだ。

断ったことは、なにも悪ってわけじゃない。

がそのうち立ち直って、また……別の奴でも、好きになったら、

私とはもとと同じとはいかなくても、仲のいい友達みたいに振る舞うことはできるかもしれなかった。

そこに思い至ったときに、でも私は、それを嫌だと思った。

別の奴でも好きになったらなんて自分の想像に、私は妬いたんだ。

身勝手な話さ。

私はのことなんてなんとも思っていないようにいつも通りに、でもには私を好きでいて欲しかった。

恋人じゃなくてもいいんだ、でも、が私だけを密かに見つめて想っていてくれることを、私は望んでいた。

そんな状況が、許されるわけがない。

私は自分のその気持ちが、を好きだというのと同じ意味なのか、考えた。

でも、よくわからなかった。

……自信がなかったんだ。

今更、私もを好きになったかもしれないなんて、にしてみたらずいぶんな話じゃないか。

きっとあいつは、怒るだろうと思った。

それに、……私は、自身が好きだと言ってくれるその気持ちにすら、疑いを持ち始めていた。

だって、私は雷蔵の顔を借りているし。

の前で他の顔したことなんかほとんどないんだ。

せいぜい、兵助とハチと、自身とか、くの一連中とかさ……知った顔ばかり演じてたけど、

自分自身の素顔は見せたことがないんだ。

顔を借りているだけで、雷蔵を隅から隅まで演じているわけじゃないけど、

それでもが好きなのは本当に私なんだろうかと思った。

本人に聞けないだろ、そんなこと。

の気持ちが嘘じゃないとは思っているけど、

それが本当に私に対するものなのかどうか、もしかしたら自身が気付いてないだけかもしれないじゃないか。

の気持ちを全部そのまま受けられるなら、いいけど、さ。

私は疑ってた。

最後の最後まで、疑ってしまうだろう。

それは、私のやってることのせいだから、いいんだ。

逆恨みなんかしない。

でも、もしかしたらは自分で気付くかもしれない、好きな相手が鉢屋三郎ではないかもしれない、とか。

それは嫌だった。

八方塞がりのようになってしまった。

ただ、の気が晴れるなら、なんだってやってやろうと思った。

ずぶ濡れになっても、桜の枝を折りに出かけていった。

花はほとんど散っていたけど、私を待っているみたいに、一輪だけ必死で枝にしがみついていてくれた花があった。

なんだかそれを見たとき、がまだ私を想ってくれている姿を例えられたような気がして……

自分で言うのは自惚れのようだったから、あまり口にしたくなかったんだ。

でも、は私に断られてからも、ずっと私を好きで居続けてくれた。

見ている私が苦しくなるくらい。

応えてやれないと思っていたからな。

笑ってれば、結構、可愛い奴なのに、嫌な思いをさせてばかりだ。

桜を折って、雨からかばいながら……すぐに散りそうに見えたから。

花が散ったら、一緒にも私を見なくなってしまうような気がして。

ばかばかしいだろ。

不安になったんだよ、そんな気がしたんだ。

この任務が終わったら、……私の気持ちはまだ自分でもよくわかってなかったけど……

と話をしようと思った。

は結局、花は受け取ってくれなかった。

こんなことくらいじゃ、許してくれないんだと思った。

当然だよ。

がもっとと言うなら、いくらでも従ってやろうと思った。

……が刺客に襲われているのを見たとき、私は何も考えないでその間に割って入っていた。

どう考えても、敵の持っている凶器……あれ、なんだったんだ?

短刀? そうか。

あれが、光ってるなとは思ったけど、何かよくわかってなくて。

クナイかもなとも思ったけど。

あれが、腹に来るなとはわかってたんだけど、が怪我をするよりはいい。

敵が倒れて、が無事だということだけがなんとかわかったとき、私は心底ほっとして、それで……

なんていうか、よかったと……思った。

“惚れた女のひとりくらい守れなくてなんだ”とか、そのときになってやっと思ったんだ。

が取り乱しているのを押しとどめるとき、あのときも、本当は何も考えてなかった。

ただ、──“ああ”したら、が泣きやむのを、私は知ってたような気がするんだ。

あいつ、怒ってないかな。

なんであいつ、こんな奴を好きになったんだろう。

自分でもよくわからないよ。

好かれるようなこと、なにひとつ、できた覚えがないんだ。

償おうとするばかりに必死にはなれたけど、好きだと言ってくれたそのことには、まともな答えを出せもしないで。

……あーあ。

興醒めだよな。

女の子なら、夢が壊れたって憤慨してもおかしくないさ。

私もちょっとだけがっかりだ。

好きな女と初めて口付けたのが血の味なんて、洒落にならんどころの話じゃないよ。

……本当は、もっと、大事にしてやりたいんだ。

私は、が可愛いよ。

どうしたらいいんだろう。



医務室で横になったまま、寝起きのかすれ声で三郎はぽつりぽつりとそこまでを話した。

じっとだまって聞いていた兵助は、静かに答えた。

「……伝えればいいんだよ。三郎」

三郎は目を丸くして、側に座してずっと聞いていてくれた友人をひたと見つめた。

「な。」

にっこりと笑った兵助を、三郎は毒気を抜かれたような顔でぽかんと見返していたが、

やがて考え込むような顔をして、

「そうか。」

と、呟いた。

しばらく二人は黙ったままそうしていたが、三郎がぼそりと、恨みがましい声で言った。

「お前のせいだぞ、兵助。

 お前が“カノジョ”を通して、の話を私に実況しまくっていたから」

「はは。じゃあ、感謝してもらわないと、縁結び役ができたなら」

「うるせ」

まだ縁が結ばれるかどうかはわからないと、三郎は投げやりな口調で言った。



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